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[水面下でつながる米朝関係]--アメリカが睨む「危機」後の統一朝鮮 -- 松尾文夫(ジャーナリスト)
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投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 5 月 12 日 01:33:59: syFUAx3Wc1pTw
 

[水面下でつながる米朝関係]--アメリカが睨む「危機」後の統一朝鮮 -- 松尾文夫(ジャーナリスト)

 少し古い論文ですが、いまもその有効性は失われていない事から転載します。
 軍事理論や地政学を研究されるのも結構ですが、所詮、世界は人間の繋がりが動かしており、政治の動きを抜きにしては語れない事を申し添えます。

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『中央公論 2004/03』

〈水面下でつながる米朝関係〉 アメリカが睨む「危機」後の統一朝鮮

松尾文夫(ジャーナリスト)

出典 http://homepage.mac.com/f_matsuo/Sites/blog/水面下でつながる米朝関係92-101.htm


 かつて日中戦争時に日本を孤立に追い込んだアメリカの民間外交が北朝鮮問題でも活躍している。
 日本人には計り知れない多元的な外交の先にアメリカはすでに「統一朝鮮」を見据えている。

 緊張下に進むIT研修

 核開発の放棄問題をめぐって、激しい言葉の応酬と虚々実々の駆け引きを続けるアメリカと北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との間で、双方の大学同士によるIT技術の「研究協力」と銘打った民間交流、ありていにいえば、アメリカ側によるIT技術の研修プログラムが二〇〇一年六月以来、静かに進行している。

 まだまだその規模は小さい。しかも、その時々の両国間の政治的緊張を反映して、しばしぱ滞る。しかし、このアメリカ側の当事者たちは、東アジアとの長い関わり合いの歴史を持ち、この交流の実行に使命感を露わにするグループである。

 今年の年頭教書でも、北朝鮮を「世界の最も危険な体制」と決めつけるブッシュ政権は、イラクヘの武力行使とフセインの拘束、リビアのガダフィ大佐の変心という過去一年の実績の上に立って、いま真正面から北朝鮮の「核カード」と対決する。

 その足元で北朝鮮のIT専門家が国務省発行ビザを得てアメリカの土を踏む。
 この意味を正確にとらえておかねばならない。
 少なくとも拉致問題という深刻なトゲを北朝鮮との間に抱える日本としては、見過ごすことはできない。


 これが朝鮮問題の専門家ではない私が本稿をまとめる気持ちになった理由ある。
「同盟国」として自衛隊をイラクに送り出しつつある日本にとって、知っておかねばならない「アメリカという国」のもう一つの顔が浮かんでくると思うからである。

 もともとアメリカと北朝鮮との間の公式、非公式の交流、接触のチャンネルの多さと厚さは、日朝間とは比べものにならない。

 二年前、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」の一つに数えて、対決姿勢を露わにして以来、とかく忘れられがちな事実である。

 やはり、クリントン前政権下の一九九四年十月に、実験用原子炉などの凍結と関係改善の取り引きでまとまった「米朝枠組み合意」が調印されて以来、二〇〇〇年十二月、任期切れ直前のクリントン前大統領が、ブッシュ現大統領の反対で平壌訪問を断念するまで続いた「蜜月時代」の遺産が大きい。
 日本には全くない「関係」である。


 31のNGOが活動

 今年一月、寧辺(ヨンビョン)の核開発施設に案内され、「プルトニウム」だという物質を見せられて、アメリカのみならず六ヵ国協議の全関係国に対して「核抑止力」の存在を証言するメッセンジャー役を務めることを期待された二組の訪朝団は、まさに、この「蜜月時代」の生き残り組である。

 結果として、「北朝鮮が初歩的な核装置を製造できないと決めつけるべきではない」との重要な判断を持ち帰った核問題専門家、ジークフリード・へッカー元ロスアラモス国立研究所所長と、帰国後の『ニューヨーク・タイムズ』紙への寄稿で、大物代表の任命による米朝直接交渉の再開を提案したチャ−ルズ・プリチャード前朝鮮半島和平担当大使らの一団を率いたジョン・ルイス・スタンフォード大学国際安全保障協力センター教授は、ベテランの米朝チャンネル役である。

