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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu122.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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死者の名前を取り除くことは死者の尊厳の尊重という文明社会
の原則に反する。中国人や韓国人にはそれが理解できない。
2006年6月29日 木曜日
◆【中国】外交部:日中対話の中断「靖国参拝で日本に責任」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060519-00000004-scn-cn
中国外交部は18日に定例記者会見を行った。この中で劉建超・報道官は、国連のアナン事務総長が日本に対して中国や韓国との関係改善を要請したと報道されていることに関連して、「日本の指導者がA級戦犯をまつっている靖国神社への参拝を継続しており、両国間の対話に向けた雰囲気を台無しにしている」と述べた。
(サーチナ・中国情報局) - 5月19日12時57分更新
◆右か左かの踏み絵風(4)−「靖国問題」とはなにか 6月28日 ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
http://www.yorozubp.com/0606/0606284.htm
(前略)
それでは、この独伊間の解決案を靖国神社に適用したらどうなるであろうか。中国外相だけでなく、多くの日本人も、日本の政治家の靖国神社参拝が「中国人民と、侵略戦争により損害を受けたその他国の人民の感情を傷つける」と述べている。また日本にも「A級戦犯」の分祀を求める声は跡を絶たない。
それに対して、私たちは、すでに述べたが、次のような立場をとることができる。靖国神社も欧米の戦没兵士追悼文化と同じように反業績主義の立場をとり、そこに合祀されるのは「侵略戦争を発動し指揮した」という生前の業績のためではなく「戦没兵士と同然の扱い」をされたからで、こうして「A級戦犯」はそこにいない以上、存在しないものを除くことも論理的に不可能である。それだけではない。死者の名前を取り除くことは死者の尊厳の尊重という文明社会の原則に反する。
私たちは以上のように主張することができるが、そうしない。どんな原則も別の重大な理由があれば制限されるべきであるという立場をとる。中国をはじめその他の近隣諸国の国民感情を傷つけてはいけないというのもそのような重大な理由になり、隣国の国民感情を傷つけないために私たちにできることがあればするべきである。ドイツ側は当時このように考えて碑板「栄誉の書」の三人の親衛隊員の名前を消した。日本も似たようなことをしてもいいはずである。
ところが、そう思った瞬間に私たちのほうは途方にくれてしまうのではないのだろうか。というのは、名前を消すとは見えていた名前を見えなくすることであるが、周知のように霊璽簿(合祀名簿)に記入された名前ははじめから見えない。ということは、すでに問題が解決されているともいえるし、見えていないものを(これ以上)見えなくすることは余計なことである。そんな余計なことは、死者の尊厳の尊重という重要な原則を制限するべき重大な理由になりえない。
■私たちはどうしたらのいいのか
戦没兵士追悼と関連した紛争をここに紹介したが、最後の例からわかるように外交問題の「靖国問題」は、本当に実体のある問題とはいえない。というのは、戦没兵士の名前を隠すという靖国神社の反顕彰的性格のために問題が解決されているからである。とすると、多くの人々は本物の靖国神社についてでなく、自分の頭の中にあるファントム(亡霊)のような存在の「靖国神社」に賛成したり、反対したり、身勝手な期待をしたり、怒ったりしているとしか思えない。
大江健三郎をインタビューして「日本の戦争犯罪人が(靖国神社に)葬られている」と思っているドイツ人記者や、また「ドイツの政治家のヒットラー追悼」にたとえる李中国外相の頭の中にあるものもそのようなファントムの「靖国神社」である。彼らが問題とする「靖国神社」の特徴は本当の靖国神社でなく、愛知県にあって日本国民大多数が知らない7人の「A級戦犯」のお墓「殉国七士廟」にあてはまる。
