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[超強烈なショック!]北朝鮮から[毒草]の称号を授かった麻生氏一族の秘密---(Japan Focus から)
http://www.asyura2.com/0601/asia5/msg/132.html
投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 6 月 10 日 00:54:57: syFUAx3Wc1pTw
 

出典 http://japanfocus.org/587.pdf

 北朝鮮から[毒草]の称号を授かった麻生氏一族の秘密---(Japan Focus から)

 北朝鮮のネナラサイトで猛攻を受けた「毒草・麻生氏」について調べたら、何と全文の日本語訳ががJapan Focusに掲載されていました。
 単なる批判ではなかったので、公平性確保の点から全文を転載します。

 でも、この内容から見る限りでは朝鮮人労働者のみならず、連合国の捕虜もコキ使っていたようで、これじゃあイギリス人も怒りますな・・・・・
また、「増すゴミ」がこの記者が書いた麻生氏関連の過去を全く報道せず「黙殺」している事は記憶に止めて置きましょう。

 はっきり言えるのは、戦争に加担してもうけた「超ブルジョワジーの家庭」でお生まれになり、お育ちになった庶民感覚などまったく取得する事のできない「品格」のある大変に「ワンダホーな一族」であらせられると言うことであります。(悪く言えばニポンの旗に泥を塗るのに加担した一族の方々であらせられますので・・・・・ロスチャイルド財閥との関係もありそう???)
 
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外聞はばかる一族の秘密:[日本の外相と朝鮮人・連合軍捕虜強制労働]

       クリストファー・リード(著)、伊吹由歌子(訳)

  現外務大臣・麻生太郎氏が1940年に生まれたころ、すでに70年間、麻生炭鉱株式会社は日本の近代化にエネルギーとして、石炭を供給していた。
  中国戦線が太平洋戦争に道を開くと、日本企業は深刻な労働力不足に直面、とみに朝鮮人、連合軍捕虜、そして中国人の強制労働力へと傾斜を強めた。
  およそ 1 万人の朝鮮人労働者が、みじめな状況で麻生炭鉱での強制労働に従事した。
  最近になって、300人の連合軍捕虜が福岡第26分所、通称 麻生吉隈炭鉱で強制労働に従事したことが明るみに出ている。
  三分の二はオーストラリア人捕虜、三分の一は英国人捕虜で2 名のオランダ人捕虜もいた。


  これら300人のうち、ひとりとして麻生炭鉱あるいは日本政府から、労働報酬も謝罪も得ていない。
  まして現外務大臣からはいわずもがなである。
  朝鮮から動員労働のかたちでの同社の朝鮮人は理論上では賃金をもらったが、実際にはその給与の大方は戦時中保管されており、最終的に何も支払われていない。
  戦争直後、麻生炭鉱のような会社(複数)が、朝鮮人・中国人の強制連行労働者への未払い賃金を日銀に預託し、その金は現在も保管されたままである。

 (図表: 福岡捕虜収容所26分所:麻生吉隈炭鉱 国籍別捕虜の人数 1945年5月から9月 資料:俘虜情報局)

 冷徹な非妥協性は、常道化したパターンの一環となり、何十万の朝鮮人、数万の連合軍捕虜と中国人にたいし、日本の国家と企業は60年のあいだ、謝罪と補償を拒否し続けてきた。
 彼らは戦時日本の企業強制労働の犠牲者である。広汎なアジア太平洋地域で、皮肉にも西欧殖民地政策のくびきがら名目上の解放をされたのち、意思に反して日本帝国のため働かされた何百万のいわゆる「ロームシャ」と呼ばれるアジア人労働者については、さらに僅かしか知られていない。


 家族の伝統にそって麻生太郎氏は1970年代のほとんどを、ファミリー・ビジネス運営に費やし、ついで政界入りし、やがて国のトップ外交官となり、同時に第 2 次大戦中の日本がもった目的と行動に関して正当性と肯定を追及するネオ・ナショナリスト指導者のひとりともなっている。
 そのうえ、9月の小泉純一郎氏首相辞任のあとをうける有力候補者のひとりでもある。