 東アジア問題の研究者で、日本についての著作もあるニューヨークの社会科学調査評議会北東アジア共同安全保障プロジェクト部長、レオン・シーガル博士が「米朝枠組み合意」の過程を分析した労作、『ディスアーミング・ストレンジャーズ—北朝鮮との核外交』(プリンストン大学出版局、一九九八年)によると、ルイス氏はもともとが中国学者。
 しかし、一九九〇年六月と一九九一年十二月の二回、平壌で、米朝、それに韓国の当局者も加えた会合を開いた人物として知られる。

 つまり「米朝枠組み合意」実現の露払い役であった。

 アメリカの企業や財団から多くの援助が提供された同枠組み合意秘密付属文書(トラック・)の実行で活躍した古つわものである。

 もう一つのグループは、共和党員ながら、これもかねてから「米朝枠組み合意」の支持者として現在も交渉による解決を主張しているリチャード・ルーガー上院外交委員長スタッフのキース・ルース氏、同委員会の民主党有力メンバー、ジョゼフ・バイデン議員スタッフのフランク・ジャヌジ氏といった優秀な外交委員会スタッフで構成され、この二人は昨年八月にも訪朝している。

 その際、北朝鮮政府・軍幹部と会談、帰国後の議会への報告書で、北朝鮮との公式非公式の接触を拡大するようブッシュ政権に要請していた。

 こうした米朝間のチャンネルのすそ野は広く、ワシントンにあるマンスフィールド太平洋問題研究所から昨年、出版された『善意に敷き詰められて—北朝鮮におけるNGO経験』(ゴードン・フレーク、スコット・スナイダー著)によると、「米朝枠組み合意」を受けて、一九九五年八月の「大洪水災害」をきっかけにアメリカからの人道支援目的のNGO活動が本格化し、主なNGOグループだけに絞っても、その数は三一団体にのぼる。


 各種クリスチャン系団体を中心に、米ユニセフ基金、アジア財団など幅広いNGOの名前が並んでいる。

 またブッシュ政権からは激しい敵対の言葉が浴びせられるなかで、また日本国内が拉致問題で、驚きと悲しみと怒りと、なかなか出口が見つからない無念さに覆われているなかで、北朝鮮に対する『善意に敷き詰められて』と題するNGOの活動報告が出る現実をかみしめておかねばならないのだ、と思う。

 システム・アシュアランスの基礎研修

 二〇〇二年五月、アメリカを追うジャーナリストに復帰し、著作のために五回のアメリカ取材旅行を続けていた私が、冒頭に紹介したような、この層の厚い米朝接触の深部に触れるような交流計画に出会ったのは、こうしたアイロニーをかみしめながら続けている旅の途中だった。

 きっかけは、小泉訪朝と平壌宣言調印直後の二〇〇二年九月末、カリフォルニア州ヨーバ・リンダのニクソン・ライブラリーでの資料調査を終えてニューヨークに立ち寄った時だった。ニューヨークのジャパン・ソサエティが手回しよく、「北朝鮮での小泉首相—日本とアメリカの外交政策に対する影響」と題する日米の専門家によるパネル・ディスカッションを主催していた。

 長年のアメリカの友人の好意で傍聴できた。
 会場を見渡すと最前列に当時の韓国の宣_英国連大使と北朝鮮の韓成烈国連次席大使が仲良く一緒に並んで座っていた。

 ニューヨークならではだ、と感心した。そのあとのレセプションで、アメリカの友人に「東京ではまだ見られない風景だ」と何気なく言うと、その友人は「ワシントンでも同じことだ。

 しかし、ニューヨークでは、われわれは民間べースで平壌とチャンネルをちゃんと持っているのだ」と誇らしげに語った。

 そこで開いたのが、ニューヨーク州北部にあるシラキュース大学に、平壌の「金策工業綜合大学」からIT技術を学ぶリサーチャーを受け入れる計画が進行中だ、との話だった。
 すでに同年三月に金策工業綜合大学の副学長ら二人がシラキュース・キャンパスを訪問、同年六月には、シラキュース側の代表が平壌を訪問、計画実行のための合同調査委員会の設立で合意してきた、とのことであった。

