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神社に潜む謎の勢力
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投稿者 横路美菜 日時 2005 年 12 月 05 日 18:47:19: GeJ704FOp/.lE

レプティリアン関係はこちらですね。
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…去年の赤穂総会にて、わたしは昨年赤穂で開催された総会の前に、大避神社に参詣しました。そのとき拝殿に掲げられた龍の絵馬と、拝殿の軒端にある龍の彫刻に目がとまって、非常に強い疑問を感じたのです。「なぜ、ヤ一ウェを祀ったはずの、秦氏の創建した神社に龍が掲げられているのか?」と。なぜならば、聖書においては、龍と蛇は等しく悪魔の象徴であって、天地創造の神様を拝する礼拝所には相応しくないからです。しかも、翌日、生島(いきしま)を撮影した何枚かの写真には、ごらんの通り良く晴れた青空に龍雲が突き出ているのが写っています。この総会に出席する前、飛鳥昭雄、三神たける共著「『心御柱』の謎」を読んだ・ところ、伊勢神宮の内宮の地下宮にイエス キリストの血染めの十字架が祀ら・れており、表はイエス キリストであるが、裏は蛇であると書いてありました。これには強いショックを受けました。なぜ蛇かといえば、蛇には無毒の蛇と有毒の蛇とがあって、エデンの園で人間を堕落させた蛇は毒蛇だから悪魔の象徴であるけれども、モ一セが青銅で作った蛇は火の蛇に噛まれた人を救った蛇だ・から、無毒の蛇であり、これこそイエス キリストの象徴であるというのです。その証拠に、後の世の人々はこの蛇を「ネフシュタン」と呼んで拝んだと聖書に書いてある(列王紀下18:4)というのです。著者たちは、聖書がこの「蛇礼拝」を是認していると解釈していますが、それは違います。《列王紀下18:3〜4》を見てください。「ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モ一セの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。人々はこれをネホシタンと呼んだ。」とあります。
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ですから「蛇礼拝」は悪魔礼拝であって、主の目にかなわない事だと聖書は告げているのです。では、なぜ木に掛けられた青銅の蛇を仰ぎ見たら罪が赦されて助かったのかと言えば、主は木に掛けられた「火の蛇」を呪われたので、その象徴である青銅の蛇を仰ぎ見てそれを信ずる者は、蛇の毒から解放されたのです。従って十字架に掛けられたキリストとネフシュタンとを同一視するのは誤りです。表はキリスト、裏はネフシュタン(無毒の蛇)という解釈には、後述するように、隠された悪い意図が感じられます。以上のような考えをもって、去年の赤穂総会で、「心の御柱」の著者三神たける氏に対し、わたしが「聖書では蛇や龍は悪魔の象徴とされているが」と質問したところ、やはり「蛇には善い蛇と悪い蛇があるんですよね」という答が返ってきました。ですからそれ以上の質問は議論になりますから、中止したのです。丹後の籠神社にてあの日は、総会終了後、同行の兄弟たちと一緒に車で丹後の籠神社(このじんじゃ)に参詣しました。そして、第82代海部(あまべ)光彦宮司の特別なご好意で、三時間に及ぶお交わりの時を与えられました。わたしの聖霊体験と「神ながらのみち」についての考えを語り、種々の質問を発しましたが、誠意をこめて熱心に応えて下さいました。その中で、またも「蛇と龍について」質問したのです。すると海部宮司も「龍には善い龍と悪い龍とがあります。善い龍は雨を降らせ、豊作をもたらし、霊験あらたかなので、籠神社でも龍をお祀りしています。これをお読みください」と言ってパンフレットを下さいました。わたしはこの問題に関してそれ以上のことは何も言いませんでした。ただ宮司はわたしたちに対して、「シュメ一ルをご研究になることをお勧めします」と言われたのです。それと今一つ気になったのは、古来、籠神社を規制する何かの勢力があるということです。それは、暗示するだけにとどめたいと言われました。シュメ一ルと日本帰宅してから、わたしは早速シュメ一ルの研究にとりかかりました。この一年の研究で、これまで知らなかったことが色々分かってきました。今その一端を皆様に発表させて戴きたいと思います。そもそもシュメ一ル文明とは、西暦紀元前(BC)4000〜2000年にメソ
