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「UFO問題の複雑さと奥深さ
この地球は本当はだれのもの?
UFO問題は、ただ空を見上げ「UFO探し」をしているだけでは恐らくその全貌が見えてこないと私は思います。ちょうど、ビルの玄関口に立ってその入口を見つめていると、近づきすぎて建物全体が視野に入ってこないようなものです。建物から離れ遠望したとき、実はそのビルが30階も40階もある巨大な高層ビルで、しかもその建物の下には、更に地下深くまで、いろいろな施設が潜在しているらしい、というスケール感が得られます。
UFO問題も、そのようにいったん対象から離れたところから上下ともに見ていくことも必要ではないでしょうか。そういう見方をしてみると、UFO問題は好事家の謎解きや余暇活動などの対象としてのローカルな問題ではなくて、実は我々の世界や歴史、科学など、そのすべてが包含される、いわば主客逆転の関係にあるらしい問題の本質が見え始めてくるのです。極端な言い方をすれば、人類の歴史はさらに長い「彼らの歴史」の一部であり、「我々の地球にやって来るエイリアン」という言い方も逆で、「彼らの世界の一部である惑星地球に住む人類」になります。UFO問題の真に恐ろしい部分はと言えば、まさにそのことだと思います。
森の中の野鳥たちの生態として、カッコーと他の野鳥との間に見られる寄生(托卵)関係は昆虫にもあって、アゲハチョウの幼虫に卵を産み付けるハチもいますし、これなどはすっかりチョウの幼虫だと思っていたものが、実はそこからハチが生まれてきたというようなことになるわけで、まさに人類(の一部)と彼ら(の一部)との関係を示唆する一例だと思います。
寄生されたアゲハチョウの社会がそれを宿命と悟り、個を捨て全を守るという観点から幼虫の一部をハチ族に捧げているとすれば、まさに「いけにえ」のようなものです。
人類の陰の支配グループと彼らとの契約に基づき行われているとうわさされるアブダクションはまさに人身御供であり、古代文明などで行われた「神」や「霊」に捧げるいけにえの儀式そのものです。もし本当にそうなのなら、われわれは早くその真実を知って大人になる必要があり、モラトリアムがやがて解除される日が来ることを心構えとして持っておかなければならないのではないだろうか。
内臓がくり抜かれた無残な牛の死体が牧場に散乱していても社会問題にならない不思議な国アメリカ・・いかにそんな国であっても、若い女性や子供たちの無残な死体が放置されていたら民衆はだまっていないでしょう。しかし彼らとの「契約」で、それだけは守られているのでしょうか?
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過去40年以上にわたり、連綿と続いているUFO目撃報告のおびただしいデータの蓄積にも関らず、いまだにUFOが世論に認知されない、あるいは科学者グループからは懐疑的に見られている状況を見ると、UFO観測努力がいつ報われるのか悲観的にならざるを得ないのです。よほどしっかりしたプロジェクトを組み、広域的なネットーワークを張り巡らして、常時観測できる体制(人や観測機器)で取り組まないと、これはきわめてむずかしそうです。(非公開の軍事的情報収集活動がまさにこれなのでしょうが?)
余暇を利用した市民によるUFO観測の努力がいつの日か報われて、良識ある多くの人達が「これ(UFO)はまちがいなく実在する」という結論に達したとき、「では、それは何なのか?」という話になってくるわけで、この段階になってようやくこの問題の本論、核心に入ってくるのです。
ケネス・アーノルドの一件から数えても45年間にもわたり、その本論に達する前の段階で足踏みを余儀なくさせられているのが現実で、これこそ大衆が真実に触れることを拒む「ある力の影響・戦略の成果」そのものではないのか、とも思うのです。そうしている間にも、その問題の重要性を知悉している科学者グループは、非公開の場で精力的にそのメカニズムや、他の天体の詳細な情報を収集し、解析している可能性があるわけで、「知っている者たち」と「知らないわれわれ」との情報格差はますます拡大しているのではないか、と思うことがあります。
次に「良いET」と「悪いET」に関してですが、実はこの価値判断そのものがきわめて人為的・地上的です。家畜を虐殺したり、人間をアブダクションしたりする行為のみに着目すれば、地上の法律や倫理的観点に照らし、決して容認できるものではありません。が、これがより優れたエイリアンと人類を合成し「優性種」創造のプロジェクトの一環だとしたら、その是非に関してわれわれの常識的な価値基準を超えた判断をする必要に迫られるでしょう。
一方、旧ソ連で病人などを治したとされる一見「良い宇宙人」も、「農夫だって傷ついた家畜を世話し治療するが、いずれ家畜は屠殺され人間に利用される運命にある」ということから、「行動をもとにエイリアンを“善良”か“邪悪”かに分類するときは、細心の注意をはらう必要がある」という見方もあります。
(『異星人は地球にいた!』ウィリアム・F・ハミルトン三世/大陸書房/1992)
そしてさらに重要なことは、これらUFO問題全般が、有史以前から続く壮大な心理的トリック(仕掛け)であり、UFOの実在を疑いもなく信じこみ、これに引き付けられた人々をやがて矛盾と錯乱に落とし入れるようなプログラム、すなわち「情報ウイルス」が巧妙に仕組まれている可能性もあるのではないか、との疑念もあります。
このため善良な(ように見える)宇宙人の存在を全面的に信じてしまう前に、情報ウイルスに感染してなにが本当でなにが嘘なのかわからなくなってしまわないよう、常に警戒心を怠らず、やや距離をおきながら「さめた見方」でUFO問題に取り組んでいくことも必要ではないか、と私は思っています。」