 目的は、北朝鮮が派遣するIT専攻のリサーチャーに対して、シラキュース大学側が「デジタル・ライブラリー」「マシーン・トランスレーション」「ディシジョン・サポート」「ラボ・デザイン」といったシステム・アシュアランスの基礎研修を実施することで、十二月には六〇人ぐらいが来るかもしれない、とのことだった。
 そして、資金は、シラキュース大学が一部負担するほかは、ヘンリー・ルース財団を筆頭とするアメリカの財団・企業からの寄付によってまかなわれている、と説明された。

 「閉ざされた国」への情熱

 私は「これは日本にとっては聞き捨てにできないニュースだ」と思った。
 シラキュース大学とヘンリー・ルース財団の名前が出たからである。

 シラキュース大学は一八七〇年、メソディスト・エピスロバル教会によって創立された東部の有力大学の一つで、そのマックスウェル・スクールを中心に、かねてから国際関係の教育に熱心なことで知られる。

 私たちの世代にとって、シラキュース大学と聞いて即座に思い浮かぶのは、マッカーサー占領下のガリロア・エロア奨学金や、その後、フルブライト基金での日本人留学生の最初の受け入れ窓口校として有名だったころのイメージである。

 一種のオリエンテーション・センターとしての役割を果たし、多くの日本人留学生が、シラキュースで一定の英語研修を受けたあと、全米各地の大学に散っていった時代である。

 今回、本稿執筆に当たり、シラキュース大学幹部と親しいというニューヨークの友人に「この時期に北朝鮮の大学と交流する理由」を聞いてもらったところ、「世界中のあらゆる人々と政治的な立場を超えて信頼関係を築けるような学生を育てるのが建学以来の方針であり、特に″閉ざされた社会″の人々との友好関係樹立に挑戦するという伝統に従ったものだ」との答えが返ってきた。

 この友人によると、事実、シラキュース大学は、独裁政治時代の韓国をはじめ、旧ソ連、中国……と、今度の北朝鮮と同じようなIT技術の学習による「閉ざされた社会」実現への貢献というテーマに長年取り組んでいるという。

 中国の公務員養成機関である国務院直属の中国国家行政学院(CNSA)と名門の清華大学との交流で実績を上げた「研究協力」方式を金策工業綜合大学にも適用しようとしているのだ、という。

 私は、この「閉ざされた社会」への挑戦というシラキュース大学の姿勢に十九世紀のアメリカの西へ西への拡張を支えた「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」意識、すなわち「神意は民主主義の西進を祝福する」という使命感の残影をみる。

 シラキュース大学は、太平洋戦争敗北後の日本留学生に差しのべた同じ手を、今、北朝鮮に差しのべようとしているわけである。

 この歴史的使命感の先頭に立って、建国期のアメリカ各地に大学をつくり、やがて中国、朝鮮半島といった「閉ざされた」国々へと続々と送り込まれたアメリカ人宣教師の軌跡が、今日のアメリカと北朝鮮との間の日本とにはない「関係」の根っこにあるという事実を指摘しておきたい。

 そして彼らの朝鮮半島での活動の多くが、日本統治下の不幸な時代とダブっていることも忘れてはならない。

 たとえぱ、前述のシーガル氏の『ディスアーミング・ストレンジャーズ』によると、故金日成主席の父親は「米朝枠組み合意」秘密付属文書の実行の際、親平壌の立場で活躍した韓国系アメリカ人のK・A・ナムカン氏の祖父がつくったミッション・スクールで学んでいる。
 故金日成主席自身も、一八九〇年代にシラキュース大学と同じメソディスト派のアメリカ人宣教師によってソウルに創立された、ジョン・ドン教会の四代目牧師、ソン・ジ
ョンド師に旧満州吉林での学生時代、その支援を得た、といった具合である。

 すなわち、この時期、朝鮮半島ではアメリカの宣教師とその後ろに控えた「アメリカという国」は、日本の支配に苦しむ人々にとって頼りになる存在だったわけである。

 「反共ルース」の財団がなぜ?