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ポタミアで栄えて、忽然として消えた謎の文明であります。「シュメ一ル(SUMER)」とはラテン語で「スメル」と発音するのです。ですから「シュメ一ル」とは英語読みであります(岩田 明著「十六菊花紋の謎」p.16)。このスメル族がどこから来たのかと申しますと、一説には西域の巨丹(ホ一タン)からインドを通ってカラチに南下し、そこから船団を組んでペルシャ湾を経てメソポタミア南部に上陸し、ウル、ニップル、ウルク、ラガシュ、エンマ、アダブ、イシン等の都市国家を建てました(岩田 明著「消えたシュメ一ル王朝と古代日本の謎」pp.55〜64参照)。また、別の説によれば、スメル人とはノアの洪水のあとにコ一カサス高地から南下してホ一タンに来たもので、爬虫類型異星人(レプティリアン)が遺伝子操作で作り出したア一リア人の一派だとも言います。爬虫類型異星人とは蛇や龍の姿を持つ冷血、残忍な悪魔の化身であって、彼らは人類を家畜化して支配する計画に基いて自分たちに似たア一リア人を作ったのだというのです(デ一ヴ・ィッド アイク著「爬虫類人(レプティリアン)――大いなる秘密《上》――p.61,pp.88〜93参照」。→スメル人の神話によれば、彼らの先祖は「アヌンナキ」(天から地上に降りてきた者)、「ディンギル」(火を噴くロケットに乗って来た義人)であり、スメルの地は「キエンギル」(監視者たちの地)と呼ばれました。聖書外典のエノク書によれば「監視者(ネピリム)」とは「神に離反した天使たち」(ベ・・ネ ハ エロヒ一ム)であって、のちに「ベリアル」と呼ばれる者たちです。また、スメル人の神話における創造神は夫婦であって、夫が牛神ハルであり、妻が蛇神キであります。スメルの円筒印章には右図のような絵が刻印されています。また、スメル人の別の神話によれば、「混沌の中から、巨大な蛇の化身ラ一ムウ(男神)とラハウム(女神)が生まれた。ラ一ムウとラハウムとは、激しく絡み合って交合し、聖なる夫婦神アンシャルとキシャルとを産んだ」とあります。この神話の影響はア一リア人「イン族」によって支那にもたらされ、BC16世紀にイン族は黄河流域に達して夏王朝を滅ぼし、殷帝国を建てます。伝説によれば、殷の最初の帝は伏義(ふつぎ)で人面牛首蛇身の男神であり、帝妃は女禍(じょか)といい、人面蛇身の女神であったとされています。ふたりの絵では下半身が絡み合った姿になっています。さて、いわゆるシュメ一ル文明の最後の華を咲かせたウル第三王朝がBC2004年に滅びますと、スメル人は忽然として姿を消します。彼らは一体何処へ行ったでしょうか。岩田 明は前掲書において、スメル人が海と陸の二手に分かれて移動したのではないかと推理しています。海に逃れた人々は得意の船団を組んでインド洋、南太平洋、南支那海を通って
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日本列島に到達したと見ています。この説によると、彼らは「天孫族」と称し、第1団は山陰地方の丹後に天下った(海下った)のが、アマテラスオオミカミの孫ホアカリノミコトで、丹波から大和に至る大丹波王国を建てました、(これは籠神社の海部氏の受け継ぐ伝承です)。しかし、4代目の倭宿祢命(別名椎根津彦)のときから出雲勢力に乗っ取られてしまいます。第2団は九州地方の日向に天下った(海下った)アマテラスオオミカミの孫ニニギノミコトです。つまり天孫降臨は二度あったことになります。そして、ニニギノミコトの孫サヌノミコトが瀬戸内海を東上して大和の出雲勢力を征服し神武天皇として即位するのです、(これは古事記の伝承です)。更に、第3団は太平洋岸づたいに関東地方の茨城沿岸に上陸し、鹿島神宮、香取神宮を建てました。これが神武天皇の樫原の宮における即位と同時期だといわれます、(岩田 明著前掲書p.136)。彼らはいずれも龍蛇神を崇拝する点で共通しています。神武天皇とは何者かでは、神武天皇の即位の時期は何時頃であったかが問題になります。それは、日本書記によればBC660年です。しかし、竹内文書によればBC720年です。これは漢字破字法による日本書記の裏読みに基いて660年から60年さかのぼらせたものです。