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ちゃんとした論文が見られない以上土井を憲法学者と定義するのは間違いだと思う。
土井の文章は”世界””中央公論””文藝春秋”などその手の雑誌にも見られないのだ。
国会図書館の雑誌記事検索では2つ出てきました。1つは○○さんご紹介のもので、
もう1つは下記のものでした。
論題 判例にあらわれた憲法第31条違反の問題点
著者 土井 多賀子
請求記号 Z2-39
雑誌名 公法研究
Public law review
出版者・編者 日本公法学会 / 日本公法学会 編
巻号・年月日 (通号 22) [1960.07]
ページ ????
ISSN 0387-3102
キーワード 憲法
雑誌記事ID 301061900
http://opac.ndl.go.jp/Process
『同志社法学』
第52号(10巻6号)(1959.3)
両議院の国政調査権に関する憲法論的一考察(その1)(資料) 土井多賀子(58)
http://law.doshisha.ac.jp/association/hogaku/mokuzi/51_100_down.html
初当選前のものを、同じく国会図書館の検索で探すと3件出てきました。
単独執筆したものはなく、判例解説などを田畑監修の下で書いていたようですね。
和図書 1−3(3件)
1. 憲法判例綜合研究 / 田畑忍. -- ミネルヴァ書房, 1963
2. 憲法問題入門 / 一円一億,黒田了一. -- 有斐閣, 1963
3. 判例憲法学 / 田畑忍. -- ミネルヴァ書房, 1958
検証 土井たか子について 投稿者:○○ 投稿日:12月21日(土)03時36分03秒
tarako様
私は兵庫県在住で関西学院大学院出身です。土井について情報提供とコメントを。
まず学歴。兵庫県立第三高等学校(現御影高)ですが、御影には女学校があった。
神戸市の公立高校学区で御影は神戸東部、土井の家があった西部とは逆。
土井が御影の女学校に通ったかもしれませんが、西部の旧三中の長田高と地理的に離れてます。
御影など神戸東部の旧制中学は現神戸高です。次に土井の修士論文ですが、課程修了していれば存在します。
関学の場合、3部提出で論文審査後、1部所属学部、1部大学図書館、1部本人の所有となります。
同じような規定だと思うので、同志社大図書館がアクセスしやすいのでは。修士課程単位取得退学なら
修論は存在しません。修論未提出者が『同志社法学』のような紀要に投稿できないのは大学人の常識。
国立情報学研究所電子図書サービスですが、私にも紀要に投稿すると同サービスの検索対象にするか
どうか問い合わせてきます。土井が過去の論文を検索対象にするのを拒否してれば発見できません。
まあトンデモ論文だと自覚していれば、検索拒否は賢明な選択。私は政治学で法律と関係ありませんが、
法学部にいた経験からいえば、あんな憲法論で学術雑誌投稿は無理。キチガイ田畑については、
生前「スイス型国家をめざして」などと馬鹿丸出しの講演をしていました。スイスは非武装中立でなく
武装中立で国民皆兵。日本が国民皆兵になれば、シナやコリアはどう反応するか。ヨーロッパで永世中立は
NATOに加盟するよりコストがかかります。スイス、スウェーデンは歴史的な経緯、オーストリア、フィンランドは
第二次大戦の戦後処理でそうなった。田畑はよほどの無知か、虚言壁。関学、聖和の非常勤も土井の実家に近い
兵庫県西宮市なので、田畑がゴリ押しで採用させた。関学には土井が非常勤をした当時を知る教員はもういませんが、
当時を知る教授は私の大学院時代(90年代前半)に「あんなもん」と馬鹿にした口調だったのを覚えています。
死去するまで土井の後援会(西宮は土井の選挙区)に入っていたフランス語教授は主体思想研究会でした。
土井と社民党について最近始めた日記にも書いています。よろしければのぞいてください。
http://http:www2.diary.ne.jp/user/177668
もう一回追記
2ちゃんとかで批判受けた部分についても少し修正しておく
一兵卒から昇級していったとしたら限界はどこか?
