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学者とスパイ:響き渡る沈黙
デイビッド・N・ギブス
ロサンゼルス・タイムズ
2001年1月28日 日曜日
オピニオン・セクション
タクソン: 科学者達の論争の中で社会科学にたずさわる者、その中でも特に政治学者の大多数は中央情報局の為に研究を行っているという非常に興味をそそられる事実が明らかになった。
学会とCIAの繋がりが冷戦初期の一要素であったことは長い間、よく知られてきた事実である。1940年代及び50年代を通してCIAと軍の情報部はアメリカの社会科学者達の主要な財源だった。ヨーロッパではその機関は「文化的自由のための議会」を通して密かに指導的な作家や学者達を支援していた、とフランセス・サウンダースは最近の彼女の著書「文化的な冷戦」の中に書いた。
そういった傾向は1970年代のベトナム戦争の影響と諜報機関に対するアメリカ上院議会による公聴会の影響によって衰えた。公聴会の中ではCIAの過去の悪行が暴露された。彼らは民主主義政府に対するクーデターを煽動し、外国の指導者達の暗殺を企て、プロパガンダを広めていた。こういったことが発覚した後には誇り高い研究者達がその機関に関わるようなことはなくなったかのようだった。
けれども最近のリンガフランカ誌の記事はその認識が誤りであり、そういった「外套とガウン」のような関係性が冷戦の影響によって全盛であったことを明らかにした。記事によれば1996年以降、CIAは一般市民、特に最優先事項として学界を欺くようになった。アメリカの諜報に関わるエキスパートによれば、その戦略はうまくいったという。その記事はアメリカ政治学協会の次期協会長だったコロンビア大学のロバート・ジャーヴィスとハーバート大学のジョセフ・S・ナイに関して言及している。両者ともにCIAのために働いていたことを認めている。エール大学のH・ブラッドフォード・ウェスターフィールドは次のように語った。「実際、多くの公開討論が行われました。それからそれよりもたくさんのその一部だけが公にされた討論があります。」
上記に関して興味深いことはそういった情報が偶然的に得られたものであるということである。まるで合理的な人々の誰もがそういった活動に関わる誤りを見つけることができなかったかのように。ここには本当に間違った何かが存在している。
CIAは普通の政府機関ではない。それはスパイ組織である。彼らは秘密裏の活動に関わり、プロパガンダと偽装作戦を実践し、学者達に真正面から対立している。学者達は元来、客観的な分析と公開討論を求めるものである。従って情報機関と学者達との緊密な関係の中では大きな見解の不一致が生じる。最終的にCIAは学者達が研究しなければならない国際紛争の多くに関与する中心的な存在となった。政治学者達がCIAのために働く時には彼らはどうすれば客観的且つ無私公平な学者として研究することができたのであろうか?
これは生医学的な研究に関与している科学者達が製薬会社による資金提供を受けているのと本質的に同じことである。生医学に関わる科学者達は彼らの研究を偏らせる要因となり得る彼らのスポンサーが誰であるのかを明らかにすることが今日ますます期待されている。CIAの為に実施された研究を公開しようとしない政治学は低い水準に保たれたままである。
CIAはそれが冷戦が終わって以降「更生し」、これ以上、立法府と一般市民の非難を受けるような機密作戦を行わなくなったことを好んで宣伝する。実際、ウェスターフィールドのようなCIAの擁護者はCIAが「更生した」ことを力説している。これは一般社会を欺瞞に陥れるための策略である。その機関が更生したと考える人々は情報公開法を媒介に証拠資料を要請するべきである。彼らはおそらくそういったものが存在しないことを知るだろう。
秘密主義は学者達に対して特殊な問題を提起する。CIAのために研究を実施した研究者達は法的に彼らの発見物の公開に対して法的な規制を受けるから、そういった研究のほとんどは機密のままにされている。学者達はしたがって彼らの仕事を十分に果たすことができず、研究の公表を通して彼らの成果を広めることができない。機密の研究を請け負う中で研究者達は秘密主義−諜報機関の持つ最も非民主主義的な特徴の一つ−を実践する共犯者となった。
ジャーヴィス、ナイとウェスターフィールドは学界と諜報機関のつながりが研究を偏らせることを指摘する全ての提言を無視しているかのようである。けれども彼らはCIAによって行われた機密作戦のことを考慮しなければならない。こういった作戦は冷戦中になされ、その中では物議をかもすような行動が取られた。その作戦はアメリカが他国の政府を転覆する為に行われた。それは1953年にイランで行われ、1954年にはグアテマラで、1961年にはザイール、1965年にはインドネシア、そして1973年にはチリで実行された。これらの作戦は上院によって開かれた聴問会及びその他の信頼できる筋によって広くそして詳細に記録された。政治学はどういう風にこういう問題を取り扱うべきだろうか?私はその分野の中では最も評価の高い雑誌のうちの5冊に掲載された全ての記事に過去10年の間、目を通してきた。まれな短評や文章を別にすれば、それらはCIAによる機密作戦に関してほとんど言及していない。機密活動は事実上、記録の中から抹消された。
こういった機密作戦の評価に関わる政治学の怠慢は憂慮すべき問題である。ロサンゼルス・タイムズその他のメディアは最近になって発覚した機密作戦に関する記事を掲載している。それによれば例えばCIAはチリで恐れられている秘密警察のチーフ、マニュエル・コントレラス将軍と繋がっていたという。アメリカ政府はこういった作戦を容認していた。去年の3月、マドレーン・K・オルブライト国務長官はイラク政府に対し、CIAがその国で1953年にクーデターを支援したという事実を受け入れた。それにもかかわらず政治学ジャーナルはほとんどそういう問題に関して口を閉ざしている。このことに関して納得のいく説明を得ることができるだろうか?
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デイビッド・N・ギブス。アリゾナ大学政治学部の准教授。彼はまた「第三世界への介入に関わる政治経済学」の著者でもある。