 しかし、私にとってはシラキュース大学以上に、このIT研修交流の主スポンサーが「ヘンリー・ルース財団」と聞かされたショックが大きかった。

 ヘンリー・ロビンソン・ルース。
 彼の名前を聞かなくなって久しい。

 一八九八年、中国の山東省でプレスビテリアン派の宣教師の子として生まれ、十五歳まで中国で育つ。イェール大学で学んだ後、新聞記者に。
 一九二三年、同窓のブリトン・ハッデンとともに、週刊ニュース雑誌『タイム』を創刊、大成功をおさめ、ビジネス誌『フォーチュン』(一九三〇年)、大衆向け写真誌『ライフ』(一九三六年)、スポーツ誌『スポーツ・イラストレイティッド』(一九五四年)と一大雑誌帝国を築く。
 一九三五年。

『ヴォーグ』誌、『ヴァニティ』誌などの編集者、編集長を務め、ブロードウェイのヒット作の作者であり、そして下院議員にも選ばれた才女、クレア・ブースと再婚してからは、夫妻でジャーナリズム界、政界に君臨する。

 特に、中国に対する思いが強く、反日、反共の立場から蒋介石と宋美齢夫人を全面支援、いわゆる「チャイナ・ロビー」の中心人物となる。
 「ルース・プレス」とよばれた『タイム』誌以下の翼下メディアの影響力は、現在のCNNにも匹敵する力を持っていた。

 日本が中国問題でアメリカとの戦争に追い込まれた理由の一つに、この「ルース・プレス」の力を理解していなかったことが挙げられている。

 第二次世界大戦直後には「米、英、ソ連、中国、そしてタイム社の五大列強」と揶揄される権勢をほしいままにする。
 しかし、反共主義に凝り固まり、蒋介石政権と軍部の腐敗を見抜けず、中国内戦にマッカーサー元帥の投入と原爆使用を進言する、あまりの独善ぶりに、その好んで口にした「アメリカの世紀」のスローガンも支持者を失う。
 晩年はもっぱら共和党保守派として「中国喪失」と「ヤルタ会談の罪」の責任を民主党相手に非難する、現在のネオコン流の発言を続けるうちに、一九六七年死去する。

 そのヘンリー・ルースの財団が北朝鮮へのIT研修プログラムを支援する—。故ヘンリー・ルースの遺志を継ぐはずの財団がどのような論理で、ここまで変わることができるのだろうか。

 私は半信半疑のまま、この時の旅での取材は打ち切らざるをえなかった。
 ワシントン、プリマス、ボストンヘと次の日程が決まっていたからである。

 IT技術交流で五人来訪

 二〇〇三年一月、三度目の旅の時、ニューヨークに着いてすぐ、この話を教えてくれたニュース・ソースをチェックすると、前年十二月には予定していた六〇人は来なかった。
 しかし、金策工業綜合大学のコンピュータセンター所長であるシン・へーソン教授が来訪、シラキュース側幹部と合同調査委員会を開いて、四月の北朝鮮側からの訪問が決まったという。
 中国での黄砂とニューヨークの積雪で日程が狂い、わずか三日間のシラキュース・キャンパス滞在だった。
 しかし、ヘンリー・ルース財団資金提供が正式に通告され、シン・へーソン教授も喜
んでいた、という。
 この時も私はバージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館訪問に回ったため、これ以上の話は聞けなかった。

 次の訪問は七月。重ねて聞くと、四月の訪問が本当に実現していた。四月八日から、シン教授を団長に、四人のリサーチャーと通訳兼プロトコル・オフィサー一人の計五人が来訪、シラキュース・キャンパスに約一ヵ月滞在したのだという。

 シラキュース側は、プロジェクト・ディレクターのストワート・トールソン教授以下約三〇人の教官、大学院専門スタッフらが対応し、ナイアガラの滝やニューヨーク証券取引所見学、といった親善歓迎プログラムも組まれた、という。


 二〇〇三年四月、というとイラク戦争の最盛期で、四月九日にはバグダッドが陥落していた。
 北朝鮮の核開発問題でも、米朝中の三ヵ国協議が次回開催のメドも立たないまま終了。
 米朝間でも緊張が高まっていた時期である。
 そのなかで、アメリカと北朝鮮との民間交流が堂々と行われていたのである。

 昨年十一月、著作の仕上げのために、またワシントン、ニューヨークを訪れたあと、すべての経過が明らかになった。

 二〇〇三年六月二十日から二日間、ホノルルで開かれた「太平洋沿岸地域アジア研究会議(ASPAC)」総会に提出された「北朝鮮の金策工業綜合大学とアメリカのシラキュース大学間の集積情報技術分野における双務的研究協力」と題する報告書のコピーを手にすることができたからである。

