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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060606-00000003-scn-cn から転載。
中国ニュース - 6月6日(火)11時57分
【中国】「戦後も戦った日本兵」を描いたドキュメンタリー
【中国】「戦後も戦った日本兵」を描いたドキュメンタリー <サーチナ&CNSPHOTO>
中国を読み解く視点(12)−高井潔司(北海道大学教授)
6月はじめに上京した折、この夏公開予定のドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』の試写会とその監督の講演会に参加する機会を得た。監督は、カンパ頼みの自主制作ながら数々の国際的な賞を獲得した『延安の娘』を手がけた池谷薫氏。前作同様、真実を追い求める池谷監督の迫力に圧倒された。
第2次世界大戦における日本の戦争の実態について証言できる人々の数は、年々減ってきている。それに反比例して、戦争責任を否定し、「愛国心」を強調し、ことさらアジアの国々と対峙する言論を振りまく人々が増えている。今回の作品は戦闘シーンの全くない映画だが、戦争の実相を考えさせてくれる秀作である。
映画のあらすじは、映画自体まだ未公開なので、『蟻の兵隊』の公式ホームページ(http://www.arinoheitai.com/)から転載させてもらう。
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今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは「戦後も戦った日本兵」という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの「売軍行為」を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は「初年兵教育」の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、「日本軍山西省残留問題」の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。
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映画のストーリーは、いわば無辜(むこ)の庶民を戦争に駆り立て、殺人者に仕立て上げ、さらに終戦後も兵士として残留させた挙句、「逃亡兵」として切り捨てた国家のむごい犯罪を告発する作品といえよう。奥村さんたちは、日中戦争の後の国共内戦で国民党側に立って戦い、残留した2600人の兵士のうち550人が戦死し、700人が捕虜になった。奥村さんは帰国する昭和29年まで、国の命令を受け、天皇陛下のために戦ったと思っていた。帰国して初めて国に裏切られたことを知った。残留兵の仲間たちと軍人恩給の支給を求めて、国を相手取った裁判を起こしたが、ほとんど門前払いの形で敗訴している。
こうした経緯を見るにつけ、庶民を戦争に駆り立てておきながら、逃げ回っている指導者たちの無責任さを実感する。小泉首相らは「心ならずも戦場に行かれ、亡くなられた方に心から哀悼の誠をささげ、不戦の誓いをする」ためと、靖国参拝を重ねる。追悼は当然必要であるとして、この映画を見るにつけ、まずあの戦争に多くの庶民を動員し、アジアの人々を虫けらのように虐殺した責任を明確にした上で行うべきだと感じる。
映画自体は、裁判のために新資料、証言を追い求める奥村さんをカメラで追いかけるスタイルで、奥村さんの被害者意識と加害者意識でゆれる心や長い間戦争体験さえ語ることの出来なかった妻との日常生活など、様々な角度から描いている。時には笑いやユーモアも込められており、決して身構えて見る必要はない。映画として十分楽しめる内容でもある。この映画を見て、アメリカのイラク戦争を告発した『華氏911』を思い起こしたが、真実に肉迫しようとする画面の迫力は、それをしのぐかもしれない。80歳の高齢をおして、中国大陸を17日間、3000キロを踏破し、新証言、証拠を追い求める奥村さんの執念が込められている。
奥村氏らの「戦い」については、取り上げているのはこの映画だけではない。すでに昨05年7月18日付の朝日新聞第2社会面、8月16日、17日付の読売新聞第2社会面で大きく紹介されている。今回の映画公開でさらに論議が高まることになろう。映画公開にあたって、大学生たちの自主上映運動も始まっており、奥村さんの戦いは「孤独な戦い」ではなくなりつつある(写真は映画のポスター)。