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下山事件読解
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投稿者 下山事件 日時 2008 年 4 月 27 日 11:37:09: XlGOPZqQMF/ZQ

 近年、下山事件に関する本が相次いで出版された。「葬られた夏・追跡下山事件」(諸永裕司 著、2002年刊)、「シモヤマ・ケース」(森達也 著、2004年刊)、「最後の証言」(柴田哲孝 著、2005年刊)の三冊だ。三人の著者は共に、1999年夏の週刊朝日・下山事件特集に関わっている。半世紀前の1949年(昭和24年)という米軍占領下の日本で起きた事件に人々の関心を誘うものだ。
 今日の日本を考える一助として、これらの本に目を通してみた。その読書報告を「下山事件読解」として提出する。


下山事件読解T「葬られた夏・追跡下山事件」(諸永裕司 著、2002年12月 朝日新聞社 刊)
<はじめに/序章> 下山事件、全米横断の旅

先ず、下山事件とは何かということを序章の記述から見ておこう。


(p.8)“一九四九(昭和二十四)年夏、国鉄の初代総裁、下山定則氏(当時四十八歳)が出勤途中に行方不明になり、翌日未明、東京都足立区の常磐線の線路上で轢死体となって見つかった。”
(p.8)“下山総裁の死は当初、他殺とみられていたが、やがて目撃証言などから自殺説が浮上する。捜査当局をはじめ、マスコミや法医学界も自殺か他殺かで真っ二つに割れ、結論は出ていない。占領期、GHQ、共産主義、アメリカの諜報機関……。事件には、そんな言葉が散りばめられていた。”


序章にはまた、本書成立に至る機縁と経過についても記されている。その中からいくつか抜き出してみる。


(p.7)“いまなお「昭和史最大の謎」と呼ばれる事件の核心に触れるような情報を僕が耳にしたのは偶然だった。それは「彼」という人物が遭遇したという、こんな話だった。
「彼」は祖父の十七回忌に、祖父が下山事件に関係していた、と聞かされた。そう話した大叔母は、犯人のひとりとしてある男の実名をあげた。”
(p.7・8)“僕には、生まれるちょうど二十年前に起きたこの事件に忘れがたい記憶があった。新聞記者として働きはじめた一九九三(平成五)年、初任地の京都で一冊の本を手にとった。
『夢追い人よ/斎藤茂男取材ノート1』(築地書館)。元共同通信記者の斎藤茂男さんの仕事をまとめた六巻組み全集の第一巻。その冒頭で、下山事件が取り上げられていた。”
(p.8)“「彼」の知人でもある映像作家の森達也さんの提案を受けて、「週刊朝日」編集部が取材班をつくったのは九八年春のことだった。”
(p.9)“翌年の五月二十八日。取材に行きづまるたびに助言を求めてきた斎藤さんが突然、胃がんで亡くなった。七十一歳だった。”
(p.11・12)“奇しくも事件から五十年目と重なったその年の夏、それまでの取材成果をもとに「下山事件−五十年後の真相」と題した連載(五回)を「週刊朝日」誌上で発表した。「彼」の話をきっかけに拾い集めた証言や事実の断片を、斎藤さんのメモなどをもとにつなぎ合わせ、ある仮説を示したのだ。”
(p.12)“調べていくうちに、下山事件は、いまにつながる戦後の日本の根っこにあるように思えてならなくなっていた。
 季節は秋に変わっていた。
 僕は、ある人物に会って仮説の真偽を確かめてみたいと思った。その人物は居所も生死さえもわからなかった。それでも、僕は手がかりを求めてアメリカへ渡った。”
(p.13)“これは、その人物に出会うまでの十二日間、全長五千キロに及ぶ全米横断の旅をもとに、四年間の取材を再構成した記録である。”


本書中には、様々の証言や資料が散りばめられている。本書を読み込むことによって、下山事件についての大まかな理解が得られ、さらには、一定の推測も可能となるだろう。以下、そうした推測を四つに分けて記してみる。

その1(実行犯/3・6章)延禎、ジョージ・ガーゲット、CIA

その2(偽装の構図/1・4・8・9章)自他殺不明、捜査打ち切り、G2、協力者

その3(意図/5章)鈴木市蔵、従属国、国鉄一家

その4(疑問/2・7・終章)飴玉、九・一一、反共、亜細亜産業


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