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http://www.asahi.com/international/update/0528/001.html から転載。
皇居に1世紀眠る「渤海国の石碑」、中国で返還求める声
2006年05月28日12時22分
皇居の中に、中国から運ばれた一つの石碑が眠っている。7〜10世紀に東北アジアにあった「渤海(ぼっかい)国」と、唐の関係を伝える史料で、日露戦争後、「戦利品」として当時の日本軍によって持ち出された。中国の研究者らの間でいま、この碑の公開や返還を求める声が出始めている。
8〜9世紀の東アジア
石碑は「鴻臚井碑(こうろせいひ)」と呼ばれ、横3メートル、高さ1.8メートル。713年、唐が渤海国の国王に「渤海郡王」の位を授け、唐と渤海国が君臣関係を結んだことを記している。現在の中国遼寧省旅順市に設けられた。
日本と直接関係のないこの碑が皇居に移されたのは1908年。防衛研究所図書館収蔵の「明治37、38年戦役戦利品寄贈書類」などによると、海軍によって、日露戦争の激戦地だった旅順から運ばれ、戦利品として明治天皇に献上された。
それが最近になって、中国の遼寧省を中心に、碑の公開や日中の共同研究、中国への返還を求める声が出始めた。
遼寧省大連市の政治協商会議(市政の諮問会議に相当)では今年1月、大連大学の王禹浪教授らが石碑研究の促進を求める提案をした。王教授は「多くの人が石碑のことを知るべきだ」と話す。大連日報は3月、石碑の特集記事を掲載。「国宝の返還には団結が大切だ」として返還を求める意見を紹介した。旅順市では石碑の展示館建設計画も浮上している。
北京の研究者らが04年に設立した「唐鴻臚井碑研究会」(羅哲文会長)の関係者は、「石碑研究での協力を進め、中日友好関係を発展させたい」と話し、性急な返還要求には慎重だが、研究への日本の協力は求めたいとしている。
中国側の関心の背景には、歴史的な帰属をめぐる韓国との論争がある。中国から見れば、石碑は「渤海国は唐の藩国であり、中国の歴史に位置づけられる」ことを示す物証となる。中韓両国間では、渤海国の前にこの地域にあった高句麗をめぐって激しい論争があり、昨年5月の首脳会談でも取り上げられた。石碑は高句麗論争の有力な材料にもなりうる、というわけだ。
関係者によると、やはり日露戦争後に朝鮮半島から日本に持ち去られ、靖国神社に置かれていた「北関大捷碑(プックアンテチョプピ)」が、今年3月に北朝鮮に返還されたことも、今回の動きを刺激しているという。
渤海史を専門とし、99年に石碑を紹介する論文を発表した国学院大栃木短大の酒寄雅志教授は、「渤海という国ができた当時を考えるかけがえのない史料だ。皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」と語る。
宮内庁によると、石碑は現在も「国有財産」として皇居内の吹上御苑で保管されている。立ち入り規制があり、写真の提供に応じることはあるものの、公開はしていないという。返還などを求める動きについては、「そういう報道には接していない」としている。
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〈キーワード:渤海国〉 698年から926年まで、現在の中国東北地方とロシア沿海地方、朝鮮半島北部にまたがる地域を領土とした国家(当初の国号は「震」)。「海東の盛国」と呼ばれたが、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗(紀元前37〜668年)の遺民や、現在の中国・満州族の祖先とされる靺鞨(まっかつ)などによる多民族国家だったため、契丹に滅ぼされた後に継いだ国はなく、自分たちで書いた歴史書も残っていない。「まぼろしの王国」とも呼ばれる。日本とは727年以降、使節の派遣などを通じて、友好関係にあった。