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・「満州国の麻薬】芥子畑の満州娘(写真)」
http://www.asyura2.com/0601/asia5/msg/213.html
上記の満州国の畑で満州娘が採取した阿片は、一部は満州国内で消費されましたが、大部分はシナに搬入されました。
満州国内の阿片汚染については、皇帝の后が重度の阿片中毒だったという事実だけで充分でしょう。上が中毒ならば下だって中毒でしょうし、満鉄などのニポン企業は賃金代わりに阿片を支給することだってあったのです。
で、大部分はニポンが占領したシナ地域に搬入されました。そのうち、拙文「[AML 7004] 生きるがために裏切った人々(http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/383.html)」で話題になった、1942年頃の河南省地域での阿片の状況を「東京裁判」の資料集から抜き出しました。
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一九四〇年に、中央支部に於ける臨時政府の後継者である汪兆銘の傀儡政府の中央金庫は、揚子江下流平野地域だけで分配される阿片の所謂『課税』から毎月五、六百万弗を得てヰた。北京には六〇〇の阿片商社があった。『ヘロイン』は、漢口でもさうだったやうに、阿片よりも一層一般に用ヰられて居ると云ふことであった。漢口には阿片を公に使用する三四〇の阿片窟と一二〇の『ホテル』がありました。此の阿片は五〇〇、〇〇〇の人口に対し日々四、〇〇〇オンスの割で供給されて居りました。許可を受なてヰる吸引者は五、〇〇〇名で、許可を受けてヰない吸引者は五〇、〇〇〇名と謂はれて居りました。戦前の厳重に抑圧せられて居った時の状況と対照してみると悲しむぺき(ものが)ある。
山西及山東の占領地域の小都市では、売捌きも沈溺使用も、而して又、公署の奨励と保護による罌粟の地方的栽培も激増した。開封には一七〇の阿片倉庫があり、二五〇、〇〇〇の人口中四〇、〇〇〇の明かな吸引者が居ったのに対し二〇〇以上の吸引窟がございました。(登録してある吸引者は只七〇〇名だけでありました。)一九四〇年の私の調査に依りますと、開封では朝鮮人が『外国の商社』と区別せられて約二〇〇の店舗で、政府の許可を受けて『ヘロイン』の商社を経営して居りました。又、阿片は北河南から河北にかけて沢山に出来ました。人口一五〇、〇〇〇も有るかないかと云ふ都市蕪湖には、三〇の公認阿片商社、六〇〇近い公認・非公認吸引窟と、而して約一〇〇の『ヘロイン』を売る場所がありました。
『日中戦争史資料8』(P64〜65)洞 富雄 河出書房新社 現在絶版
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マジで過去の歴史と対面しようとしている人には言わずもがなんですが、上記のとおり「東京裁判」は、表面的な意味での「平和への罪」とか「人道への罪」で裁かれているわけではないのですね。
亡国東條をはじめとする奸臣どもは、アル・カポネと同じ理由(→訴因)で裁かれているのです。
「東京裁判」は事後法だから無罪などとホザク輩は、いかに不勉強かわかりますね。
「平和への罪」とか「人道への罪」の名称がお気に召さないのなら、「国家財産不法略取罪」や「強盗強姦罪」や「共謀罪(^○^)」ならお気に召すのでしょうか?(苦笑)
もちろん、天皇陛下の御命令を得ない行動も多々ありますから、「反乱罪」だってありうるでしょうな。
ソレハ\(^^\) (/^^)/オイトイテ
毎月五、六百万弗とはすさまじい売り上げですな。もちろん、これは傀儡政権の収入でありまして、それとは別に満州国の収入(課税)部分や関東軍(→亡国東條ら)の収入部分があるわけです。
ということは、これらの手を介さないルートで儲ける連中が出てきますね。その一例が、満州国の軍閥とシナ中原の軍閥との直取引であります。
国民党中央(蒋介石)からのろくな支給がなくてもニポン軍と戦争しちゃう雑軍(名目上は国民党軍)が多数存在したのも、こゆ資金源があったからですな。
「『温故一九四二』劉震雲 著 竹内実 監修 劉燕子 訳」に登場するのは、そゆ軍じゃないのかな?といふ疑問だったのですがね。
なぜなら、大ニポン帝国軍も悩ませされたチェコ機銃で武装した本物の国民党軍(蒋介石直卒軍)が、どん百姓、もとえっ!、鋤鍬しか武器のない農民にいてこまされるなんてことはありえないでしょう。(苦笑)