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(回答先: 満州国の治安】金日成も知らないのだろうか? 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 5 月 14 日 22:01:20)
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こうして間島における惨劇が頻発した。たとえば、一九二〇年に起きた「間島虐殺」である。
一九一九年の<三・一運動の前後には、満洲と沿海州地方では三〇余の武装抗日闘争団体が組織されていた。こうした団体の構成員は、キリスト教・儒教・大 教などの宗教を信奉する場合が多かった。そして満洲と沿海州を夫余や高句麗の故地と認識して、自分たちが国権回復と民族解放の基地を建設するのだという自負心に満ちていた。それゆえに、この地域の同胞社会が、国権喪失前からすでに主権在民の原理に基づいて共和主義の自治政府組織をもつようになったのは、至極当然のことだった。このようにして、満洲と沿海州地域で養成された独立軍は、三・一運動を契機に熾烈な独立戦争を展開した。独立戦争の究極的目標は、日本軍を打ち払い、国内に進攻して民主的民族国家を建設することだった。>[鄭在貞氏『新しい韓国近現代史』桐書房一九九三年.一二八〜一二九頁]
http://members.jcom.home.ne.jp/goloh/pkman.htm
洪範図が率いる大韓独立軍は、一九二〇年初めには崔振東の軍および安武の軍とが連合して日本軍を撃ち、一部が黄海道地方まで浸透した。越境して追撃する日本軍と戦い、鳳 洞(琿春県)の戦闘(一九二〇・六)では日本軍一個大隊に集中砲火を浴びせて戦果をあげた。 日本軍は劣勢を盛り返そうと、満洲軍閥張作霖に圧力を加え、合同で独立軍討伐を試みた。さらに間島侵略の口実を設けるために、琿春事件(一九二〇・一〇)をでっちあげる一方、二万五〇〇〇余名の兵力を入れ、間島一帯の独立軍部隊および非武装の独立運動家たちを探しだし壊滅しようとした。この情報を入手した独立軍部隊は、深山密林の有利な地域に移動しながら日本軍と交戦を繰り返した。
北路軍政署・大韓独立軍・国民会軍・義軍府・光復軍(合計二一〇〇余名)は、一九二〇年一〇月青山里(吉林省和竜県)の戦闘で五千余名の日本軍(東支隊)と一週間一〇余回の攻防戦を交わし、圧勝した。こういう独立戦争を戦った朝鮮人の部隊は常にここ間島の深山密林を利用した効率的な遊撃作戦を行ない、また間島朝鮮人大衆の献身的な協力援助がこれを支えた。
http://members.jcom.home.ne.jp/goloh/pkman.htm
■□□□□□□□□□□(引用終了)□□□□□□□□□□□□□■
ま、戦果?が話半分にしても、ドンパチやってたことは間違いないでしょうな
次は別方面にしますかな。