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古参幹部たちの多くが堕落していった
ヒトラーの副官の主要なものと言えば、ゲッベルス、ゲーリンク、ヒムラー、ルドルフ・ヘス、ボルマン、シュペーアであろう。彼らはミュンヘンでのヒトラー一揆以前からの古参幹部たちである。ヒトラーは権力掌握後は、自分とともに戦った者、過去自分と付き合いがあったものを重用している。
この6人はいづれも興味深い性格や行動をしている。ゲーリンク(Hermann Goering)は当初ヒトラーのNo.2であったが、ヒトラーが権力掌握後後継者として指名されて後、贅沢な暮らしをはじめて大いに肥満、奇矯な服装で訪問者を驚かせるなど、次第にヒトラーの信任を失っていく。終戦末期にはヒトラーに裏切りもの呼ばれ、追放される。ニュルンベルク裁判で絞首刑を宣告されたが、服毒自殺する。
ヒムラー(Heinrich Himmler)はレーム粛清後、親衛隊の隊長としてその拡大に努め、全警察権力を掌握した。しかし、1945年にはゲーリングとともにヒトラーに裏切り者とされて服毒自殺した。
ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess)は総統代理まで出世したのだが、もともとが凡庸な人間で、第二次大戦開戦後はほとんど出る幕がなかった。イギリス本土に突如単身で乗り込み講和を実現しようという暴挙に出るが、結局拘留されて戦後は終身刑となる。
ボルマン(Martin Borman)は最も謎に満ちた男であった。大戦開始以後次第にヒトラーに重用されていくようになり、党本部長として影で強大な権力をもつ。表立った活動は一切していないが、最後までヒトラーのそばにいた。今だ持ってその行方についてはっきりしていない。
ゲッベルス(Joseph Goebbels)は、ヒトラーの取り巻きのなかでは唯一のインテリといっていい。文学博士で、ナチスのプロパガンダを一切仕切ってきた。ヒトラー政権では宣伝相として言論・文化の統制を行っている。最後までヒトラーの傍にいて、6人の子供妻ともに服毒自殺している。
シュペーア(Albert Speer)は、ナチスの建築関係を担当するテクノクラートであったが、対戦中は軍需相として目覚しい武器増産に貢献した。大戦末期にはヒトラーに敗戦後のことを考えてのインフラの維持を進言。ニュルンベルク裁判ではイギリスの後押しもあって禁固20年の刑ですむ。66年に釈放されてその後余生をまっとうした。
このように見ていくと、ヒトラーが重用した幹部たちはまともに彼の思想を理解して、真剣に行動したというよりも、つまり対等なパートナーというよりも、堕落した部下あるいは忠実な部下にしか過ぎなかった。ヒトラーは言っている。
”ヘスは飛んで行ってしまった。ゲーリングは国民の共感を得られない。ヒムラーはまるで芸術に無縁だし。”
唯一シュペーアがヒトラーにまともな提言を行ったが、他は彼自身を理解するというよりも崇拝の対象として集まった信者のような存在かもしれない。ことにゲッベルスとボルマンはヒトラーの傍に最期まで付き添った。
このように見ていくと、独裁権力はうまくいっているときはいいが、いざ危機に瀕すると以外にもろく崩れてしまうものだということが分かる。その他ナチスに貢献したと見られる人たちをニュルンベルク裁判で絞首刑になった者から簡単に見ていこう(裁判でボルマンは欠席のまま絞首刑の判決、ゲーリングは判決後服毒自殺)。
●カイテル Wilhelm Keitel(1882-1946):
国防軍最高司令官 陸軍元帥 41年には「夜と霧の布告」といわれるものをだして体制に反対するものの暗殺を示唆する。
●カルテンブルンナー Ernst Kaltenbrunner(1903-1946):
オーストリアナチで親衛隊の隊員として活躍し、オーストリアのナチ化に貢献。ハイドリヒ暗殺後の国家保安本部長官。198センチもあり、あざのある顔が特徴。
●ローゼンベルク Alfred Rosenberg(1893-1946):
反ユダヤ主義著述家で、1930年『20世紀の神話』という大著を出し、ナチ思想の基本書とされる。美術品の収集・略奪にも関わる。東方占領地域相。
●ハンス・フランク Hans Frank(1900−1946):
1939年から強制収容所が多数あるポーランド総督。全40巻の日記がある。
●ウィルヘルム・フリック Wilhelm Flick(1877-1946):
33年ドイツ内相となり、全権委任法や強制的同一化の法案を起草。べーメン・メーレン保護領総督。
●ユリウス・シュトライヒャー Julius Streicher(1885-1946):
反ユダヤ著述家で、ドイツ国内で最も声高に反ユダヤを叫んでいた。大戦中は重要なポストにはついておらず絞首刑については疑義もあった。絞首場では「ハイル・ヒトラー!いまにボルシェビキがおまえらをやっつけるぞ!」と叫んだ。
●フリッツ・ザウケル Fritz Saukel(1894-1946):
42年から労働配置総監として、ヨーロッパ占領区から500万人移送。シュペーアは労働者の募集の必要性を提案したが、その役目を負った人物が処刑されている一方でシュペーアは生き残った。
●アルフレート・ヨードル Alfred Josef Ferdinand Jodl(1890-1946):
39年から国防軍最高司令部作戦本部長。デーニッツ政府(Doenitzは禁固10年で56年釈放。81年死亡)の代表として無条件降伏文書に署名。ソ連が死刑を要求。イギリスのシュペーアの減刑の見返りとして処刑されたと見られている。
●アルトゥーア・ザイスインクアルト Arthur Seyss-Inquart(1892-1946):
ドイツによるオーストリア併合を唱えた。オーストリア内相。オーストリア地方長官。オランダ民政長官