ここに書いた戦没兵士追悼文化についてよく知らない人でも、靖国神社と「殉国七士廟」がまったく異なったものであると直感的に思うのではないのか。誰か外国人が四国のほうが九州より大きいといえば、面積を数字でいえなくても、「それは間違いです」というしかない。靖国もこれと似て本当は靖国参拝に反対・賛成以前の問題ではないのか。
ところがそうならないとしたら、話が「靖国問題」となった途端、靖国神社と「殉国七士廟」の違いが消えて、本当の靖国神社はファントム「靖国神社」に変わってしまうからである。こうであるのは、今まで何度も繰り返したが、私たちの意識に根を降ろした「右か左かの踏み絵風」構造のお陰で「右か左か」となれば、靖国神社も「殉国七士廟」も右方向にあって同じになるからである。このような私たちのファントム「靖国神社」が国際社会で踏襲されて生まれたのが実体のない「靖国問題」である。
戦後60年以上も経過し、その間戦没兵士を政治的立場の表明手段、すなわち「紙と棒切れ」と見なして、彼らの追悼など独自の問題として重視しなかった私たちが今さら「国立戦没者追悼施設」をつくりたいというのは奇妙な話である。突然こんな願望を抱くのは、靖国神社と「殉国七士廟」の相違を国際社会に対して説明するのが面倒になったからではないのか。
一年一度決まった日に国民が自国戦没兵士追悼をするのは、ドイツを含めてどこの国でもしていることである。靖国神社がここまで国際社会で誤解されて隣国と外交問題になったことも、また日本がきちんと説明しようとしないことも、残念なことである。他人の誤解をただすことができないのは自分で自分のことがよくわかっていないからでもある。これは(、靖国神社に限らないが、)国際社会の中で本当に自国を理解してもらう必要性を私たちが感じていないからでもある。日本人にとって国際社会とは自国が活躍する舞台・国威発揚の場に過ぎないのかもしれない。
今まで靖国に参拝した首相は戦没者追悼がその目的であると表明し、また外務省も同じ見解を発表するが、内外のメディア関係者からは無視される。靖国神社は、「ナチ指導者のお墓」に似たもの、「殉国七士廟」であり、その結果参拝が軍国主義肯定と誤解される。この現状を変えるためになにかできるはずである。ドイツはイタリア・コステルマノ軍人墓地での紛争で「戦没者追悼のため」を強調する碑板をあらたにつくったが、靖国神社の前にも類似した碑板を設置するなどして国際社会に対して「戦没追悼施設である」こと明記するべきである。境内に全世界の戦死者や戦争で亡くなった人の霊が祀られている鎮霊社がある。本殿に参拝した首相がこの鎮霊社にも参拝すると、軍国主義の肯定でないことを表現することができる。他にもできることは山ほどあるはずだ。
次に靖国参拝ほど他国の戦没兵士追悼儀式とくらべて軍事的要素が欠如しているものはない。自国の首相の参拝が日本の軍国主義化につながるという論拠ほど私に理解しにくいものはない。国民軍誕生とともにはじまった戦没兵士追悼文化は、すでに述べたように、終わりつつある。反対することによって、私たちはかえって靖国神社に対して戦前とは別の新しい関係を築ことができなかった。
(後略)
(私のコメント)
靖国神社参拝問題については株式日記でも何度も論じてきましたが、根本的には日本人と中国人との死者に対する考え方の違いから来るものだろうと論じてきました。中国では墓から死者の死体を暴いてまで鞭を打つ野蛮な風習があるそうですが、欧米の先進諸国や日本にはそのような死者に対してまで鞭打つ風習はない。朝日新聞が靖国問題を国際問題化しようとして欧米にキャンペーンを張りましたが失敗したと先日書きました。
国際常識的に考えれば中国や韓国がクレームを付ける論理に無理があるのだ。それは靖国神社がA級戦犯だけを祭った神社ではなく、A級戦犯を特別に賞賛しているという訳ではないからだ。それに対して中国や韓国がいらだって抗議するのは小泉首相がマスコミの報道記者を引き連れて派手に参拝するから中国や韓国を刺激するのだろう。つまり中国や韓国は小泉首相が仕掛けた罠に嵌ってしまった事になる。
ドイツ在住のジャーナリストの美濃口氏は同じような問題を抱えるドイツを例にあげて論じています。日本においては靖国神社が軍国主義のシンボルであり、そこへ首相が参拝することが是か非かで右か左かに踏み絵にされてきた。自民党の中でも靖国神社参拝に反対の人もいて、それが次期総裁選挙の争点化している。
しかし靖国神社が軍国主義のシンボルであるならば、毎年参拝する600万人もの人は軍国主義を肯定しているのか? つまりは靖国神社が軍国主義のシンボルだと言うのは左翼の無理なこじ付けなのだ。ならば国民の代表である国会議員が参拝して悪いわけはない。その論理の破綻をごまかすために左翼は私的か公的かと問うてみたり、政教分離の原則に反すると裁判してみたりして誤魔化している。
