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(回答先: ダーウィン以前 投稿者 隣人 日時 2006 年 9 月 25 日 02:28:22)
当時の世の中には、ダーウィンの理論を僧職者の権力を弱めるかっこうな道具とみなす人たちがいました。
そのようなわけで、激烈な戦いが起きました。1860年にドイツの司教たちはこう主張しました。「我々の先祖は
直接神により創造されたのである。ゆえに、人間は人体に関する限り自然発生的な変化によって不完全な原始
的状態から生じたものであるとあえて力説する者の見解は、完全に聖書と信仰に反している、と我々は断言する」。
同様に1877年5月には教皇ピウス9世が、フランス人の医師で、進化論に反対して創造に関する創世記の記述を
支持した出版物の著者であるコンスタンティン・ジャームを称賛しました。戦いの第一段階は、教皇庁聖書
研究委員会が1905年から1909年にかけて発表した一連の書簡をもって最高潮に達しました。その一つの書簡の
中で同委員会は、創世記の冒頭の三つの章は史実に基づいており、“現実の歴史”として理解されるべきもの
であると述べました。