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http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_470b.html
2006.05.18
インド政府が、下層カーストに割り当てられている大学入学定員を増やす計画を発表し、上流カーストを中心に抗議行動が活発化しているらしい。各地の病院の医師や医学生がストライキを行なっているというロイター電を読んだ。気が付いてみると、一週間ほど前から、夥しい数の報道がある。例えば Rediff の特集ページ。
広く、アファーマティブ・アクション(affirmative action)など定員割り当て(quota)による差別の解消方略については、例えばネオリベな人たちは端から拒絶反応を示すのではないかと思うが、私は、クオータ制によって問題が根本的に解決されるとは全く信じないものの、経過的な措置としては効果を発揮することもあり、やってみる価値はあるものだと考えている。少なくとも毛嫌いせず、状況に応じて考慮の対象とするべきだと思う。
というわけで、インドの現状で、現在検討されている留保制度(Reservation)に期待が持てるのかを考えたいと思ったのだけど、なかなか敷居が高い。SC (= Scheduled Caste、指定カースト、つまり Dalit 不可触民。人口のほぼ6分の1を占める)、ST (= Scheduled Tribes、指定部族、少数民族らしい)、OBC (= Other Backward Castes、つまり、ダーリット以外の下層カースト)等々、用語の定義を見ても、実感が湧かない。行ってみたいぞインド亜大陸。
とりあえず、次の二つのサイトに目を通すことから始めようと思う。先は長い。
Broken People: Caste Violence Against India's "Untouchables" (Human Rights Watch Report, 1999)
Dr. Babasaheb Ambedkar and His People
"Broken people" というのは "dalit" という呼び名の意味。アンベードカルさんというのは、20世紀インドにおける不可触制(untouchability)との闘いの生みの親のような人らしい。
インドの問題は日本の問題と少しずつ重なっている。このような社会の階層性のようなものも、各国固有の伝統であって尊重されなければならないものなのだろうか。私にはそうは思えない。こういう差別や搾取、構造的暴力の下支えをしている宗教であっても、それに対し寛容であるべきだろうか。それは原理主義であるようにも思われる。このような問題を抱えていても、無条件でその国を愛する心を育てるべきだろうか。いや、悪しき過去に連なる悪しき現在を糾していく勇気こそ育まれるべきであるはずだ。