つまり靖国神社を参拝すれば軍国主義者だと左翼は決め付けたいのでしょうが、単なる踏み絵に利用しているだけなのだ。戦没者を追悼する事と大東亜戦争を肯定することとは別の事ですが、踏み絵として使ってきた結果、戦没者を慰霊しないわけには行かないから、いずれは大東亜戦争を肯定するような勢力が残る事になる。左翼は追悼と評価の分離が出来ていない。
西欧においても国民軍が出来てから一般兵士の死者を葬った墓が作られるようになった。そして国家間との協定によっても軍人墓地は作られて管理される事になり、一般人の墓とは異なり国家が永久的に管理するようになっている。そのような状況において靖国神社参拝に反対する論理は西洋社会では通用しにくい。
しかし中国においては戦死者の特定はおろか数さえ定まらず、戦後の数百万人から現在においては日中戦争の戦死者は3500万人まで膨れ上がる事になり、欧米や日本などの常識は通用しない。そのような国だからこそA級戦犯も祀られた靖国神社を参拝することは軍国主義の復活につながるとプロパガンダに使用しているのだ。しかし靖国神社はA級戦犯だけを祀ったものでもなく、特別扱いされているわけでもない。
中国においては軍人の命など虫けらのようなものであり、朝鮮戦争などにおいても人海戦術が行なわれて一般兵の命の尊重などの概念は存在しない。中国の軍隊は共産党の軍隊であり、国民軍の兵士ではない。ソ連の軍人墓地も階級によって差別されて功績によっても扱いが異なり、国民国家と言う概念が中国やソ連は持っていない。だからA級戦犯が一般兵士と同等に葬られている事が信じられないのだろう。
◆ヒトラー例えに靖国批判 中国外相、訪問先の韓国で
http://k-mokuson.at.webry.info/200511/article_15.html
【釜山15日共同】中国の李肇星外相は15日、「ドイツの指導者がヒトラーやナチス(の追悼施設)を参拝したら欧州の人々はどう思うだろうか」との表現で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難した。アジア太平洋経済協力会議(APEC)で訪問中の韓国釜山のホテルで一部記者団に語った。
李外相は最近、靖国問題について異例ともいえる調子で批判の声を高めているが、参拝批判にヒトラーやナチスを持ち出したことは、日本側で波紋を呼びそうだ。
外相は「あれほど多くの人々を傷つけた戦争を発動した戦犯を日本の指導者が参拝することで、アジアの人々の気持ちが傷つかないかどうか、日本人は考えたことがあるのか」と指摘。参拝中止に向け「基本的な善悪の観念を持つべきだ」と訴えた。
(共同通信) - 11月15日18時37分更新
(私のコメント)
中国の首脳の発言を見ると明らかに靖国神社を誤解している事が分かりますが、中国が国民国家でなく死者を平等に扱う文化も有しない野蛮な国家であるからであり、朝日新聞の記者達は意図的に靖国神社が誤解されるような情報を中国政府首脳に流して言わせているのであり、非常に悪質だ。それに対して美濃口氏は次のように言っている。
《 (おそらく中国外相を含めて)国際社会の多くの人々は、靖国神社を「A級戦犯」の名前が石に刻み込まれた「殉国七士廟」のような施設であると想像して、そこに日本の首相が参拝することを無神経と見なしている。だからこそ、「A級戦犯」を含めて合祀された戦没兵士の名前を見ることができないと説明されると、狐につままれたような顔をする人が少なくない。靖国の反顕彰的性格については、後でドイツ戦没兵士追悼に関連する国際紛争を論じるときにもう一度ふれる。 》
中国人に欧米諸国や日本の精神文化を理解しろと言っても、国家感がまるで違うのだから誤解が生ずる事は避けられないのだろう。だから精神文化レベルが彼らと同じくらいの朝日新聞の記者が欧米に靖国問題で炊きつけても中国や韓国のようにはいかない。またアメリカで靖国参拝に批判する人も小泉首相の政治的挑発的な靖国参拝を批判しているのであり、個人としての靖国参拝に批判しているわけではない。
このように考えるとA級戦犯を分祀するということが問題の解決ではなく、靖国神社がA級戦犯を英雄として扱っているのではなく、一般の戦没者と同等に扱われていることの意味を中国人や韓国人に分からせる事にある。もし中国が民主国家となり国民軍が制定されて、近代的な西欧の精神文化が理解されるようになれば、現在のような誤解は起こり得ないのだ。