★阿修羅♪ > アジア4 > 160.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=165130159
「地獄のような日々だった」。浜田市元浜町の元機関長橋野敬之助さん(77)は、半世紀前の韓国による抑留生活をそう振り返った。
突然の拿捕(だほ)劇は、竹島(韓国名・独島)の領有権を確保するため、韓国が1952年1月18日に公海上に一方的に引いた「李承晩ライン」で起きた。54年12月、「第3平安丸」(10人乗り組み)に乗り、ラインを越えて対馬西沖で底引き網漁をしていて拘束されたのだ。
橋野さんらは釜山へ連行され、1年−8カ月の禁固刑を受けた。6畳の部屋に30人。満足な食事も得られず、1部屋につき、おけ1杯の水で1日を賄う状態。刑務所の生活は劣悪を極めた。
刑を終えても2年余りの収容所生活が待っていた。帰国できたのは58年1月。幼児だった長男は小学生になっていた。
■好漁場に”ライン”
竹島周辺一帯は、対馬暖流とリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量とも豊富な好漁場として知られる。
しかし、韓国が竹島を自国領に含めようとした李ラインの設定で、状況は一変。65年6月に日韓漁業協定が締結され、同ラインが消滅する約13年間で、300隻超の日本漁船が拿捕され、死傷者も44人を数えた。このうち、島根県の漁船は11隻で、114人の乗組員が抑留された。鳥取県は12隻、117人に上った。
「ラインが引かれるまでは韓国から3カイリまで行けたし魚も捕れた。好漁場だけに、なおさら行きたくなる」と橋野さん。
日本側は、李ライン「宣言」直後に始まった日韓国交正常化交渉の中で再三にわたり抗議したが、有効な手だては打ち出せなかった。一方で着実に実力支配を強める韓国。漁船員たちはそのはざまで苦しんだ。
■暫定水域締め出し
漁業問題の解決を図るため、99年1月、領有権問題を棚上げした形で新日韓漁業協定が結ばれ、竹島を含む広い海域に、両国が共同管理し、双方の漁船が操業できる暫定水域が設定された。
だが、日本漁船は排除されたまま。その最大の被害者が、ベニズワイガニのカニかご漁船だ。
島根県漁船の2004年ベニズワイガニの水揚げは、暫定水域設定前の65%の3900トン。全体の水揚げに占める同水域内の比率は設定前の7割から3割に落ち込んだ。
「韓国船は、日本漁船に許可されているカニかごの10倍も付けていて、数が多い。トラブルが起きると、日本の船は数が少ない分大変。みんな恐れて入らなくなった」
同水域内で操業できない理由を、同県かにかご漁業組合の西野正人組合長(47)は話す。網の目などの規制も韓国の方が緩い。「同じ水域で操業する以上、同じルールにすべきだ」と同組合長は訴える。
暫定水域から締め出された日本漁船は、排他的経済水域(EEZ)に集中。ただ、EEZのベニズワイガニ資源も急速に減少している。
このため、来年度から境港を基地とする船は、7、8月に加え、もう1カ月休漁すると、漁獲実績の一定額について国などから9分の4が補償される。鳥取県はさらに3分の1を補償する。
ところが、島根県には補償はない。「竹島は島根県の所管。その領有権問題が暫定水域設定の発端なのに、その島根がなぜ…」。割り切れない思いものぞく。
そのEEZ内でも、韓国漁船による違法操業が目立つようになってきた。水産庁境港漁業調整事務所によると、漁具の押収件数は昨年、32件と過去最高を記録した。
李承晩ラインの設定から半世紀以上たつ今もなお状況は変わらず、「痛み」を味わう山陰の漁業者。日本海が安寧の海になる日はいつ来るのか−。いら立ちは募るばかりだ。
('06/02/20 無断転載禁止)
<< 前の記事 次の記事 >>