  欧州と北アメリカがとった強制労働その他、第 2 次大戦にかかわる諸問題への対応とのコントラストは、教訓的である。
 ドイツは戦時強制労働の勘定書きを先取りして解決することにより和解への道を選択した。
 「記憶、責任そして未来」基金は2000年に設立されドイツ連邦政府と6,500以上の企業がおよそ 60 億ドルを出資した。
 2005 年末で補償金支払いが終結にちかづき、160万人の強制労働犠牲者またはその遺族が個々に謝罪を受け最高1万ドルまでの象徴的な補償金を受けている。


 同様にオーストリア和解基金が最近、ナチスの戦争遂行機構を支えるために強制労働に従事した13万2千人またはその家族にたいし3億5千万ドルの支払いを完了した。
 1990年代半ばから、スイスとフランスの銀行と保険会社がホロコースト犠牲者から略奪した資産の賠償として高額を支払った。
1988年、米議会とカナダ議会は公式謝罪文と 2 万ドルの個人補償をもって収容された日系人に応えた。


 中国、韓国、北朝鮮、西欧、そして日本の活動家が、広く行われていた日本国家と民間企業による強制労働の歴史現実が正直に認められ補償されることを要求している。
 多国間のこのような補償運動には情報がカギとなる。
 クリストファー・リードによる下記の記事は、日本のまた国際的リサーチャーたちの協力をうながして、日本のマスメディアが成し遂げ得ないことに成功している。
 リードは、麻生一家の強制労働への深い係わり、また麻生太郎氏個人の会社における指導性について明快な報告を寄せた。
 外務大臣自身が火つけ役となり地域的緊張が高まるなか、リードの質問は理にかなっている。
「麻生太郎氏は日本外交の長として適任なのか?」 -- ウィリアム・アンダーウッド]

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 外務大臣としての麻生太郎氏の公式発言の数々は東京と他のアジア諸国との緊張のみを高めた。
 しかし、戦時下強制労働と麻生一族とのつながりは、彼が日本の近隣諸国との良い関係を総括的にみる能力があるかについて、さらなる疑問を投げかける。
 第二次大戦中、麻生一族の炭鉱会社は数千人の朝鮮人を強制労働に使用した。
 60年以上前、朝鮮人、中国人および他のアジア人が奴隷のような労働条件で地域全般において労働を強要された。
 この過去からの遺産が、極東アジアでの通常外交関係の維持に関する東京の中央政府の課題となっている。
 麻生炭鉱で 300 人の連合軍捕虜が強制労働に従事したという事実も、新らしい認識として現在、西欧社会に広がりつつある。

(写真: 日本の外務大臣 麻生太郎)

  麻生家という背景、およびこの問題にみずから個人として係わる姿勢を拒否したことにより、外務大臣にとどまるのは無理だと指摘するものたちも出てきた。
  一方、九州の歴史家たちの最近の調査で戦前、戦中の朝鮮人労働者使役に麻生一族の果たした役割が詳細に判明した。
 これらの歴史家たちによると、朝鮮人採炭作業員たちは組織的な低賃金、食糧不足、過重労働、で貧窮状態におかれた。
 地底作業を強制され、24時間体勢で監視されていた。
 1945年の日本の敗戦によりはじめて解放されたのである。


 麻生氏自身は1973年から79年まで福岡の会社を経営したのち、政界入りをした。
 当時彼は強制労働者使役の過去を語らなかったし、会社とはなお関係をたもちつつ、それ以後も話したことはない。
 この態度により、今年65歳の麻生氏に、世代が違うから、という言い訳はきかなくなる。

 [ドイツの反応]
東京のドイツ大使館の役人が匿名を条件で話したところによると、ドイツの場合、家族のつながりそのものが個人に作用することはない反面、麻生氏のこの行動はドイツ的尺度からすれば外務大臣として不適格となる。
「麻生氏の家族との関わりから、彼には社内の悪行について語る機会があったが、彼はそうしなかったから」であり、同時にまた、「過去の犯罪的政策を擁護するごとき」発言をしたからでもある。

麻生氏は外務大臣のようなポストには絶対に「受け入れられない」。

「国会議員にはなれるだろうが、内閣の一員とはなれない」とこの役人は言う。
この件に関して日本の外務省に問い合わせたが、応答はなかった。


中国の李肇星外相も最近、14 人の A 級戦犯が合祀されている東京の靖国神社に小泉首相が引き続き参詣する「愚挙」について、「不可解だ」というドイツ政府官僚の言葉を引用している。
この官僚は李外相に語った、「ドイツの指導者ならアドルフ・ヒトラーやナチ戦犯の有罪決定者の埋葬地で参拝など決してしない。」 ドイツ人たちのこの見解を補足するのは、昨年 10 月九州の国立博物館会館式のスピーチで開陳された麻生氏の日本民族優越論支持である。

