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大阪毎日新聞 1923.2.18(大正12)
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手品のような千五百万円
怪しい阿片から湧き出す不浄金
取引所と鉄道従業員の罷業に絡まる青島軍司令官責任支出問題
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青島責任支出の問題は十七日の貴族院議場に於て湯浅倉平氏の糺弾的質問となって現れたが政府も予めこの事あるべきを推測して由比青島軍司令官を待命に処し秋山民政長官に重謹慎二十日を命じその他内田財務部長入沢鉄道部長を各重謹慎十五日に小林経理部長笠原経理部長を各軽謹慎五日の懲戒処分している、然らば責任支出事件とは一体どんな経緯になって居るのか、取引所の破綻に関して五十万円鉄道従事員のストライキに対して百二十五万円を支出した顛末と、その金の出所がまことに忌むべき阿片の不浄金であって、この不浄金あるが為めにどれだけ青島の民政史を□したか知れないのである
青島取引所の破綻は当時詳報した通り大阪北浜の仲買人松井弥兵衛一味が取引所の乗っ取りを企て別に証券信託会社を設立して両社の株を盥廻しで高値に蹴り上げた揚句の果てに正体を暴露して遂に破綻するに至ったのである、その後始末に民政部ではわざわざ片山法学博士を内地から招いて善後策を講じて貰ったがそれでも民政部は尚博士の言う通りに決断が出来ず兎に角この不始末を救済するために松井理事長は六十五万円を他の重役連中は五十万円を吐き出して別に民政部から五十万円を与えて始末をつけることとなった、尤も松井其他の重役の吐き出した金はその実取引所の帳簿上で仮装的に債権となっているものに棒を引くと云うことで別に彼等の腹は痛まず、馬鹿を見たのは民政部で何の因果か五十万円を相場師のために支出したのであるが併しその金も阿片のあぶく銭だから別に腹が痛まないと云えばそれまでである次に鉄道従事員の同盟罷業はどうして起ったか
元来鉄道の人は軍政の初めから勤めていたにも拘らず鉄道部はいつも民政部から継子扱いを受け同じ民政部の内でも常に暗闘の絶え間なく阪口部長(薪圃)和田部長(駿)前田秘書課長(慎吾)千秋寛 岩田熊治郎 中村謙介などいう課長連中の飛び出したのもこの暗闘と陥穽の余波で喧嘩の相手はいつも長官秘書官内田隆(前姓長田)で内田が秋山長官の虎の威を藉りて専横を働くということがいつも喧嘩の火元となり、今東京の市電に勤めて居る和田駿の如きは内田と殴り合いをして飛び出してしまったものだ、こんな始末から鉄道部の幹部はお人よしばかりになり部内一般から馬鹿にされ切っていた
所へ偶々退職慰労金に不公平な取扱があったので鉄道従事員は忽ち団結した愈々慰労金が発表されて見ると前年老朽淘汰の退職手当よりも遥に少い、無能で罷めらるるものよりも国策の変更で職を失う者の慰労金が少いということは不当だと一同は司令官及長官の処へ押しかけて強談の結果由比司令官は已むを得ず約百二十五万円の責任支出を余儀なくされたのである、併し如何に司令官とは云え百万円、二百万円という大金をやすやす支出するということは金がなくては出来ぬ芸当である、その金というのが問題の阿片の腐れ金である、阿片収入として青島軍民政部の予算面に麗々しく計上されてあるのは地方費一般収入の内に特許料収入として年額約四十万円ある、
内外人を驚かした司法官の金ばなれ 阿片一手売人劉子山の数へ切れない位の豪富