竹内文書には珍奇な人名、地名が記されているので、偽書として笑殺することはたやすいと思いますが、そうできない理由が出てきました。それは、飛鳥昭雄著「竹内文書と月の先住宇宙人」の中に、飛鳥氏が下鴨神社の裏神官大烏から聞いた話があります。竹内文書の著者竹内巨麿が鞍馬山で修行していたとき、大烏から竹内文書の中に荒唐無稽の要素を織り込まなければ発表をゆるさないと規制され、やむなく、誰が見てもわかるウソを織り交ぜたと記されています(飛鳥昭雄前掲書pp.294〜300)。この大烏とは飛鳥氏によれば、日本の神道界はもとより、天皇、宗教、政治、経済、その他各界を裏から支配している蛇と龍の勢力の代表的人物であると言われます。大烏はすでにAD8世紀に作られた古事記(AD712)、日本書記(AD720)にも深くかかわっていました。彼らは竹内文書を材料にして記紀を作ったので、もし本来の竹内文書が発表されれば、記紀の偽書性が暴露されるから、竹内文書を偽歴史書とするために、竹内巨麿を脅したのです。ところで、竹内文書は神武天皇を日本最初の天皇としてはおりません。竹内文書では天神5代目から天皇(スメラミコト)の呼称が始まり天神朝4代、
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上古(じょうこ)朝の天皇25 代、不合(ふきあえず)朝の天皇73代、そして73代目の神武天皇が、次の神日本(かむやまと)朝第1代神武天皇となり、その後に125代の天皇が続いて現代にいたるのです。さて、日ユ同祖論の立場から神武天皇の即位年を見ると、小谷部全一郎説では、預言者エリヤがガド族とマナセ族を率いてBC896年に東方へ脱出した。天皇をミカドと呼ぶのは、ガドに敬語のミをつけたものだとします。この説では、年代は適合しても天皇の称号には無理があるでしょう。次にマクレオド説では、十部族が捕囚先のメディアから脱出したのがメディア王の戦死した時(BC662)としていますので、年代が適合しません。この点では、小石 豊説も年代は特定していませんが、同じことでしょう。・次にヨセフ アイデルバ一グ説では、十部族脱出の年代を特定せず、古・代ヘブライ語の一方言から、「スメラ ミコト」は「サマリヤの陛下」を意味するかも知れない、従って神武天皇の称号「カムヤマトイワレビコスメラミコト」は「サマリヤの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味であるとします。この説の弱点は「スメラミコト」の称号が神武天皇から始まったと考えていることです。次に川守田英二説て゜は、預言者イザヤ夫妻がヒゼキヤ王の王子インマヌエルを擁し、ユダ・族、ベニヤミン族 レビ族を率いて、BC712年にユダ王国を脱出して日本に来たとします。この説も神武天皇の即位年と適合しません。わたしはイスラエル12 族が日本に移住してきていると推測しているのですが、いくら調べても未だその年代を特定することが出来ないでいます。さらに、前述したスメル(シュメ一ル)族の王が日本に来て「スメラミコト」と呼ばれたという説にも疑問があります。竹内文書によれば、天皇は上古第1代から「スメラミコト」とよばれていたのです。神武天皇の称号は「カンヤマトイワレヒコスミラミコト」として神代文字で別紙のように書かれています。→天神第5代の天皇は地球を「地美(チミ)」と名づけて当時は大陸の一部であった日本に玉座を定めて万国を統治しました。スメラミコトの統治は天の浮船(宇宙船)に乗って万国を巡回することと、世界を16州に分けて16人の王子を派遣して統治させることによって行われました。その子孫の中からスメル族が生まれて来たかも知れませんが、スメラミコトの呼称の発祥の地は日本であり、スメル族(天孫族)の長がスメラミコトと呼ばれたという考えは単なる憶測に過ぎないことがわかるでしょう。古代史研究家の竹田日恵(にちえ)博士の説によれば、スメル族(天孫族)はウル
