現在地 HOME > 番外地5 > 828.html ★阿修羅♪ |
|
維新、沖縄の政党・そうぞうと政策協定 辺野古移設推進を明記 (朝日:2013年5月2日)
日本維新の会の橋下徹共同代表は1日、沖縄県の地域政党そうぞうの下地幹郎代表と那覇市内で政策協定書を結んだ。夏の参院選での連携に向け、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設推進や憲法改正など5項目で一致した。 協定は、維新の前身の大阪維新の会とそうぞうの地域政党同士が結ぶ形。基地問題で「まずは日米合意である辺野古移設を進める」と明記。〜
・2010年12月、当時大阪府知事だった橋下は、
「ONE FOR ALL、ALL FOR ONE。沖縄は日本のために、日本は沖縄のために」…と言って、
周囲に、徹ちゃんは沖縄のためになんかしてくれるんじゃないか…という期待を抱かせた上で
・2011年5月、「沖縄県やその他の県のみなさんの犠牲のもとに、大阪府民は安全をただ乗りしている。話をふっていただければ、できる限りのことはしたい」…と、関空での海兵隊受け入れの検討を表明したのに
・2011年11月、再選を果たした沖縄県の仲井真知事が、普天間基地の移設先として関西空港を視察する意向を示した途端、「関空は残念ながら伊丹と統合して、民間に売却するという話でスタートしてる」ので基地受け入れができないけど、「先行きが全く見えない空港は神戸空港ですから、先行きはまったく見えませんから、仲井真知事には見ていただきたい」…と、誰も基地受け入れに言及してなかった神戸空港を見学して頂戴ね…と、いきなり移設候補を勝手に神戸空港に振ったと思えば
・2012年8月にまとめた維新八策最終案には、ちゃっかり「日本全体で沖縄負担の軽減を図るさらなるロードマップの作成」の文言を入れ、普天間基地の県外移設を謳いながら
・2013年5月には、とうとう、普天間基地はやっぱり県内移設でお願いね…と、開き直った(→冒頭の記事の内容)
・一番有名なんは、やっぱり『脱原発コロコロの術』やったな…
(首長の中では誰よりも速く「脱原発」をぶち挙げ、エネルギー戦略会議なるもんをこさえて、さも脱原発に真剣なフリをしつつ…大飯再稼働に向けてこっそり関係者にアドバイスを送り再稼働の後押しをしたのに…大飯が再稼働するや限定再稼働を言い出してまたもや関電批判に回ったと思えば…国政で慎太郎くんと組むや否や、脱原発の話はなかったことになり…それについては、工程表がなければ脱原発は実現できない、とエネルギー戦略会議に責任を転嫁する…という、あきれたコロコロぶりやったもんね、これ)
・次は、つい最近のことやけど、大阪市職員に対する政治活動調査が府労働委員会で不当労働行為と認定されていったんは謝罪の意向を示したのに、組合側の会見での態度が気に入らんからと、数時間のうちに方針転換し、俺はやっぱり悪くないで…と、中央労働委員会への再審査申し立てを行った…ことがあったし
・そんでこれは近いうちのコロコロが確実に予想されるネタやねんけど
2012年に大飯原発再稼働が問題になって以降、多数の原発が立地する福井県の西川知事が都市部に使用済み核燃料の中間貯蔵施設の設置といった「痛みの分かち合い」を求めたことに対して、徹ちゃんが「(都市部が)中間貯蔵施設を受け入れるという負担も考えなければいけない」と応え、これまた徹ちゃんが福井県のために何かしてくれるんじゃないか…と周囲に期待させつつ、このネタは結構使えると思ったのか、今年の4月には、徹ちゃん、「安全性に問題なく、(電力)消費地も原発の稼働問題に発言させてもらえるなら、電力消費地で(使用済み核燃料を)引き受けないといけない」と、さらに踏み込んだ発言をした…んやけど、この後はもう、俺、ミエミエの展開が待ってるような気がすんねん(→なかったことにするか、もしくは他の都道府県に話を振るか、どっちかや!)
う〜ん、詩心のない俺が読んでも、ええ詩やなぁ…『ぼくの帽子』 西条八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
お粗末でした。。。西条八十『ぼくの帽子』の替え詩で、『徹くんの言葉』
徹くん、君のあの言葉、どこへ行ったんでしょうね?
ええ、君がまだ大阪府知事をやっていたとき、
関空への米軍基地受け入れをほのめかしたあの言葉ですよ。
徹くん、あれは素敵な言葉でしたよ、
沖縄はあのときずいぶん期待した、
だけど、いきなりなかったことにするもんだから…。
徹くん、あのとき、神戸空港へ話を振りましたっけね、
関空は民間に売却するから…。
そう言って、基地は神戸空港へって、言ってくれましたっけ。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ徹くんの言葉は、
最初からやる気がなかったんですもの。
徹くん、ほんとにあの言葉、どうなったんでしょう?
あのとき徹くんの言葉に期待した沖縄の心は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして、
今では、維新は普天間の県内移設を政策にして…、
沖縄は徹くんはウソつきだと憤っているかも知れませんよ。
徹くん、普天間では、今も
あの基地からオスプレイが飛び立っているでしょう、
昔、みんなの土地だった、あの普天間基地…、
その下にじいちゃんが子どもの頃に埋めた
大事なオモチャの宝箱が
今でもあるのか、ぼくは気になる…。