 金策工業綜合大学、シラキュース大学に加えて、ニューヨークに本部を持つコリア・ソサエティ、そして北朝鮮の国連代表部の四団体代表者による共同レポートの形をとっており、冒頭にはっきりと、「ヘンリー・ルース財団」と「フォード財団」の寛大なる
支援に感謝するとの言葉が書かれている。

 この報告書によると、最初にこの計画についてシラキュース大学とコリア・ソサエティと北朝鮮国連代表部との接触がまったのは二〇〇一年六月ということで、二〇〇二年三月に、金策工業綜合大学のジョン・クウァンチャン副学長を団長とする大学側の四人と洪水災害復興委員会(FDRC)の代表二人がシラキュース大学を訪問できたことが突破口となったようである。
 その後の経過は、私の友人から聞いた話と大きな違いはなかった。

 ただし、報告書では、平壌とシラキュース大学間のインターネット交信は実現しておらず、コミュニケーションは北朝鮮国連代表部が仲介していること、「研究協力」に欠かせない同じ種類のコンピュータを金策工業綜合大学側に置くためには米商務省の審査と特別の輸出許可という高いハードルがあること—などが率直に報告されており、こうした障害を乗り越えるような「北朝鮮とアメリカの関係の改善を希望する」と述べられている。

 そして、それまでの三回の接触の上に築き上げられた相互信頼を基に、この「歴史的かつユニークな研究協力」を成功させるために信頼と希望をもって努力を続けると述べるとともに、「両国間の高度に政治的な関係に左右されるにもかかわらず、今度のプロジェクトは北朝鮮とアメリカの組織同士の真剣、かつ持続的で相互に利益をもたらす協力が可能であることを示した"実例"として既に価値を発揮している」と締めくくっている。ビザの発給その他で多くの便宜を図り、「暗黙の承認」を与えてくれた「米国務省、および平壌の当局者」に感謝の言葉も入っている。

 つまり、これはどこからみてもアメリカと北朝鮮との間の公式の民間交流である。

 実質的には、シラキュース側による研修の実施であるにもかかわらず、わざわざ「双務的研究協力」と銘打って、北朝鮮の立場を最大限守る政治的配慮が、その証拠といえる。
 公式の友好事業に近い。
 それにコリア・ソサエティを通じて韓国もこれに加わっているわけで、意識されているといないとにかかわらず、事実上「統一朝鮮」としてのプロジェクトともいえる。

 少なくともアメリカ側には、シラキュース大学の「世界のあらゆる人々との信頼関係」の構築、「閉ざされた社会」を開くことへの挑戦というそもそもの使命感に代表されるように、この点で違和感はない。


 にじみ出る「統一朝鮮」

 こんなことを考えながら、十一月末の帰国前、時間をつくって「ヘンリー・ルース財団」のオフィスを訪れた。
 ロックフェラー・センターに面して威容を誇るタイム・ワーナー・ビルの最上階を占めるオフィスで迎えてくれた幹部は、「確かにもしヘンリー・ルースが生きていたら、北朝鮮との交流援助は無理だったかもしれない」と苦笑しながらも、こう語った。

 「東西冷戦も終わり、ITの技術が発達して世界が事実上一つになった時代だから、アメリカ人としてのルース氏の偉業をたたえるためにも、われわれは新しい発想で取り組んでいる。
 特に故ルースの一家が代々中国や東アジアに深い関係を持っていたことから中国や韓国の各種学術機関への支援やアメリカ国内の大学での東アジア研究充実のための援助をさまざまなファンド、グラントを組んで行っている。
 シラキュース大学と金策工業綜合大学の共同プロジェクトヘの支援もその一環で、理事会の全員が賛成した。
 シラキュース大学が現在の困難な政治外交情勢のなかで、熱心に取り組んでいることに敬意を表する」

 「ヘンリー・ルース財団」は、一九三六年、故ルース氏が『タイム』誌の成功で手にした富で創立したもので、現在の資産総額は七億ドル。長らく会長兼CEOを務めたルース三世も六年前に引退。ルースの妹が昨年九十八歳で死去した後は、ファミリー色も薄くなり、過去にとらわれず、未来に向いて活動しているのだという。

 アメリカ人学生をベトナムヘ送り込むプロジェクトで長期出張してきたばかりだという幹部のオフィスを辞した後の帰りのエレベータの中で、彼が「新しい東アジア」「東アジアの変貌」という言葉を連発し、日本、韓国、北朝鮮、さらには中国、台湾といった現在の国別の言い方をほとんどしなかったことに気がついた。