そのとき、彼は日本のことを「ひとつの国家、ひとつの文明、ひとつの言語、ひとつの文化、そして単一民族で、地上どこにも、このような国はない」と言った。

これは 1930 年から45年、ファシスト時代の日本に呼応する言葉である。
日本のメディア関連の学者たちは、企業強制労働、とくに麻生一家の果たした役割について詳細な報道がないことを憂える。

「麻生氏は 9 月の首相選の候補者なのだから、彼の姿勢と行動は政治問題だ」(東京大学 花田達郎情報学教授)
「彼の資格の問題は日本人一般にたいして公開されるべき重要課題だ」オファー・ヘルドマン(作家・日本政治の学者)
同じく、花田教授も麻生氏の関与にたいして沈黙するメディアと日本の記者クラブ制度を批判する。

ジャーナリストたちはその中でニュース提供者を傷つけるかもしれない批判の多い問題については沈黙するのである。

[企業の歴史]
麻生家の炭鉱業が豊かな埋蔵量のある筑豊炭田で始まったのは19世紀にさかのぼる。
太郎氏の曽曽祖父太吉が 1872 年に会社を興した。
一時は半ダースもの鉱を九州に所有し、黒いダイヤ日本産出量の半分を占める地域の三つの家族法人炭鉱のうち最大の規模であった。

戦時朝鮮人強制労働と外相の家族的つながりはすでに日本と韓国のあいだの会合で問題になったことがある。
昨年 11 月、強制労働問題に関する日韓協議で韓国側の委員長をつとめた崔鳳泰氏は委員会が名をだした麻生関連企業その他について、日本側は全く情報を提供しなかったと記者団に語った。
麻生炭鉱の後継者である麻生グループのスポークスマンはそんな昔の記録は入手できないとしてこのようなデータの提供は困難だろうと語った。

しかしながら、九州の歴史家たちの調査は、戦前、戦中の朝鮮人労働者の搾取に麻生家の果たした役割について、新情報を提供した。
林えいだい、おの たかし、福留範昭らが、公式資料および地方図書館の資料をひき、同時代の統計、麻生炭鉱の報告書をまとめ、林はそのいくつかをいれた本の出版もしている。

(図表: 俘虜情報局 ある炭鉱収容所における捕虜の仕事概要の書類)

会社の記録によると、1944 年 3 月まで麻生炭鉱には総計7,996人の朝鮮人労働者がおり、そのうち56名が死亡した。
4,919人がこの強制労働王国から脱出しおおせている。
全福岡では、51.3%の逃亡率であるが、麻生鉱山では61.5%で、「彼らの状況が他より悪かったから」と福留氏は言う。
林の編纂した資料によれば、麻生炭鉱の朝鮮人労働者は、同じく石炭を掘る日本人労働者にくらべ賃金が三分の一少なかった。

一ヶ月50円になったが義務付けられた食糧、衣料、宿舎、強制的な貯蓄を差し引かれて10円にならなかった。
逃亡意欲をそぐ狙いから課せられた強制貯蓄はしばしば支払われることがなかった。
労働者たちは 15 時間労働で週 7 日、休日なしで働いた。
通電した有刺鉄線をトップに巡らせ、高さ 3 メートルの塀がぐるりと囲んでいた。


1939年に、日本政府は国家総動員法を可決し、これにより朝鮮人を含み、台湾、満州などすべて植民地の皇民は東京からの指示で必要となればどこであろうと、強制労働をさせられることとなった。

