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Re: てすと
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投稿者 gataro 日時 2007 年 11 月 12 日 13:26:57: KbIx4LOvH6Ccw

(回答先: てすと 投稿者 業者 日時 2007 年 7 月 23 日 18:16:55)

な〜んと! 偽装表示で営業を停止している「赤福」社長が「観光カリスマ百選」のまま!?

http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kanko/mr_hamada.html

■カリスマ名称
「日本の暮らしと街並みをテーマにしたミニタウンのカリスマ」
伝統的なまち並みを再現し、地域の活性化と「伝統ある日本の暮らし」の体験の場づくりに成功した。

■選定理由  
1980年代の伊勢神宮内宮門前町の往来者が年間20万人と低迷していたところ、古いまち並みを再現し「日本文化、日本の暮らし」を表現した「おかげ横丁」を建設、運営し、平成14年には年間約300万人を集め、これからの地域活性化の一つの方法を示した。  

■具体的な取り組みの内容
赤福の創業は宝永4年(1707年)。赤福餅の名は、赤心(まごころ)を持って、慶福(めでたきこと、福多きこと)を願うという、同社社是である「赤心慶福」に由来している。(赤福ホームページを参照)
赤福の社長である濱田氏は、1993年の第61回伊勢神宮式年遷宮に向けて、よき時代の日本の性格を色濃く残す伊勢神宮内宮の門前町を「癒しの里に」「母の包容力を感じる町に」と考え、「おかげ横丁」を誕生させた。
「おかげ横丁」の名称は、赤福が、伊勢神宮内宮の門前町である「おはらい町」で約300年間変わらず商いを続けてこられたことに対する感謝の気持ちと、江戸時代に流行した「おかげ参り」の故事に因んで名づけられた。
現在は、開業10周年に向けて改築に取り組んでいる。

■まちづくりのきっかけ
「おはらい町」は、伊勢神宮内宮の門前町として栄えていたが、時代とともに、伊勢の古き良き時代の面影をなくそうとしていた。約800メートルの伊勢の門前町は、車の通る道が別にできると人が通らない町に変わってしまった。年間10万人は来ていたが、その多くが正月に集中するため、平月は 2000人ということもある有様であった。

さびれたまちへの危機感の中で、「伊勢らしい伝統的な町並みを取り戻したい。伊勢人のおもてなしのこころが生きる空間を創造したい。」との思いから、和菓子の老舗・赤福の社長である濱田氏は、第60回の式年遷宮終了時(1973年)から新しいまちづくりに着手した。

■社運を賭けた決心−おかげ横丁−
濱田氏のさびれた町への危機感からはじまった『おかげ横丁』の建設は、まさに「赤福」が社運を賭けた大事業であった。

「おはらい町」の低迷は上述のとおりであり、そこで地域のリーダーたる役割を担っていた赤福は、まだ建てて25年の鉄筋四階建本社屋を取り壊し、その跡地と買収した土地を加えた敷地に「日本の暮らし・文化」をベースにした癒しと憩いの町「おかげ横丁」を誕生させたのである。本社の周辺2400 坪(30軒)について、30軒の地権者に赤福の社員が直接交渉し、6年間を費やし買収した。売上高130億円の赤福が総額140億円の投資をするという、まさに社運を賭けたまちづくりを赤福は断行した。「日本の暮らし・文化」の復興こそ伊勢の門前町の復興である、と決心して時間と人材とお金を投入したのが赤福だったのである。

なお、1つのまちなみを民間企業が1社単独で開発するのは非常に珍しいことであるが、「赤心慶福(まごころ=赤心をつくそう、そうすることで素直に他人の幸せを慶ぶことができる)の精神のもと神宮参拝者に満足していただく」という理念を最大限に実現することにこだわった結果であり、濱田氏の思いの結実が「おかげ横丁」なのである。

