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(回答先: 管理人さん、板変える時は引越し先教えてくださいね。さてコクドの続き 投稿者 月の輪 日時 2005 年 10 月 14 日 14:40:28)
“《新高輪プリンスホテルは16階建てだが、部屋数がホテルニューオータニや京王プラザなどと並ぶ規模で、敷地の広さを主張する数字になっている。その広い敷地の一角に、やはり、古い洋館が建っている。
さらに、隣接した敷地に昭和46年に建てられた高輪プリンスホテル(418室)があるが、そこにも2階建ての洋館が附属している》(猪瀬直樹『ミカドの肖像』)
高輪プリンスホテルに附属する洋館は、その昔、竹田宮という宮家の邸宅でした。新高輪プリンスホテルの洋館は、同じく北白川宮の邸宅でした。
竹田宮にしても北白川宮にしても、今の日本人はほとんど聞いたこともないはずです。しかし、戦前は確たる地位を占めていた「皇族」です。
いったいその皇族たちは、どこから来てどこへ行ってしまったのか? 今回、本サイトでは、この「皇族」について大研究します!
そもそも宮家(皇族)とは何か? わかりやすく言えば、天皇家が断絶の危機にあるとき、代わりに次の天皇を即位させる「家」のこと。代打というか、予備というか。実は鎌倉時代以来の伝統があるんですが、本格的に成立したのは室町時代です。
一番最初の宮家とされるのが、亀山天皇の皇子(恒明親王)を始祖とする常磐井(ときわい)宮です。これは室町中期まで6代にわたって存続しましたが、ここで断絶。続いて後二条天皇の皇子(邦良親王)を始祖とする木寺宮が作られましたが、こちらも室町中期に断絶しました。
1390年代の終わりに創設されたのが、崇光天皇の第1皇子・栄仁親王(よしひとしんのう)が始祖となった伏見宮です。この伏見宮は、その後550年間続き、ほとんどの皇族はこの系統から誕生しています。まさに宮家の中の宮家というわけ。”