九州の学者たちは麻生炭鉱が朝鮮人労働者を1930年代中ごろ、法の制定より以前に、九州に向けて船で送っていたことを書類から跡付けている。
正確な数はわからないが、推定12,000人の労働者がこの会社に在籍しており、1932年、400人の炭鉱夫がストライキをしたために必要とされたケースもあった。
歴史学者たちの計算では、1939年以降、全筑豊地域のアジア人強制労働者数は百万人を越えた。
麻生グループは一度ならず名称をかえ、2001年には世界一のセメント・メーカーであるフランスのラファージュ・セメントと合併した。
麻生氏の弟泰(ゆたか)が引き継ぎ、麻生ラファージュセメント株式会社の社長をつとめている。昨年 12 月、フランス大使が東京でシャンペン・パーティを催し泰氏にレジヨン・ドヌール勲章を授与した。来賓は麻生太郎と妻ちかこだった。

[家族背景]
日本の最近の貴族伝統に染まった一家に、これはふさわしい賛辞だった。
麻生氏は19世紀をとおして地主紳士階級だった家の御曹司である。
武士であった曽祖父の大久保利通は、1868年、数世紀にわたる将軍家の時代の転覆を指導した 5 人の有力貴族のひとりで、これにより日本近代の招聘がなされた。
麻生太郎は代々の皇室を教育した学習院大学を卒業し、ロンドン大学に留学し、当時の麻生インダストリーズに入社、すぐさま社長になった。
生まれのよい先祖にふさわしく、1976年のモントリオール五輪では日本のライフル射撃チームの一員だった。

 麻生氏の祖父、吉田茂は1946年から1954年まで首相を 5 期、つとめた。
 麻生一族にとって都合のよいことに、独裁的保守主義者の彼は、1950年代に炭鉱組合の赤狩りを実施した。
 ちかこ夫人も自民党首相を 1980 年から82年につとめた鈴木善幸氏の娘として一家の箔付けに一役買っている。


  皇室との縁まであり、麻生の妹信子は、天皇の従兄弟にあたる三笠宮寛仁親王と結婚したが、彼は最近、女性の皇位継承に反対して新聞を賑わせている。

 男子継承のため妾腹案を提唱しているが、これは日本を数世紀前に後戻りさせる皇室の伝統である。
 政界の上位をしめた家族歴により、麻生は伝統と何十年もたいして変わらぬ思考法の両方を身につけている。
 首相自身を含め、小泉内閣には 6 人も、元首相、閣僚、国会議員の直接の親族がいる。
 特命担当大臣 7 代目の中馬弘毅氏の父は大阪知事だった。

 小泉の祖父と父は大臣で従兄弟は神風パイロットとして1945年に出撃戦死している。
 官房長官安部晋三氏と神風の縁で結ばれているが、安部氏の神風訓練を受けた父は最終的に飛ばなかった。
 彼は 1982 年から86年、外務大臣の地位まで昇っている。

(写真: 1945年 9 月15日解放された連合軍捕虜たち:九州のある収容所で)

 この秋、小泉後継者の最有力候補である安部は、また岸信介の孫である。
 岸は A 級戦犯容疑者として巣鴨で 3 年を過ごした。
 意外にも、彼は 1957 年から60年まで首相にまでなり、この間に首相の権限で日本人活動家そして国会そのものが中国人強制労働について、政府記録を得ようとするのを阻止した。
 これは経済生産と軍需担当の戦時内閣閣僚として岸自らが遂行に手をかした戦争犯罪である。
(詳細は前出のジャパン・フォーカス・レポート、「中国人強制労働、日本政府と補償の見通し」参照のこと)

 これらの背景を理解しておくと説明がつけやすいかもしれないが、日本の独自性を主張する例の博物館スピーチに見られるような、挑発的なネオ・ナショナリスト麻生の一連の発言をもたらした思考とはどういう枠組みなのか。
 これらの発言は、植民地主義者の姿勢を繰り返し見せて、日本の近隣諸国、とくに中国と韓国を怒らせた。
 博物館発言が無視しているのは、日本の真実の人種的根源と、また多数が誤って主張しているが日本は単一民族ではない、という事実である。

 麻生は彼の国の原住民族たちの存在を知らないとみえる。
 生物学的に異なる身体的特徴をもつ北海道のアイヌと沖縄のひとたちである。
 これら二つの住民たちは自身の言語をもち、人類学者も考古学者も、本州の日本人はアジアの数箇所に出自があるという点で早くから一致した意見である。
 ネオ・ナショナリストの議事予定麻生は最近、1910 年から45年の日本の植民地支配のもとで創氏改名した朝鮮人たちは自発的にそうしたのだ、と主張した。
 これは日本が可決した法、彼らに創氏改名を強制し、拒否したものには刑罰を課して直接の圧力をかけた法律を無視した発言だ。
 2 月の初旬、台湾の今日の高い教育水準は義務教育の成果であり、1895 年から 1945 年の日本の植民地支配の期間に日本によって課せられた「良いこと」だという発言も麻生は追加した。


