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「シオン賢者の議定書」とオカルティスト
数多ある偽造文書の中でも、この「シオン賢者の議定書」ほど、人類にとって災厄をもたらしたものは、あまり例をみないであろう。
この悪名高き「シオン賢者の議定書」、通称「プロトコル」の喧伝には、実はオカルティストが少なからず関わっているのである。この文章では、この事実を中心に述べてみたい。
この「プロトコル」とは、ユダヤ人の長老たちが、世界征服の陰謀を企み、また世界を影から操るために、密かに開かれた会議の議事録である、という。
この文書の内容は混乱しており、支離滅裂、同じことが重複したり、辻褄の合わない矛盾も頻出するお粗末な代物である。偽造者は、かなり慌てて作ったものらしい。混乱しているがゆえに、要約はちょっと難しい。
要するに、この文書の偽造者は、自分の気に入らない物を、かたっぱしからユダヤの陰謀のせいにしたのである。
例えば、自由主義思想は秩序や公を破壊するためのユダヤの陰謀。ダーウィンの進化論やニーチェの思想も、教会の権威を失墜させるためのユダヤの陰謀。マルクス主義もユダヤの陰謀。メディアやスポーツやポルノも大衆を白痴化させるためのユダヤの陰謀。自由、平等、博愛も、革命を起こし国を滅ぼすためのユダヤの陰謀。
だいたい、こんな感じである。
この「プロトコル」を読めば、これを捏造したり、あるいは本物の文書であると強弁したりする人が、どのような思想的傾向をもっているかは、だいたい分かるであろう。
この「プロトコル」は、革命直前のロシアの極右主義者達によって捏造された。彼らは革命勢力を攻撃するために、この文書をでっち上げたのである。革命派の人達を「ユダヤの手先」に仕立て上げるために。
……と言いたいのであるが、実は話しはそんなに単純ではない。この文書を喧伝した連中の最終目的は確かに先に書いた通りである。しかし、それと同時に別の目的も持っていたのである。
それは、オカルティスト同士の抗争である。
この「プロトコル」を捏造したのは、ロシア秘密警察であるというのが定説だ。
その種本はフランスで出版されたモーリス・ジョリー著「モンテスキューとマキャヴェリの地獄対談」である。
この本の内容は、ナポレオン3世の反民主的な政策と世界征服欲をあてこすった物で、ユダヤ人とは何の関係も無かった。しかし、何者かが、「ナポレオン3世」と「ユダヤ人」を置き換え、大量の加筆を行い、この「プロトコル」をでっち上げた。
この捏造の作業はフランス国内で行われたらしい。指示したのは、おそらくフランス国内で工作していたロシア秘密警察のピョートル・イワノビッチ・イワノフスキーの可能性が強いと、歴史家の多くは考えている。無数の状況証拠があるのである。
そして、これをロシア国内に持ち込んだのが、ユリアナ・グリンカなる、神智学を奉じる女性オカルティストだったのである。彼女によって、この「プロトコル」は「軍旗」なる極右新聞に掲載される。これが最初の「プロトコル」の印刷であった。
しかし、さして注目を集めることはなかった。
ここで登場して来るのがセルゲイ・アレクソンドロヴィッチ・ニルスなるオカルティストである。ニルスは1862年、地主の息子として生まれた。モスクワ大学で法学を学んだ。ロシア語の外にも三ヶ国語に通じ、ヨーロッパの文学にも通じていた。ニーチェの熱烈な支持者で、知事を務めるも、その専制的な性格のために失脚。故郷の農地の経営にも失敗し、破産する。これがきっかけとなり、ニーチェの思想を放棄。熱烈なロシア正教会の信徒となり、そのまま神秘主義思想に傾倒。やがて自分を一種の預言者であると信じるに至る。
「プロトコル」が彼の手に渡った時、この偽造文書は、ついに影響力を発するのである。
ニルスは「プロトコル」を、自分の著書である「卑小なる者の内の偉大」の付録として収録した。これによって、この文書は世間の耳目を集めるのである。
それにしてもなぜオカルティストのニルスが、この「プロトコル」を喧伝する必要があったのか?