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第3王朝滅亡(BC2004年)の104年後に日本に到着しました。その目的は日本を支配、征服することでした。天孫族はBC1900年日本に到・着すると、直ちに大和の皇居に参内し不合朝第67代 春建日媛天皇(はるたてひるひめすめらみこと)に皇居を日向の高千穂の峰に移すことと、天地の神を分離して祀ることを勧めました。更に、第69代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の命により地の神の表象として「白蛇神像」を作るように仕向けました。これは三回半とぐろを巻いて鎌首をもたげた金属製の偶像で、竹内家が宮司を勤める皇祖皇太神宮に神宝として受け継がれています。これは宇宙万物の創造神を祀る大祭司であり、現人神てある天皇に蛇を神として拝ませる陰謀でありました。祭祀の乱れは天皇軽視と反逆を生じ、国家社会の乱れとなって行きました。その報いは大天変地異としてやってきました。その変動は不合朝第73代神武天皇のころまで繰り返し現れましたが、神武天皇が祭祀を正して天地の神を合祀し、神日本朝を開いたことによって安定したといわれます、(竹田日恵著「日本書記暗号解読」pp.74〜97参照)。陸路による蛇勢力の東漸・・シュメ一ル アッカド バビロニア第1王朝(BC1595年滅亡)は相次いで滅亡しましたけれども、彼ら蛇勢力はア一リア人であって、陸路東漸して支那(中国)に到達し夏王朝(BC16世紀)を滅ぼし殷帝国を建てます。前述の通り、殷の皇帝は伏義(ふつぎ)、帝妃は女禍(じょか)といい、上半身は人で下半身は蛇であり互いに絡みあっていたといわれます。このア一リア人蛇勢力が日本に到達したのは恐らくBC1400年ころで、先住民族を滅ぼして出雲王朝を建て、その支配は日本海沿岸を北上して東北地方に及んだと思われます。出雲には、スサノウノミコトによる八股の大蛇退治の神話がありますが、その子孫とされる大国主命というのは謎の人物です。古事記では、オオクニヌシはスサノウの息子になっていますが、日本書記では、スサノウの五世の孫になっています。そして、オオクニヌシの別名が六つもあって、その一つは大物主神(オオモノヌシ)という龍蛇神です。現代にいたるまで出雲では龍蛇神信仰が中心となっているのです。更に、出雲大社の社殿は古代においては高さ90メ一トルあったといわれます。想像を絶した大建造物ですが、これは、メソポタミア伝統のジグラットを模したものと考えられます。ウルのジグラットはBC2050年頃に築かれたもので、これは復元されています。右図をご覧下さい。→基壇の底辺は60メ一トル×45メ一トル、高さは20メ一トルです。三層
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になっていて最上階に月の神を祀ります。 しかし、バビロンにあるバベルの塔の遺跡を見ると、基壇は正方形で一辺の長さは91.5m,高さは七層であって、一階は黒色で土星を祀り 36.5m,二階はオレンジ色で木星を祀り 20m,三階は深紅色で火星を祀り 20m,四階は黄金色で太陽を祀り6.4m,五階は淡黄色で金星を祀り6.4m,六階は藍色で水星を祀り 6..4m,七階は白銀色で月を祀り19m,となっています。高さの合計は114.7m です。そうすると最上階まで登るための階段は基壇から100m以上離れた所から築かれて行ったであろうと思われます。バベルの塔の遺跡は礎石しか残っていませんが、そういう形になっています。日本に渡来したア一リア人の出雲勢力は、石やレンガを使うことができないので、大木を材料として組み合わせて巨大木造神殿を築いたのでしょう。その最上階に大国主命をまつりますが、神殿が西方を向いているのは、エルサレムではなく、バビロンを向いているのです。巨大木造建築の遺跡は日本海沿岸の各所に見られ、有名な遺跡には青森市の三内丸山遺跡があります。出雲王朝と大和王朝とは、勢力争いをすることになりますが、日本書記では、天津神を代表する.天孫族(神武天皇)が顕露事(あらわのこと)即ち「政治」を司り、国津神を代表する出雲族(大国主命)は幽事(かくれたること)即ち「神事」を司ることで和解が成立し、その代わりに大国主は天に届くほど大きな社を建てても良いということになりました。ところで、大国主が一歩退いて神事を司るとはどういう意味でしょうか?本来政治というのは「まつりごと」であって、祭政一致でなくてはならないはずです。それを分離したのは疑問です。事実その後も分離されてはおりません。それゆえわたしは大国主の司る「かくれたること」とは、日本國の裏支配を意味すると考えるのです。つまり闇の権力として宗教をも、政治をもコントロ一ルすることです。その実例として、崇神天皇のころの出来事を取り上げたいと思います。崇神天皇のころ宮中では天津神と国津神を合祀していました。天津神とは天照大神であり、国津神とは大国主命です。大国主とは別名大物主で龍蛇神です。そのオオクニヌシの荒御霊であるオオモノヌシが、「アマテラスと一緒ではいやだ」と言って大音響とともに宮殿を揺り動かすので、たまらなくなって皇女豊鋤入媛命(とよすきいりひめのみこと)が、天照大神の御霊代である八尺の鏡を奉じて逃げ出し、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀りました。ところが出雲の蛇霊はしつこく何処までも追いかけてくるので、そこから逃げて丹後の与謝宮に祀りました。今の籠神社(このじんじゃ)で「元伊勢」とも
