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「米を自由化することによって、すでに30%にまで落ち込んでいるわが国の食糧自給率を上げよと言う。何たる見えすいた詭弁ぞ。熊楠にして今日あらしめばこう言うに違いない。「米は日本の神宿る食物だ。それはわが国の土からしか生じない。稲作が滅びれば日本もまた亡ぶぞ」と。東京駐在だったユダヤ教の導師トケイヤーは幾年か前、『日本人は死んだ』と題する本を出してニューヨークに去った。
日本が滅びれば世界人類もまた滅びる。今の世に満ちるステッキ人種たちに、自らが得意になって振っているのが害国産の悪魔の杖であることがわかっているのだろうか。南方熊楠は万年の寿を保つ亀を飼ってはるかな時空に心をめぐらせていた。そこに彼の偉大の源泉があったのだ。
及ばずながら私達もまた、せめて寿千年の鶴にあやかりたいものだ。それだけの長いスパンの時空を貫く思考がなければ事の真実は露れてこない。
バブルの過程を通じて多くの面で発症してきたわが社会の低劣化が、決して短期的な原因だけによる自然発生の過程であったのではなく、短くも幕末以来百数十年、遠くは千年を超える歴史の構造を見なければ解けないことを知っていただくために、本書は書かれた。
近代の日本が悪魔の築いた危ない橋を、わけもわからないうちに勇んで元気よく渡り、戦争、恐慌、マルキシズムの凸凹道を引き回され、あげくのはてに原爆を落とされる羽目に陥ったのは、詰まるところわれわれの不明と愚昧のせいであった。
相手を責めても仕方がない。悪魔は存在する。消すことはできない。神と悪魔は同伴しているのだ。われわれが安全に生存していくには、悪魔を弁別し、その意図と行動様式を把握し、これに常に備えることが求められる。私がこれまで幾冊かの本で悪魔の正体を論(あげつら)ってきたのは、幾分かでもそれに資することができればという微意からである。ここにおいて深く意を用いなければならぬことは、われわれもまた自らの中に悪魔を抱いていることだ。悪魔は互いに牽き合う。
戦争、恐慌、マルキシズムの砂鉄は、決して外来悪魔単独の業によったものではない。それはわが国民の中に潜む悪魔が呼応して初めて出来(しゅったい)した事態なのである。バブルに踊り、その破裂に泣く人は、自己の内心に尋ねなければならない。自らの内に飼う悪魔を克服していたかどうか、と。
日清、日露戦争以来の軍が果たして忠良にして節度ある集団であったか。大官連中が公正で高き志操を持っていたかどうか。財閥が利に狂って道義を踏み破ってはいなかったか。いくら歴史上あるいは現在の悪魔を剔抉(てっけつ=暴き出すこと)して見せても、自らの心が賤しくては益はない。日本の過去の大蹉跌の源は他を知らない暗愚と自己内心の歪みにある。」