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月の輪インコのいうことに価値があるか。
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投稿者 トム・やむ君 日時 2006 年 1 月 27 日 20:53:34: kjKjlqLIymqec

(回答先: 他の人って、誰だ、おめえ読まずに勘違いしてんな?≡3 投稿者 猿渡哲也 日時 2006 年 1 月 27 日 20:02:50)

 (2)ウィキ

 
 

価値の理論 基本

 
 

限界効用逓減の法則
投機的な目的を除けば、人が消費できる財の消費量には限度があるのが普通である。(最初の1杯のビールは美味いが、飲みすぎれば飲みたくなくなる。空腹時には1杯の白飯も美味いが、いずれ他のおかずも欲しくなるだろう。)

一般的に、財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分から得られる効用は次第に小さくなる。これを限界効用逓減の法則(げんかいこうよう ていげんのほうそく)、又はゴッセンの第1法則という。

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限界効用均等の法則
人は、効用を最大にしようと合理的に行動(効用の最大化)するものと仮定されている。(上の例では、人が白飯よりもおかずが欲しくなるのは、限界効用逓減により、白飯の限界効用がおかずの限界効用を下回ったためと解釈できる。)人は少しでも限界効用の大きい方を選択(選好)し、その財の限界効用はより小さくなる。結果として、各財の限界効用はすべて均等化されることになる。

財は貨幣で購入されるため、貨幣1単位で購入できる財の量は価格により異なる。(即ち、価格の逆数になる。) 貨幣1単位で得られる各財の限界効用は、財の限界効用 × 価格の逆数(即ち、財の限界効用と価格との比、加重限界効用)になる。

人は少しでも(加重)限界効用の大きい方を選好し、結果として、各財の(加重)限界効用はすべて均等化されることになる。これを、限界効用均等の法則(げんかいこうよう きんとうのほうそく)、又はゴッセンの第2法則という。

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需要関数の導出
今、仮に、ある財の価格が下落したとすると、その財の(加重)限界効用が大きくなる。すると限界効用均等の法則により、人はその財を選好し消費を増やす。逆の場合も同様である。このようにして、価格に対して逆の動きをする需要関数が導出できる。このように、限界効用理論はミクロ経済学の理論の基礎になっている。

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歴史的意義
限界効用理論には18世紀頃からの長い歴史があるが、限界効用理論の確立は1871年から1874年にかけてカール・メンガー、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、レオン・ワルラスの3名により、相次いで独立に出版された著作による。 限界効用(および限界生産力など)の概念は、「限界」という新しい手法によって経済学と数学(微分学)とを結びつけるとともに、それまでの労働価値説に代わる価値の根源に対する新しい考え方を提示して、近代経済学を独立・発展させることになった。これらの経済学史上の変革を限界革命と呼ぶ。

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効用の可測性
しかしながら、効用関数が実在するのか、特に効用の大きさが数値(あるいは金額)として測定できるのか、ということ(可測性の問題)は、当初から議論の対象であり、効用理論のアキレス腱であった。

それに対して、ジョン・ヒックスの「価値の理論」によって、需要の決定で意味をもつのは複数の財の組合せにおけるそれぞれの効用の数値ではなく、複数の財の組合せのあいだの効用の大小関係(選好)であることが周知のこととなった。いいかえれば、同じ無差別曲線が描ける別の効用関数は同一の選好をあらわす。したがって、財の組合せに対して、同一の選好をあらわす効用関数は複数ある。たとえば、2変数の効用関数u = u(x,y)と厳密な増加関数y = f(x)を考えたとき、増加関数によって変換された効用関数u = f(u(x,y))は変換前の効用関数と同じ選好をあらわす。

この点でいえば、たとえ限界効用が逓減しなくても、原点に凸な無差別曲線が描ければ、消費者理論においては問題はない。このことは消費者理論において、限界効用逓減と効用の数値が、つまり、効用の可測性の問題が無意味であることとして受け取られた。

しかしながら、ヒックスの業績がひろまる一方で、フォン・ノイマンとオスカル・モルゲンシュテルンが期待効用仮説をとなえ、経済学にふたたび基数的議論を復活させた。世界の事象がある確率分布にもとづいて決定される不確実なものであるとき、人々は効用の期待値を最大化するように行動することが公理として提案された。この期待効用仮説に従うとき、人々の不確実性への態度は効用関数の曲率に依存する。不確実性のない場合、効用関数の増加関数による変換は選好に中立的であった。しかし、期待効用仮説では選好に中立的な変換は、増加関数一般ではなく、線形の増加関数についてしか成り立たない。この場合、限界効用が逓減する効用関数と同一の選好は、同じく限界効用が逓減する効用関数でしかあらわせない。ようするに期待効用仮説は経済学に可測性を復活させたといえる。

