★阿修羅♪ > アジア4 > 309.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
写真左:岡倉天心(写真一番右)は、1893年、中国奥地を5か月にわたって歩き美術調査を行った。詳細な旅行日誌をつけ、東京美術学校の早崎梗吉を同行させ写真にも記録した。
「もしも我が国が文明国となるために、身の毛のよだつ戦争の栄光に依らなければならないとしたら、我々は喜んで野蛮人でいよう。」岡倉天心の『茶の本』が出版されてから2006年で100年になる。
「アジアは一つ」(『東洋の理想』)という天心の有名な言葉は、その死後、大東亜共栄圏を思想的に支える言葉として軍部・政府によって利用され、戦後、天心は危険思想家と目されたこともあった。しかし今、その天心の思想を再評価する機運が高まっている。グローバル化の嵐が吹き荒れ、テロリズムが横行する現在の世界にあって、植民地主義に抗して平和思想を模索した天心が、新たな光を発しているからである。
天心の思想は、その子孫たちによって、脈々と引き継がれてきた。『父天心』を著し、その実像を後世に残した息子の一雄。東西冷戦の時代にあって、国際政治学者として非同盟運動の研究をリードした孫の古志郎。やはり国際政治学者としてイスラムの研究にたずさわり、9・11後の世界情勢に積極的な発言を行っているひ孫の徹志。
そしてやしわご(ひ孫の子)の禎志(ただし)は、写真家として活躍。今年、中国・インドに天心の足跡を訪ねる旅に出た。天心は、1893年、中国奥地を 5か月に渡って歩いた。詳細な旅行日誌をつけ、東京美術学校の早崎梗吉を同行させ写真にも記録した。五浦の天心記念美術館には、撮影場所・日時不明のままガラス版ネガが眠っている。今回、禎志は美術館からこれまで未公開だった写真の現像・閲覧の許可を特別に得た。100年の時を超えよみがえる天心の見た中国。禎志は写真がどこでどのように撮られたのか、中国でできる限り解明したいと考えている。それは父祖・天心の感動を追体験する旅であり、同時に天心の思想をねじ曲げ、日本が戦争へと突き進んだ歴史を直視する旅でもある。
天心〜一雄〜古志郎〜徹志〜禎志、岡倉家五代の100年とは、それぞれの時代の中で、強国の暴力に抗する思想を模索し続けた100年である。番組では禎志の旅を縦軸に据え、近代日本の分岐点を生きた天心の思想とその系譜を岡倉徹志氏が語る。近代以来、戦争を挟み今日まで続く“アジアと日本”という問題を考えていく。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index.html