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(回答先: 満州国】満州地域の事件と人口推移 (性比も面白い) 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 5 月 11 日 10:05:08)
(正)
>%1918年 東清鉄道(シベリア鉄道東支線沿線)は帝政ロシア鉄道司令(ホールワット将軍)の警備、それ以外は清国軍の警備
(誤)
>%1918年 東清鉄道は帝政ロシア鉄道司令(ホールワット将軍)の警備、沿線は清国軍の警備
満州を通過するシベリア鉄道支線(東支線、東清鉄道)は、帝政ロシアの租借地であり線路を挟んで幅10〜20キロくらいの租借地がシベリアから浦塩まで貫通していました。
その満州域内の権益警備として、鉄道司令が置かれ、当然にしてロシア軍が駐留していました。ロシア革命により本土政権が転変しましたが、東清鉄道司令部(ホールワット将軍)は帝政ロシア→二月革命派(オムスク政権)支持に動き、シベリアがボルシェビキ(10月革命派)に変わってもしばらくの間は”清国内のロシア”のような位置にあったと思います。
満州域から見れば、東清鉄道エリアで強盗した悪党は清国警備域に逃れ、清国警備エリアの悪党は東清鉄道エリアを根拠地にするつうようなことも普通?だったとか。なんせ、仕切りの鉄条網がないですから。(笑)
もちろん、同じような事態はニポンの満鉄エリアでも同様です。
<参考資料>
□□□□□□□□□□(引用開始)□□□□□□□□□□□□□■
欧米では、モスクワ〜ウラジオストクを結ぶ本線(広義のシベリア鉄道)を"Trans-Siberian Railway"と呼ぶほか、モンゴル国のウランバートル経由で北京まで結ぶ路線を"Trans-Mongolian Railway"、中国東北部経由で北京まで結ぶ路線を"Trans-Manchurian Railway"と呼ぶのが通例である(以上3つが更に広義のシベリア鉄道)。
(略)
1903年にはシベリア鉄道の短絡線として満州(現在の中国東北部)の北部を横断し、ハルビン(哈爾浜)などを経由する東清鉄道が完成し、当初はこれがシベリア鉄道のルートであった
(略)
シベリア鉄道は政治的・経済的・軍事的に重要な路線であり続けた。 1918年にはロシア革命後に本国移送中のチェコ軍団が沿線を占領し、その救出を理由にして日本などのシベリア出兵が起こった。日本は現地の反革命軍(白軍)などと協力して1922年までイルクーツク以東の沿線を占領し、極東共和国成立などの事態が起こった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%89%84%E9%81%93
■□□□□□□□□□□(引用終了)□□□□□□□□□□□□□■