期待効用理論において、限界効用の逓減は主体が期待値が同じ事象について、分散がより小さい事象を選好すること、つまり、リスク回避的であることを意味する。

定義と意味
ある資源をある集団に配分する時、その集団の内誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態を、「パレート効率的(Pareto efficient)」であると表現する。また「パレート改善(Pareto improvement)」とは、誰の効用も悪化させることなく、少なくとも一人の効用を高めることができる状態を言う。言い換えれば、パレート効率的な資源配分とは、パレート改善ができない資源配分である。

ここでパレート効率性の意味を考えるために簡単な例を挙げる。

例(この例において、「ケーキ」は何らかの効用のある資源を表している)
AさんとBさんがケーキを2人で分けようとしている。
AさんもBさんもケーキを食べれば食べるほど効用が高まるとする。
ケーキを2人に取り分けた後、まだケーキが余っている。
では、この状況はパレート効率的であるか?答えは否である。なぜなら、その余ったケーキをさらに分けることによって、Aさん、Bさんどちらの効用も悪化させることがなく、少なくともどちらかの効用を高めることが可能だからである。つまり、パレート効率性とは資源配分を無駄があるかどうかという観点から評価したものである。

また、パレート効率性は資源の初期配分に依存するため、客観的には不公平な資源配分がパレート効率的な資源配分となることがある。例えば、上の例の「ケーキ」がAさんの所有物だったとする。つまり、Bさんは初期配分ではケーキを保有していないとする。Aさんはケーキの消費量がより大きいことを選好するとすれば、初期配分はそのままパレート効率な資源配分となり、Bさんもケーキの消費量がより大きいことを選好するとすれば、この資源配分は公平性の観点から見れば問題のある資源配分といえる。

なお、「パレート効率性」は「パレート最適性(Pareto optimality)」と呼ばれることもあるが、この「最適」という言葉には資源の有効活用という意味以外含まれないため、ここではより的の小さい「効率性」という言葉を使うことにする。もっとも、「効率性」という言葉も様々な意味を含みうるから注意が必要である。

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ミクロ経済学におけるパレート効率性
ミクロ経済学は資源の配分メカニズムを研究する経済学の一分野である。特定の経済体制の下で理想的な資源配分が実現できるならばその体制は一定の説得性を持つが、ミクロ経済学は私的所有制完全競争経済においてパレート効率的な望ましい配分が自動的に達成されることを示した。これを厚生経済学の第一定理と呼び、1950年代にケネス・アロー(1921-)とGerald Debreu(1921-2004.12.31)が厳密な数学的証明を与えた。

この定理は1、完全競争(一物一価の法則、多数性、潜在的競争者)2、普遍性(所有権の明確性)3、凸環境(規模に関する収穫一定、選好の凸性)という3条件のもと、「競争均衡(=価格メカニズムによって達成される均衡)が存在すればその均衡での配分は必ずパレート効率的である」というものである。(第一定理の証明には選好の凸性は不要。)この定理の強力なところは当事者間の自発的交渉に任せておけば需給法則に基づく価格メカニズムを通じてパレート効率性という望ましい資源配分が実現できることを示した点にある。(厳密には均衡の安定性条件を満たす必要があるがそれが満たされない状況はほとんどない。)この定理はアダム・スミスの「神の見えざる手」を資源配分の文脈で理論的に再構成した点で経済学史上も重要である。また「任意のパレート効率的配分は一括固定税・一括補助金によって競争均衡配分として実現可能である」という厚生経済学の第二定理も示されている。

競争均衡配分がどこに決まるかは初期保有に大きく依存し、初期保有に格差がある場合、公平性の観点からは是認できない配分が実現するかもしれない。公平性の観点としてエンビー・フリーが挙げられる。エンビー・フリーな配分(envy-free allocation)とは互いの持ち分を入れ替えても効用が上昇せずに互いが互いを羨むことがない配分をいうが、自発的に交渉しても必ずしもエンビー・フリーな配分として競争均衡配分を実現できない。第二定理は政府が再分配政策を行い初期保有を操作することで機会均等化を図り、公平性の観点からも是認できうる競争均衡配分が達成できることを示唆した。ただ、政府は個人の選好と初期保有を知らなければならない。また初期保有を操作することは必ず機会均等を実現しているかは疑わしい。現実には世代は継続するが、ある世代において保有量を操作しても前世代の人の努力がその保有量には反映されているわけであり、そう考えたときこれは機会均等を実現しているとは必ずしもいえない。

そこで政府の政策目標としては何を設定すべきかという問題が生じるが、それはやはり効率性の追求ではないかという考え方もある。なぜなら市場が完全に効率的で移動が自由なら個人は自らの好きなように行動できるためである。この場合、量的な差異があっても個人が積極的に選んでいるので問題とはならない。むしろ差異があるからこそ効用レベルでは均等化されているのだとする「均等化差異」があてはまる。このあたりの議論は意見が分かれるところであるのでこれ以上は言及しない。

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