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(回答先: Re: 会員制にして会員以外はお断りというシステムにすればいいのや 投稿者 薬痴寺 日時 2006 年 5 月 23 日 06:33:02)
議論が白熱している中、稚拙な検証ですがひと言だけ述べさせてください。
この件に関しては、裁判となり原告側の有道さん方のサイトに日英両言語で
有道さんの考え方が掲載されています。(*1)また、この有道さんの採ら
れた行動に対してどちらかといえば批判的な目なのが、グレゴリー・クラーク
さんのようで、かつて有道さん支持者とクラークさん間での書簡の公開が、
有道さん支持者側のサイトで1件(*2)、逆に、クラークさん支持者側の
ブログが1件(*3)です。それぞれ下記にサイトのURLを紹介してあります
ので興味のある方はご覧ください。
まず、薬痴寺さんのレスは極めて日本的なのではないかと拝読いたしました。
差別というよりも区別ですね。でも、本音は仲間内でくつろげるように
内なる壁を区別と悟られないようにつくる。現在、わたしは日本人と結婚した
人から外国語を学んでいますが、個人的な愚痴で、日本的な区別に振り回されて
心が安らがないときがあると打ち明けられたことがありました。この件からは
離れますが、皆親切で挨拶もしてくれる、しかし、腹心のないつきあいの席に
呼ばれるということがない。彼らは自分をfavorite(裏表なく好意的)なのか
表層上だけ機嫌よくして本当はreject(拒絶)なのかわからないという意味
らしいのです。そしてそれはtoo complicated to see the whole(本音が表層
化しないように幾重にもオブラートにくるまれていて、わかりづらい)だが
感覚として自分が除かれているのは認知されていて、気が晴れないのだそうです。
yes=yes,no=noで*2にあげたクラークさんと有道さん支持者間の書簡は最後は
決裂して終了するのですが、続行する意思のないことをきちんと表明しています。
実にno=noというのが明確(clarification)なのです。 yesといいながらも
noを漂わせたりという姿勢は*2のサイトからはうかがえません。
また有道さんの行動もこのyes=yes,no=noで被告の銭湯に対して法による裁きを
一貫して要求しています。途中和解勧告がだされたようですが、妥協していません。
その辺の気持ちは*1を参照にしていただければと思っております。
クラークさんは自分の正義のみで白黒はっきりつけたがることを(do-goodersと
表現している。自分の信念のみに義があり他を受容しない人びとという解釈らしい)
憂いている。むしろkeep trying "gentle admonition"(やんわり注意してあげる)を
続行することを薦めている。
法律による法治国家ではありますが、日本はアメリカなど西洋諸国にくらべて
まだまだ人治といいましょうか、悪い評判をたてられるということが一種の制裁に
なってまわってきた歴史というのはあると思うのです。今でも、氏名公開という
のは一種の制裁であると思うです。それは恥の文化とも無縁ではないと思うので
すが、「○○(企業)はこんなことをしでかした」ということが公表(coming out)
されれば、もしも法的な制裁、または行政指導などがなくとも、それはじゅうぶんな
ダメージになりえましょう。その点この銭湯の所有者は全国に公表されることで
じゅうぶん制裁を受けたと思われます。ただし、日本人同士ならば「あ・うん」で
潮時を測るかもしれませんが、法にのっとって、yes,noを明確(clarification)に
する社会慣習を身に着けた人たちには悪いことをして法による裁きがないことは
納得できないという感覚なのかもしれません。
銭湯でのハプニングといえば、昔このようなことに遭遇しました。
手術の末、肉体が女性に生まれ変わった元・男性たちの集団が、複数女湯の
脱衣室に入ってきたのです。全員が言葉を発しなければ問題は起こらなかった
かもしれませんが、彼らは皆陽気で脱衣室中に響き渡るくらい大きな声で
しゃべりながら化粧を落とし始めました。身体は女性ぽくても声は成人男性の
それです。勘の鋭いひとりの女性客がフロントに駆け込み、すぐに従業員が
複数やってきて彼らを他の女性客が見えないスペースへ隔離しました。
彼らは他意はなく単に湯を楽しみたかっただけで身体も女なので女湯への
入湯を強く希望する声が響き渡りましたが、気づいたときは彼らの姿は
ありませんでした。この後の顛末もわかりません。
しかし社会が多様化すれば、従来のケースではすぐに対応できないケースも
増えています。銭湯には格別の思いを寄せる日本人は多いだけに、この日本人の
思いが伝わるシステムをうまくつくれればと思います。会員制も一助かも
しれませんが、やはり人間は感情の動物ですから、排除されていると、
どうしても薄々感づいてしまうのは否めませんし、さりとて妙案も浮かびませんが
クラークさんのおっしゃるように地道に説明していくのも一案なのかも
しれませんね。
参考サイト
*1http://www.debito.org/nihongo.html
*2http://www.geocities.com/gregoryclarkdotnet/Gregory_Clark_Discussion_Group_Archive.htm
*3http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/50480040.html