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呼ばれます。ところがここからも追い出されて 89 年間に亘り、全部で29か所を巡ってついに現在の伊勢神宮の地に落ち着いたのです。その間に豊鋤入媛は死に、代わって垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)がい斎宮として仕えました。しかし、これで出雲の支配は終ったのではありません。それから 500 年後に、出雲の蛇霊は天照大神を祀る内宮(ないくう)のそばに外宮を建てて「外宮」(げくう)と称し、丹後の与謝宮から豊受大神を迎えて祀りました。これは豊受大神が穀霊であるから、天照大神に食べ物を差し上げるためであるなどと称していますが、実はアマテラスを押さえ込むためでありました。その証拠に伊勢神宮の祭りは内宮からではなく、外宮から行われると定められているのです。次に、アマテラスが出雲の闇権力に追われただけでなく、天皇も出雲と三輪山の蛇霊から逃げだして、大和を離れ、第 12 代景行天皇と第 13代成務天皇は滋賀県大津に、第 14 代仲哀天皇は福井県敦賀に、第 15 代応神天皇と第 16代仁徳天皇は大阪に遷都しました。そして原始キリスト教徒(ユダヤ人) 秦氏により、京都に平安京が建てられてやっと安定したのです。神社に潜む謎の勢力では、秦氏によって蛇霊の勢力は抑えられたのか、というと、どうもそうではないようです。前に述べた飛鳥昭雄著「心御柱の謎」、及び「竹内文書と月の先住宇宙人」によれば、日本國の裏支配を行う闇の権力者は下鴨神社の裏神官大烏であって、出雲勢力とつながる龍蛇霊だと考えられるからです。大烏とは神武天皇の東征を道案内した八尺烏(ヤタガラス)であり、イスラエル民族の祭祀族であるレビ族の長であると飛鳥氏は語ります。飛鳥氏と語る大・烏氏は天照大御神の「御」=巳=蛇「みいさん」だし、表は「イエス キリ・スト」、裏は「蛇神」てある。しかも、イエス キリストは大工であり、定規とコンパスを使う人であるから、真のフリ一メイソンだといいます。カバラ一によればそういうことになると解説するのです。これまでわたしは秦氏が日本神話を竹内文書を素材としてアレンジし、古事記、日本書記を作り出したことや、また神社を創設したことを発表しました。しかし、その神社の中でレビ族がバビロニアの龍蛇神と結びついてカバラ思想を用い、日本の天皇、皇室、宗教界、政界、その他あらゆる分野を蔭から支配する闇の権力として働いているのだということを知るに至ったのです。日本の神社は天地造化の神を拝む社として建てられたのですし、天照大神もイ・エス キリストの象徴として崇められたのかもしれません。しかし、ほとんどすべての神社について:言える事は龍蛇神即ち「みいさん」を拝むこ
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とでご利益が得られると宣伝し、ご利益グッズを売りまくって金集めに夢中になっていることです。出雲大社でもそうです。これれは単なるご利益宗教だと一笑に付して済むものではありません。マタイ福音書第4章に「イエス様がお受けになった悪魔の誘惑」が記されています。その中で悪魔が「ひれ伏してわたしを拝めば、この世のいっさいの繁栄を与えよう」と約束しています。イエス様は「サタンよ、退け!『主なるあなたの神を拝し、ただこれにのみ仕えよ』と書いてある」と叱りつけてサタンを退けました。イエス様のようにサタンを退けないで、繁栄を求めてサタンを拝む人には、繁栄が来ます。しかし、その代わりにその人はサタンのとりこになります。蛇と龍の差し出すエサに食らいつく魚は食べられてしまいます。イエス様とサタンの区別がつかないようにしたり、サタンが親切で魅力あるものに見えたりするように、闇の勢力は手を変え、品を変えてわたしたちを誘惑しています。