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(回答先: フランス革命―来たるべき事柄を予示する出来 投稿者 隣人 日時 2006 年 9 月 14 日 23:04:17)
1788年、フランスの旧体制は、経済上の危機に直面しました。その主要な原因となったのは、アメリカと
英国との間で行なわれた独立戦争でアメリカ人を支援したことです。王は三部会と呼ばれていた会議を召集
せざるを得なくなりました。この会議は、国家の三つの階級、すなわち、僧族(第一身分)、貴族(第二身分)、
そして平民(第三身分)の代表で成っていました。
僧族はわずか15万人の代表であり、貴族は約50万人を代表しました。ところが、第三身分に属する人は
2,450万人以上もいたのです。これら3階級は、各々1票を投じることができました。それで、平民(1票)は、
僧族と貴族(合計2票)の同意が得られないかぎりどんな改革も実行できませんでした。ですから、僧族と
貴族たちは人口の約3%であったにもかかわらず、ほかの97%の人々の意向を無効にできたのです。さらに、
僧族と貴族は国土の36%を所有していた上、所有地に対する税金を免除されていました。
非常に多くの人が飢えるようになって、平民の代表たちは、政府の圧制、不公平な税制や投票制度、また
カトリック位階制度と貴族階級の不正や富を糾弾しました。しかし、王は神の権威によって支配すると
考えられていたので、安泰であるかに見えました。また、人々はまだカトリックの信仰を抱いていました。
しかし4年もしないうちに王政は覆され、非キリスト教化運動が開始されました。
1789年の春、革命が始まりました。幾人かの貴族たちが選挙方法の変更を受け入れようとしなかったため、
第三身分の代表たちは自らを国民議会と名乗りました。これは中産階級による革命の勝利と、絶対王制の
終わりをしるしづけるものとなりました。
しかし農民たちは、王と貴族階級が第三身分の打倒を図る陰謀を企てているのではないかと恐れていました。
人々はこの恐れに駆られて城や領主の邸宅を襲い、これが大規模な反乱に進展しました。1789年8月4日の夜、
議会は秩序を維持するため、貴族の特権を削除し、封建制度を廃止することを決定しました。こうして旧
体制の土台は、わずか数日にして砕かれました。