 靖国神社で日本人戦死者に栄誉を与えることを熱烈に支持している麻生であるが、1月には自民党同僚議員の許容範囲を逸脱することをしたとみえる。
 明仁天皇がかの神社に参拝するべきだと彼は言ったのであるが、これは麻生の緊急動議を自分たちや党からは切り離しておきたいと明らかに考える政治家仲間により、たちどころに控えめな扱いを受けてしまった。

 現在の天皇は一度たりと靖国を参拝した事実はなく、彼が足を踏み入れない理由は(公表はされていないが)確実に戦犯と関連がある。
 1978 年以来、戦犯たちは靖国に合祀された、というより「神」という神聖な身分で「聖所に安置された」といったほうが良いだろう。
 その後、さきの裕仁天皇は一度も参拝していない。

 外務大臣麻生はまた遊就館にも公に支持表明をしているが、同館は靖国神社に隣接し、修正した歴史記述を誇らかに推し進めている。
 遊就館は 2002 年に模様替えがなされ、悪名高い泰面鉄道の機関車などの遺物により日本の戦争行為に栄光を与えている。
 この鉄道は10万人のアジア人、1 万 6 千人の連合軍捕虜の死をもたらした強制労働によって建設されたものである。

(写真: 遊就館)

 麻生の執拗で挑発的な発言がニューヨーク・タイムズを刺激し、日ごろは見せないやり方で、2月13日、麻生批判の社説を掲載した。
「日本の無礼な外務大臣」という見出しで、同紙は彼を非難する、「第二次大戦で最高潮にたっした日本の破滅的な軍国主義の時代、植民地支配と戦争犯罪の時代、それについて扇動的な発言をし、正直でもなく賢くもない」。
 さらに加えて「日本での公式発言と学校での近代史授業が、自国の責任である恐るべき出来事ときちんと折り合いをつけたためしはいまだ一度もない。
 集団強制連行、若い朝鮮人女性たちの性奴隷搾取、中国の諸都市と無防備な捕虜に実施された生物学戦時実験、南京での何千人という中国民間人のサディスティクな殺害などである。[1937 年 12 月から 1938 年 2 月] 」


 日本の戦争犯罪を列挙するなかで強制奴隷労働に触れなかったのはタイムズの見落としかもしれないが、他のすべての大新聞とおなじく、同紙も麻生一家と強制労働との係わりを無視している。

 私は最初まず、2月 2 日に、米国に本拠をもつオンラインの政治問題ウェブサイト、カウンター・パンチに麻生炭鉱の朝鮮人強制労働者の状況を詳細に書いたがその後、英国人とオーストラリア人捕虜をもいたことが分かってきた。

 そのときから現役ジャーナリストとして、その詳細をさまざまな主流紙に掲載しようと努力してきたが、成功していない。

 [メディアの無関心]
 拒否または沈黙で対応した有力紙をあげれば、ニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズ、ルモンド、ワシントン・ポスト、トロント・スター、カナダのグローブ・アンド・メイル、シドニー・モーニング・スター、キャンベラ・タイムズ、エイジ・オヴ・メルボルン、オーストラリアン、オーストラリアのニュース雑誌ブレティン、そしてイギリスのオブサーヴァーとニュー・ステイトメントの各紙で、ほとんどすべて過去に私の記事を掲載した例がある。
 日本で拒否したのは、週刊金曜日、週刊ポスト、週刊世界、季刊リール・ジャパン、そして新潮社である。
 唯一の掲載誌は韓国の月刊誌シサ・ジャーナルであった。
 カウンター・パンチの記事を書き改めたものが、私も会員となっている日本外国特派員クラブの新月刊ニュース、ナンバー・ワン新聞の 4月号に載った。
 これが日本の主要新聞、テレビの支局長たちに読まれ、多数の日本人ジャーナリストたちも読んだ。
 それでもどこからも声はかからなかったけれど、やっとある同僚がジャパン・タイムズに当たってみてはと言った。
 同紙が私の麻生記事を引き受けて 4 月25日に掲載したのである。