彼が極右主義者だったから? 無論、それもある。
だが、それとは別にもう一つ、理由があったのだ。
当時のロシア皇帝アレクサンドル2世は、オカルトに嵌っていた。
革命直前のロシア宮廷には、多くのオカルティスト達が出入りをしていた。
後に、かのラスプーチンが権力を握る下地である。
1900年代、皇帝はフィリップ・ニジェ・ヴァジョなるフランス人のオカルティストを重用していた。彼は、かのパピュスの師匠だったこともある人物である。
彼はサン・マルタンの支持者で、心霊療法などにも手を染めていた。
しかし、彼の宮廷での評判は、あまり芳しくなかった。
すぐに貴族や高官達の間で反フィリップ運動が巻き起こる。
その動機は「皇帝を騙してる怪しげな詐欺師を追い払う」ためとは、ちょっと言えない。彼ら貴族や高官達は、それぞれ贔屓のオカルティストを抱えており、フィリップの後釜を狙っていた、というのが正確なようである。
そうした中、ニルスや、先の「プロトコル」を捏造した秘密警察のイワノフスキーは、反フィリップ運動に関わっていた。
彼らはフィリップを陥れるために、この「プロトコル」を捏造したらしいのである。
と言うのも当時、ユダヤ人とフリーメーソンは混同されていた。フリーメーソンはユダヤ人が陰謀のために作った秘密結社であるというデマである(当時、ユダヤ人はフリーメーソンの入会は認められていなかったというのに)。
イワノフスキーやニルスが言うには、フィリップはフリーメーソンの一員であり、ロシアを滅ぼすために宮廷に侵入したユダヤの手先であるという。
もっとも、フィリップはフリーメーソンに所属していたという事実はない。しかし、マルタン主義のオカルト結社には所属していた。だが、皇帝夫妻はフリーメーソンとマルタン主義の区別ができるほどのオカルティズム知識は有していなかったのである。
結局、フィリップは宮廷を追われた(しかし、皇帝との文通は続いた)。
あの有名なラスプーチンが現れるのは、それから間もなくのことである。
勿論、「プロトコル」を喧伝している連中にとって、この文書の利用価値は、フィリップ追い落としのような、ちっぽけなもので終わるものではなかった。
いや、本当の利用価値はこれからであった。
ロシアでは革命の気運は確実に高まった行った。
そんな中、ロシアの支配者階級や極右主義者達は、戦々恐々としていた。そして、こうした革命運動や民主化要求を抑え込むために、この「プロトコル」を利用しようとしたのである。
曰く、自由だの民主化だのマルクスだのは、ユダヤの世界支配のための陰謀だ!! というわけである。
もともとロシアでは、ユダヤ人は格好のスケープゴートだった。かのポグロムを見ても分かる通り。
さらに、ボルシェビキ、メンシェビキ、ともに革命派の指導者にはユダヤ人も居た。
革命をユダヤの陰謀であるとして、これを封じようとしたわけである。
この偽造文書は、ロシアからドイツ、イギリス、アメリカ、さらにはフランスにも逆輸入される。
どこの国にも極右主義者や、反ユダヤの差別主義者はおり、彼らにとって「プロトコル」は、便利な政治宣伝の道具だったわけである。
これは、燎原の火のごとく世界中に広まった。
もっとも、この嘘はすぐに暴かれる。
1921年に「タイム」誌が、「プロトコル」の正体をスッパ抜く。
これはモーリス・ジョリーの「地獄対談」を改造したものだ、と。さらにこの記事を書いたライターは、大英図書館に保存されている現物と比較し、コピーであることを証明してみせた。
これにより、イギリスでの「プロトコル」ブームは終焉する。
アメリカにしてみても同様だった。
最初、あの自動車王ヘンリー・フォードが、「プロトコル」を本物と信じ込み、「国際ユダヤ人」なる反ユダヤ本をプロデユースする。これは50万部を売り上げるベストセラーとなり、16ヶ国語に翻訳された。
当然、アメリカのユダヤ人達は激怒した。名誉毀損でフォードを告訴する。
これをきっかけにフォードは、自分の過ちを認め、ユダヤ人社会に正式に謝罪した。
しかし、なぜか発行者によって否定されたはずのこの本は、その後もしつこく出版された。日本にも、以上の顛末が全く書かれないまま、90年代に日本語版が出されている。
このように英語圏では「プロトコル」は零落の道を歩んでいった。
しかし、ドイツはちょっと事情が違った。
神智学には、アーリヤ人至上主義や人種差別の思想が入っていることは良く知られていることである。「シークレット・ドクトリン」の中で展開される「根源人種理論」である。
もっとも、神智学は、その後、こうした人種差別的な思想は放棄する方向で進歩した。
だが、こうしたネガティブな人種主義を捨てきれないどころか、それを教義の中心に据える神智学系のオカルティストも居たのである。
こうした思想を持つオカルティストとして有名なのが、アドルフ・ヨーゼフ・ランツとグイド・フォン・リストである。
彼らはスワスティカ(後にナチスのシンボルとなる鉤十字)を自分らのシンボルとし、アーリヤ人至上主義とユダヤ人排斥を唱えた。
彼らは「プロトコル」を積極的に取り込んだ。ユダヤ人排斥の根拠として。
彼らの思想は、やがてエーリッヒ・エッカルトと「トゥーレ協会」なるオカルト結社に引き継がれ、やがてこれはアルフレッド・ローゼンベルグの著書「20世紀の神話」の種となる。この「神話」は、かの「我が闘争」と並ぶナチスの聖典となる。
ナチスは「プロトコル」が偽造文書だということは認めたが、「そこに書かれている内容はユダヤ人を説明するのに適している」とした。
以下は、ヒットラー自身の言葉だ。
「プロトコルには多くのユダヤ人が無意識に行っている行為が、ここでは意識的に明示されている」
「プロトコルが偽書? それがどうした? 歴史的に真実かどうかはどうでもよい。内容が真実であれば、体裁などどうでもよいのだ。」
……どっちにせよ、人類史上稀有の蛮行ホロコーストに、「プロトコル」は大きな責任を負っているし、それの喧伝に一部のオカルティストが関わっていたのは、厳然たる事実なのだ。
ともあれ、この「プロトコル」は、その支離滅裂さゆえに、応用範囲が広く、ネガティブな政治宣伝に盛んに利用された。
我々は、この恐ろしい歴史を知るべきなのだが、この偽造文書を本物と信じている人々が今もなお存在しているのも、これもまた動かしがたい事実なのである。