@ 神社仏閣にある蛇や龍の絵や彫刻や掛け軸。龍蛇神講のすすめ。A テレビゲ一ム、映画、ビデオによって龍や蛇になじませる。B 紙幣のデフォルメされた蛇の目のデザインC・テレビ ショッピングの電話番号、0120−666−666D パソコンのホ一ムペ一ジアドレス記号wwwはヘブライ語の666E テレビCMの中で、親指と小指を立てて、他の三本を曲げると山羊のサイン、つまりフリ一メイソンのサインになる。F ハ一ドロックのビデオ演奏のテ一プの中にサブリミナル効果で人殺しや、レイプやおぞましい画像をパッパッパッと見せて知らぬ間に心に焼き付ける。G 商品に付けるバ一コ一ドの初めと真中と最後の縦線が666・現代は終末のしるしが沢山現れている時代であります。悪魔 悪霊は姿を隠しながら第三次元の世界に反キリストの勢力を解き放って人々をたぶらかすために活躍しています。カトリックの中にも、プロテスタントの中にも、カリスマ派、ペンテコステ派の中にも色々な形で蛇と龍がしのびこんでくるのです。神社がイスラエルの幕屋様式てあるとか、秦氏が創建したとかいっても、真の神様を礼拝するに相応しいかどうかを良く識別して、福音宣教の健全な道を見出して行きたいと思います。ヨハネ黙示録にあるように「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは地に投げ落とされ、火の池に投げ込まれて滅ぼされます」から恐れることはありません。、アァメン
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参考文献「」聖書 は、日本聖書協会発行の「口語訳聖書」を用いる。「聖書における蛇と龍」皆川尚一 日本のためのニュ一スレタ一2004年8月号・「『心の御柱』の謎」飛鳥昭雄 三神たける共著 学研 ム一ブックス「元伊勢籠神社御由緒略記」「世界の岩戸開きと元伊勢籠神社竜神伝承」海部光彦「古代海部氏の系図」金久与市 学生社「前ヤマトを創った大丹波王国」伴とし子 新人物往来社・・「メソポタミアの王 神 世界観」前田 徹 山川出版社「四大文明『メソポタミア』」松本 健 NHK出版「 蛇 」吉野裕子 講談社学術文庫「十六菊花紋の謎」岩田 明 潮文社「消えたシュメ一ル王朝と古代日本の謎」岩田 明 学習研究社「古代史に秘められたDNA暗号」桂樹 佑 たま出版「大いなる秘密(上)『爬虫類人(レプテリアン)・』」デ一ヴィッド アイク「 〃 (下)・『世界超記黒幕』」デ一ヴィッド アイク 三交社「超古代文明論」高橋・克彦 南山 宏 徳間文庫「龍の柩」@ABC 高橋克彦 祥伝社「龍の起源」荒川 紘 紀伊国屋書店「龍の時代」加納照鏡 説話社「龍の棲む日本」黒田日出男 岩波新書「 蛇 」吉野裕子 講談社学術文庫「古事記」岩波文庫「日本書紀」(一)(二)(三)(四)(五) 岩波文庫「縄文日本文明 一万五千年史」太田 龍 成甲書房「縄文の神とユダヤの神」佐治芳彦 徳間書店「縄文土器のはなし」甲野 勇 学生社・・・・「三輪山の古代史」上野誠 門脇禎二 千田稔 塚口義信 和田 学生社「『日本書記』暗号解読」竹田日・恵 文学考古会 徳間書店「竹内文書『神代の万国史』」竹内義宮編 宗教法人皇祖皇太神宮「定本『竹内文献』」武田崇元編 八幡書店「」・『竹内文書』世界史の超革命 竹田日恵 文学考古会 徳間書店「『竹内文書』と月の先住宇宙人」飛鳥昭雄 徳間書店
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11「『竹内文書』の謎を解く」布施泰和 成甲書房「『超図解』竹内文書(T)、(U) 高坂和導 徳間書店・「蝦夷 アテルイの戦い」久慈 力 批評社・「弥生時代の実年代」春成秀璽 今村峯雄編 学生社「夏王朝」〜王権誕生の考古学〜 岡村秀典 講談社「出雲大社由緒略記」出雲大社社務所「出雲大社の本殿」 出雲大社社務所「出雲大社」千家尊統 学生社「古代出雲大社の復元」大林組 学生社「古代出雲巨塔の謎」祖田浩一 中公文庫「出雲の古代史」門脇禎二 NHKブックス「出雲神話の真実」関 裕二 PHP「出雲風土記」(全訳注) 荻原千鶴 講談社学術文庫「古代出雲 イスラエル王国の謎」小石 豊 学研 ム一ブックス「銅鐸民族の謎」臼田篤伸 彩流社「伊勢神宮」所 功 講談社学術文庫
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