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(回答先: Re: 「韓国国定歴史教科書」 投稿者 1fan 日時 2006 年 4 月 24 日 22:09:50)
天の神である桓因(=帝釈天)の庶子(嫡子でない子)桓雄は、いつも天の下の国のことを考え、そこに住む人間の世界を治めてみたいと願っていた。
桓因は桓雄の志を知って、広く人間のためになることをするようにと、彼を下界に遣わした。
桓雄は天符印三個を授かり、部下三千人を率いて太伯山頂にある神壇樹の下に降り立ち、そこを神市と定め、桓雄天王となった。
この天王は「牛頭天王」とも呼び、文字通り牛の頭をした神様だった。この牛頭天王が降り立った場所を別名牛頭山(ソシモリ)とも呼ぶ。
朝鮮の神話では帝釈天の息子になっているが、元ネタのヒンズー教では帝釈天(インドラ)の従者とされている。
日本での牛頭天王に関する記録(「ほき内伝」)によると、
”・・・牛の頭をしているので結婚相手がいなかったが、或る時、帝釈天の使いに言われて南海へ嫁さんをもらいに行った。
旅の途中で宿に困っていた時に親切にしてくれたのが蘇民将来だった。”
これが京都の八坂神社の牛頭天王信仰と疫病除けの「蘇民将来子孫也」の御札、そして祇園祭の始まり(牛頭天王は祇園精舎の守護神)だけど、これを日本に持って来たのが、インド出身で、新羅を経由して西暦645年に日本に来た法道上人だった。
日本では、元来ヒンズー教の神だった牛頭天王は日本神話のスサノオに置き換えられ(どちらも「放浪する神」)、一緒にやって来た神々と同様に八坂神社の境内に祭られている。
だから、法道上人がインドからシルクロードと中国(唐)を経て朝鮮半島に入るまで牛頭天王の伝説は無かったことになる。
・・・・てな事を書いたら、また袋叩きにされるかな?