前記の四十万円は表向きの収入で癒者に吸飲せしむる必要から立派に表玄関から税関を通過して劉子山なる一手販売人をして売捌かしむる阿片の一定数量に対して課する特許料であるが、この外に隠れた阿片の収入が別にある、それは没収阿片や密輸阿片の密売による利得でその額は驚く勿れ年一千五百万円を下らぬと云う、民政部の歳入の大部分は全くこの阿片収入で病院も学校も乃至は料理屋迄も阿片のお金で建ったものだこれだけならばまだ好いが更に不思議千万な阿片の秘密収得金なるものが別口として隠されてある、民政長官の機密費が年額僅か五万円であるに拘らず金離のいいことは内外人を驚かして居た、歴代の司令官が青島を引揚げる際には誰も彼も十万乃至二十万円という大金をソッと懐にねじ込んで帰ったものだとの風評が伝わって居るのも実はこう云う後ろ暗い積立金が存在するからである、然らばその不思議な金というのは阿片の一手販売人劉子山が阿片の売捌きで儲かって儲かって仕方がない所から、窃に軍司令部に献納した冥加金である、劉子山は前世にどんな陰徳を積んだものか阿片の販売人となってから表面と裏面とで売捌く阿片の利得は実に夥しいもので一方に特許料として年々四十万円位を表玄関から民政部へ納め、裏口からソッと千五百万円と云う大金を納めながらそれども利益がどんどん増すばかり、金のやり場に困って先ず東莱銀行というものを建てて個人で経営するの外青島市内に土地家作等をウンと所有して其の財産は一寸推測し難いほど大きいだけあってその生活振りは実に豪奢の限りを尽しているそれだから今度わが軍が引揚げていよいよ支那の行政権に変るとき俄に周章狼狽して逸早くも当人は風を喰って大連へ落ち延てしまった、之は支那官憲から強圧されて吐き出させられるのが怖いからである、それで劉子山の手許から内密で某方面に渡された金額は東莱銀行の小切手で大正十一年の春までに五百万円といい或は百万円位だというものもあるが二、三百万円は動かぬ処であると伝えられるこの金の秘密を保つが為に当局者が非常なる苦心をして暗闘やら圧迫やら懐柔やら罪悪の限りを尽したがそれでも誰云うとなく噂が立って遂に当局者も押え切れず昨年の春その積立金を特別地方費として計上し用途指定寄附金と云う名目を附けて日支共同の利益に使用すべく劉子山から寄附したものだという形をとるに至った、その時の金額は実に銀百二十万円を超えて居たとの話で、司令官が取引所に対して五十万円をポンと投げでしたのも実に此金の内からである。この寄附金として表向きに計上せらるる迄大正六年から十一年の春までは其金がどう遣われたものやら神ならぬ身の知りようもない
折角積んだ不浄金の秘密から多年続いて行われた葛藤 民政長官怒鳴り込まる
この不浄金の秘密を嗅ぎ知った連中と民政部との間に多年続いて行われた葛藤の一伍一什を陳べ立つることは如何にも管々しいが、現に二三箇月以前にも伊藤政弘と云う人間が民政長官の処へ怒鳴り込んだ事実がある
伊藤は始め劉子山と一緒に阿片販売の特権を持っていたが、日本人の販売人は国際的にも聞えが良くないと云うので劉子山から七万円の手切金を出して伊藤の特権を買収することになった、然るに伊藤は其の手切金をまだ受取らぬから渡せと迫り、劉は七万円を民政長官に渡して置いたと云うので、そこで伊藤は長官にその金の引渡を請求するが長官は全く知らぬと刎ね付けたので、ここに伊藤は威丈高になって渡さばよし渡さねば議会でこの不浄金の秘密を素ッ破抜くぞと凄い文句を残して東上したとの噂である、こうした恐喝を禦ぐ為めに長官は政友会の壮士上り某を番犬に雇い入れているが某は勢力を笠に着て暴威を振うので青島市民から蛇蝎の如く嫌われている前年某は自分の悪口を云うたときいて一老人の家へ怒鳴り込みその老人に暴行を加えた揚句病床に居た妻君を足を以て蹴殺したそこで某は殴打致死罪を以て憲兵隊に一時検束され、死体を解剖して死因の検診が行われた、然るに奇怪至極にもこの時の検視医某は其筋からの大圧迫を受けて正当に死因を診断書に書くことが出来ず無理無体に病気死亡と云う診断書を認めさせられて某は無罪放免となったとか云う風評が専ら巷間に伝わって居る、何故民政部ではこんな壮士上りの浪人を庇って人民に迷惑をかけても大切に取扱わねばならぬのか、兎まれ素寒貧の一書生であった某はその後別に正案を営んだこともなくいつの間にか巨万の富を積んで納まって居るそうである