 編集者たちによる拒絶話をしたが、これは軽んじられた特派員の呟きというわけではない。
(私の仕事ははいまもってあちこちで掲載、放送をされているのだから)。
しかしながら、いまの時勢にメディアがもつ姿勢への重要な内視鏡になる。
私の「送球」を旧聞だといってはらいのけた編集者もいる。
しかし、これは真実ではない。
BBCやニュース取次ぎ店各社が麻生と奴隷労働のかかわりにさらりと触れたことはあるが、これらは韓国で行われた訴えのなかで出たものであり、一段落ほどで片付けられた。
これまでの却下の仕方は実のところ、アジア政界の(保守的)大物について深入りするなどという当惑は願い下げにしたいという気持ちを、遅まきに合理化したものにすぎない。
たやすく手に入る話題にもかかわらず、内外の主要メディアのどれひとつ、日本の外務大臣が戦時日本の強制労働に関わりがあると報道していない事実は、残る。
ここまで話したことすべてが、昨年 30 年ぶりで日本に戻ってからの印象を強めることとなった。
多くの解説者とくにビジネス業界のひとたちが言いたてるのとはうらはらに、日本はすこしも「西欧化」が進んでいないし、リベラルにもなっていない。それどころか、隠れていた右派ナショナリズムが、気に入らないニュースの抑圧という派生状況とともにふたたび現れようとしている。

しかも、立会い人である評論家たちがもっとも目を覚ましていなくてはならないときに、彼らは状況をつきつめる義務を果たしていないのだ。
1970 年代、東京にいた私たち若い特派員たちは、日本の残虐行為と他のアジア諸国への鉄拳にほとんど気づいていなかった。
「植民地主義」も「ファシズム」も語られることがなかった。
これは、裕仁天皇を穏便に扱うという米占領軍の決定と大いにかかわりがあり、最高位の人間の責任を問わないのであれば、彼の究極の権限のもとでなされたことに首を突っ込むのは危険だったのである。
現在それら真実のほとんどは明るみに出た。

しかし、西欧の評論家たちは同様の仕方で現われた別の影響の波を受けている。
日本の醜い過去を穏便にすまそうとしている彼らは、差し迫るソヴィエト共産主義との回避を考え、あるいはそれを言い訳にしているのである。
自由世界に対する「共産主義」最新の脅威、最近あらたに鋳造された痛烈な中国批判から、なにものも手をゆるめてはならない。

麻生の言葉では、「無視できない脅威」と表現されている。

現行プロパガンダの不正直さは、最近、読売の国際ニュース編集長代理、川田徳治によって表面化した。

4月28日付けの英字新聞で、彼は日本の高級閣僚の靖国参拝者たちに対する中国の高飛車な態度を非難した。
川田の口から、日本が中国で殺し、略奪し、強姦し、強奪した半世紀、それについて日本がこれから償い、適当な癒しをもたらさなくてはならない事柄が、一言なりと語られることはなかった。
彼はまたこれらの事実があったことさえ否定しようという、日本のなかに育ちつつある傾向についても何も触れなかった。

30 年ぶりに戻った日本で、60 年昔の出来事と効果的に折り合いをつけることへの拒否が大きな障害となり、正常な平和的外交関係を楽しめないことになろうとは予測さえしなかった。
しかしこれが現実であり、この題目は消えることはなく拡大するだろう。

現に、麻生外務大臣はこの方向で最善を尽くそうとしているようである。


(翻訳:伊吹由歌子)この論文は、2006 年 4 月25日掲載のジャパン・タイムズの記事をふくらませたものである。
クリストファー・リード氏は英国人、フリーランスのジャーナリストとして日本に住む。1970 年代に特派員として出発し、永年、カリフォルニアで、英国紙ガーディアンの特派員をしていた。ウェス・インヤード氏の広範囲にわたる連合軍捕虜収容所についての調査を彼のウェブサイトhttp://home.comcast.net/~winjerd/POWCamp1.htm)で見ることができる。
伊吹由歌子は第 2 次大戦の連合軍捕虜、民間人抑留者などの本、資料を翻訳している。カリフォルニアの非営利法人 US-Japan Dialogue on POWs, Inc.の東京代表である。
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