■こだわり−伝統というライフスタイル手法
濱田氏は、「おかげ横丁」建設着手の過程で、さまざまなテーマパークを見学したが、もっとも参考になったのはコペンハーゲンのチボリ公園だったという。「伊勢には絶対『興奮の国』をつくってはだめ・・・日本でもっとも重要な聖地なのですから、テーマは過去・・・チボリ公園のようにのんびりとくつろぐことのできる場所、社会生活のストレスを癒す胃薬のような機能のできる場所」でなければならないと考えたのだ。

■古きまちなみの再現
濱田氏の伝統へのこだわりは、伊勢の江戸期から明治期への時代変化の再現・再構築となって「おかげ横丁」に表現されている。黒い瓦屋根に囲まれた木造建築群の再現は、まちに落ち着きと奥行き、時代を超えた生活観を創り出している。

どのように伊勢を表現するか、その歴史伝統を知るため、浜田氏と赤福のスタッフは設計者と三重県内を駆け回り、そして最後に行き着いたのが、伊勢の伝統的民家の特徴である「切り妻・妻入り」をはじめとする伊勢路独特の建築様式による建築と「伊勢玩具」「伊勢型紙」といった工芸品や「てこね寿し」「伊勢うどん」といった郷土料理などに代表される「日本のくらし文化」だったのである。

(左)木造建築の一つ、「くみひも平井」店

■広がりを見せる取り組み
濱田氏の町づくりへの取り組みは、赤福の一社単独での町づくりである「おかげ横丁」だけに留まるものではなかった。自らリーダーシップをとり「伊勢市まちなみ保存条例」の制定を働きかけたのである(1989年制定)。

さらに、既存の建築物の保存再生のみならず、市に「伊勢市町並み保全事業基金」をつくり(平成元年)、それによって「おはらい町」通りにも伊勢らしい建物を新しく造ろうとした。また、1989年から5年間、赤福は毎年1億円を伊勢市の同基金に寄付をしたのである。

住宅や店舗の建て替え・増築などへの低利の資金融資の実現と、濱田氏の取り組みへの地元住民の理解を得られた結果、「おはらい町」ではうどん屋や食堂だけでなく、郵便局や銀行までも伊勢の伝統的な木造建築に生まれ変わった。また、町並み保全事業として、「伊勢市まちなみ保全基金」をもとに地元費用を赤福が負担することで「おはらい町」通りの電線の地中埋設や道路の石畳化も完成し、こうして新しい伊勢「おはらい町」のまちづくりがさらなる広がりを見せていった。

■おもてなしの心
「おかげ横丁」には、案内所や飲食店、展示施設などの25棟40店舗の伝統的な木造建築が建ち並んでいる。路地には囲いもなく、いつでも何処へでも通行可能となっている。だから日常的な生活の路としても利用され、まちに広がりをもたらしている。町づくりはテーマパークではない。目に見える町並みができればそれで終わりでなく、出会いやふれあい、そして安心の場の提供が伊勢らしい「のれん」の追求なのである。

「おかげ横丁」の運営は関連会社の有限会社伊勢福が運営しているが、濱田氏は新会社に債務を負担させないことで、運営のコストを低く押さえ、商品の価格が高くならない努力をしている。
また、「社会生活のストレスを癒す胃薬のような機能のできる場所を」との濱田氏の考えは、いたるところに設置された縁台による参拝者への休息の場の提供や、竈を使った茶湯の提供などの様々なおもてなしの形となり、訪れた人々へ心の豊かさをお届けする「暖簾の追求」として日々変わることなく行われている。
 
1993年に開業した『おかげ横丁』は、順調に客足が伸び、今では年間300万人を超える観光客がやってきている。



(上)横丁太鼓 / 町の賑わい

【お問い合わせ先】
(株)赤福 秘書チーム様
電話 0596-22-2154   (株)赤福 代表番号
FAX 0596-26-0891

関連情報はこちら→おかげ横丁ホームページ

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