 シラキュース大学と金策工業綜合大学との「研究協力」の報告書に接した後に感じたのと同じように、アメリカは早くも「統一朝鮮」との関係を意識し始めたのではないか—との思いが胸の中にあふれ始めた。

 「距離」が近いアメリカ

 ヘンリー・ルースは、一九七二年に出た『ヘンリー・ルースとその帝国』(W・A・スワンバーグ著、スクリブナー社)という本によると、一九四五年十月、対日戦勝直後の重慶で、毛沢東や周恩来としぱしば食事や会話をともにし、毛沢東の「国民政府との連合政府の樹立には七〇%合意している。残りの三〇%は話し合いで解決し、中国は蒋介石のもとで統一しなければならない」との演説に賛意を表していた時代もあったという。
 金日成と同じように、毛沢東、周恩来もアメリカと近い、身近に位置する「関係」に、少なくとも蒋介石との内戦を経て朝鮮戦争で直接戦うまではあったわけである。

 そう考えると、新しく生まれ変わった「ヘンリー・ルース財団」が東アジアとの深い関わり合いを理由に、現在の北朝鮮のIT研修に援助の手を差しのべることに何の違和感を覚えないのも当然かもしれない、むしろそれに驚く私のほうが、日本の過去を引きずっていたのかもしれない。

 そして、いま拉致問題という北朝鮮との困難な二国間関係を抱えながら、六ヵ国協議という東アジアの歴史上初めて誕生しつつある「地域間協議」に加わっていかなければならない日本にとって、忘れてはならないのは、このアメリカとアジア、特に東アジアとの歴史的な距離の近さ、日本と比べ「良好な関係」にあった期間の長さではないだろうか。
 それにアメリカには、日本が近隣諸国との間でいまだに抱えている「歴史問題」などどこにもない。

 「孤立」の悪夢

 二〇〇〇年六月、平壌での金大中・金正日会談が実現したとき、金正日総書記は「アメリカ軍が朝鮮半島に残るのがいい」と言ったという。
 プリチャード前朝鮮半島和平担当大使も昨秋、ロンドンでのセミナーで在任中の平壌訪問の際、北朝鮮側局官が同じような発言をした、と語っている。
 表面での敵対関係に似た激しいやりとりが続く陰で、意外に深く、長く、広く、積み重ねられてきている北朝鮮、あるいは朝鮮半島全体とアメリカとの距離の短さ、日本にはない「関係」の存在を肝に銘じておかなければならない。

 三二年前、日本の頭越しに実現したニクソン—毛沢東の握手の時と比べて、ニューヨークに国連代表部という出先を持っている分だけ、少なくとも平壌とワシントンとのコミュニケーション密度は濃いと思っておかなければならない。

 ブッシュ大統領は、確かに一般教書演説で、北朝鮮を「世界の最も危険な体制」と決めつけながらも、その前段では核問題についての六ヵ国協議という「地域協力」の場での外交的、平和的解決にゴーサインを出している。
 パウエル国務長官はもとより、チェイニー副大統領も、ダボス会議での演説後の一問一答で支持を表明している。
 本誌一月号で対談したネオコンの論客マックス・ブーツ氏も近著の『フォーリン・ポリシー』で「北朝鮮のレジームチェンジは旧ソ連で成功した各種の封じ込め路線で実現すべきだ」と、今や慎重である。

 したがって、もし、朝鮮半島での平和維持が成功した場合、この六ヵ国議の場は、一種の地域機構として恒久化すると思われる。

 当然、これまでの仲介の実績から中国は、その中心的存在になると思われる。

 南北が協調する「統一朝鮮」が姿を見せると思われる。

 この場での日本の「孤立」といった悪夢だけは防がねばならない。

 そのためには、拉致問題、そして周辺国との「歴史問題」を、とことん自力で解決しければならない。

 こうした自問自答を繰り返しながら、ワシントンからのANA直行便で帰ってきた。

 新年、例のニューヨークの友人からメールが来た。「金策工業綜合大学の一行が三月初め再びシラキュース・キャンパスを訪問することが決まった。年末までにはおそらくシラキュースの代表団が平壌を訪問するだろう」という内容だった。

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