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(回答先: Re: 半月城通信にも「日帝の威光をかさに民衆を苦しめた輩」がいたと書かれています。韓国の元大統領もそうらしい。 投稿者 gataro 日時 2006 年 5 月 12 日 13:37:17)
gataro さん、こんちわ
> この結果、親日派は政界にも生き残りました。たとえば、韓国の朴正煕
>元大統領はかって日本満州軍の高木中尉であったという噂があるくらいです
>(寄田猛著「戦後50年めのいま始まった”親日派狩り”」、『日本人と韓国人』小学館、1995)
http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/481.html
噂ではなく、事実です。
朴正煕(元韓国大統領)氏は新京軍官学校(満州国)を首席で卒業、同国官費で日本の陸軍士官学校に留学卒業(57期)、終戦時は満州国陸軍中尉です。
ですから、満州国内でニポン人を朝鮮人より優遇したかも知れませんが、本土(韓国北朝鮮)とは、多少ニュアンスが違うと思います。
満州国内の朝鮮人については、半月城さんも微妙な書き方をしていると思います。
朴正煕氏は、朝鮮戦争の時は佐官級で韓国陸軍参謀本部勤務だったと思います。
当時の韓国軍は出来立ての軍ですから、将軍はほとんどいません。事実上、韓国陸軍全体を指揮命令する立場の一人だと言えましょう。朝鮮戦争に負けていたら、北の金パパにA級戦犯にされえたかも?(笑)
wikiを読んでびっくりしたのですが、独立後からしばらくは「南朝鮮労働党に加入し、軍内工作の首謀者であった」とされていますね。
ま、<キョウサンシュギの南進を防いでくれた人>には間違いないのですから、ボッチャン右翼や嫌韓厨は朴正煕氏に感謝すべきでしょうな。(笑)
彼ら韓国軍の絶望的とも言える死闘がなければ、釜山橋頭堡も壊滅し、ニポンは北の金パパ政権と対馬海峡で対峙しなければならなかったでしょう。
もちろん、「南朝鮮労働党」をキョウサンシュギとするのは単純馬鹿です。念のため。
なお、朴正煕氏はニポンの旧軍出身者と親交がありました。なんせ、同期の桜だけでも百人単位のニポン人がいて先輩後輩にはニポンの政財界でご活躍の人々が多数いますね。
この関係は日韓国交回復後の日韓経済に少なくない影響があったようです。(イミワカリマスネ?(^-^))
また、「一方の韓国軍は、7月3日に蔡秉徳(日本陸士49期卒・元日本陸軍少佐)が参謀総長を解任され、丁一権(日本陸士55期)が新たに参謀総長となり、混乱した軍の建て直しに当たっていた。しかし、米軍と合流して挑んだ7月5日の烏山の戦いでも大敗した。」などという記述もあります。
<参考資料>
「朴正煕」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95
しかし、熱烈なる(韓)朝鮮ナショナリストの半月城さんが、<朴正煕元大統領は・・・という噂があるくらいです>なんちゅうぼやけた表現をするつうのは、少し解せないですね。知ってて当然ですものねぇ・・・
ま、同じ朝鮮人官僚でも、朝鮮人を直接支配した在地官僚と満州・中国帰りとは、多少ニュアンスが違うだろうという程度の話です。
テーマから外れるないようですので、このへんで。