これは海軍さんとかにも聞きました。
ごく普通だった場合、海軍なら兵曹長という階級がありまして、ここが一応の
出世の限界だった模様です。これは少尉の下です。
ただし先の戦争、終了間際にはかなり階級制度も破綻というか、例外的昇格が
頻繁に見られたそうで、一兵卒から少尉、中尉、さらには少佐、中佐くらいまでは
出世した人間もいたそうです。ただしこれは例外的だと思います。
特務少尉、中尉、大尉という階級もありました、これは一兵卒から昇級していって
正規の少尉ではないが、少尉相当の階級というものでした(海軍である)。
個人的には特務少尉、ってのはけっこう聞くのですが、特務中尉、特務大尉っていう
階級は自分的にはあまり聞いたことがないので、自分の記述として、一兵卒から
昇級しても(特務)少尉くらいが限界だと書きました。これはウソではないとは思いますが、
軍隊には例外的昇級なども常にあり、断定は危険ということです。
しかし常識的には一兵卒から昇級しても兵曹長(海軍)、准尉(陸軍)という階級が
ひとつの目安であったということは厳然たる事実です。
軍隊にも学歴偏重があったのですね。台湾の李登輝さんですが、彼は京大を卒業して
、軍隊に行ったのですが、最初の階級は少尉だったそうです。普通一兵卒からだと少尉には
絶対なれなかったと思います(例外除く)。
終戦間際には一兵卒から少佐、中佐になった人間もいたそうですが、特務少佐という
言い方はなかったようで、普通の少佐と階級的にも呼称的にも一緒だったそうです。
余談ですが、当時の大佐ってどれくらい偉いかというと、戦艦大和とかありましたよね、
あれの艦長はたしか大佐だったはずです。その他戦艦、大型艦の艦長はだいたい
大佐クラスだったようです。駆逐艦など小艦の艦長だと中佐、少佐だったそうです。
潜水艦だと、艦長は少佐〜大尉でしょうか。
少佐〜大佐ってのは現在の会社レベルで言うと、部長クラスですかね。
少尉〜大尉は課長クラス。
少将〜大将は管理職ですね、常務、役員、社長クラスですね。
あと、ニュース番組など聞いていて、気分悪くなるフレーズに、
”戦前の日本と現在の北は同じ体制”っていうのがあります。
これは大嘘か、誤解ですね。久米宏が好きなフレーズなんですが。
日本には大正時代から政党政治が根づいていました。東条英機といえど政党から
選ばれた人間でした、彼の独裁政権ってのはなかったのです。その証拠に彼は
サイパンが攻略されてから退陣させられています。彼は軍人出身だってのは事実ですが、
現在でいえば、自衛隊出身者が文官になり、総理になったようなもの、といえば
おわかりいただけるでしょうか?当時では違和感がなかったのです。
天皇制が独裁政権か?これはここにこられる賢明な方々にはおわかりでしょうが、
これもまっかなウソです。だいたい(昭和)天皇は明治天皇にならい、立憲君主制として
政治にはまったく関与していませんでした。天皇が政治性を発揮したのは後の述にも
あるように、2.26事件の収束と終戦の詔、あと、ひとつくらいです。だいたい天皇は
開戦には関与していないのです。たしかに開戦証書には天皇の御玉印があったと
思いますが、
それは最終的に承認したというハンコにすぎません。開戦を決めたのは海軍と陸軍であり、
天皇はそれを承認しただけです。(天皇の戦争責任というのは非常に微妙な問題であるが、
私個人は厳密に言えば天皇には戦争責任はあると思っている、しかしそれはハンコを押した
責任である、しかし当時ハンコを押さないという選択はなかった、議会の決定は天皇の意思には関係なかったから)
また当時の庶民にすら、この戦争には負けるとか、天皇批判とか、政治批判なんて
いくらでもあったものです。それを公式の場で言わなかったというだけで、批判は自由でした。
天皇批判をしたら特高につかまった、とかって話はありますが、それは公式の場でそれを
すれば逮捕もされたでしょうが、少なくとも民衆の間では政治批判は自由でした。
当時の日本は収容所国家ではありませんでしたから。
共産主義者でもなんでも牢獄に入れられて、たしかに獄死した人はいると思いますが、
死刑になった人はいませんでした。ここに共産党の戦前は弾圧されていたという言のウソが
見えてきます。彼らは共産主義でテロを起こし、日本に革命をもたらそうと非合法活動を
していたから弾圧されていたのです。単なる犯罪者です。それは旧議長の宮本の経歴を
見れば一撃でわかります。彼は殺人容疑で逮捕されていたのです。
北の金一族が日本の天皇制を真似ているというのは事実だと思いますが、それはうわべの
階級制度みたいものだけ真似ているんであって、実質は全然違うものだと思います。
日本の天皇は政治には基本的に関与していないし、ましてや庶民の生活に口出しなんか
していませんでした。天皇とは国民の安寧を祈る存在だったのです。
金ちゃんは国民から搾取する存在なのです(笑)。
天皇の食卓なんて非常に質素なものだったというのは有名なんですが、あまりマスコミには
取り上げられないのは非常に不思議です。たしかに天皇は外国にも行くだろうし、
高級な料理の知識、高級ワインの知識、なんて必須なんですが、普段は質素ですよ。
昭和天皇でも現天皇でも。現天皇が皇太子時代、旧友が遊びにきて、夜食としてインスタント
ラーメンを侍従に求めた、なんて話は有名ですよね。現皇太子はワインが好きなんですが
普段は1000円から2000円クラスのワインを好んで飲んでいます。
彼らにはペトリュスとかロマネコンティ(共に高級ワイン)の知識は必要なんですが、
日常それを飲んでいるわけではないのです。(金ちゃんは高級ワインが好きで日常飲んでいる
らしい)
皇室の人間はたしかに御料牧場産のものとか、供物なんかあって高級なものも食べているかもしれないけど、
基本は我々と同じもの食べていますよ。金ちゃんとは違いますよ。
我々だって宮内庁御用達の品物を別に買うことはできますよね。
宮内庁御用達の醤油とキッコーマンの醤油がどう違うのか私にはわかりません。
東条英機はヒットラー並に悪いやつって思い込みですが、それはサヨク教育なんですね。
サヨクの宣伝なんですよ。私の小学時代もそういう教師がいました。
昭和初期ですら日本には議員内閣制が確立しており、独裁者の出現する余地なんか
なかったのですがね。大政翼賛会という巨大政党があり、そこの独断ですべての政策が
決められていたから一見独裁政権に見えるかもしれないけど、実態は違いますし、
少数政党も存在していましたしね。(現在でいえば自民党と民主党が合同したような
政党である、これだと国会で3分の2以上の賛成を得られるだろうから憲法改正でも
なんでもやりほうだいである、というのは現在も同じである、あくまで合同すればという仮定
だが、朝鮮有事があれば当然合同すると思うよ、まさに戦中の再現だね)
ヒットラーとの違いだけど、当時、ドイツはたしか大統領と首相がいたんだよね。
最初ヒットラーは首相だったんだけど、そのうち大統領も兼務して、首相+大統領で
総統ってな地位についたわけだ、そこから狂ってきたわけだ。日本には大統領はなかったし、
天皇と首相って明確な区分があったから、独裁者の出現する余地はなかったんだけどね。
天皇が政治に口出ししてたのは奈良時代だったか、ものすごい不評で(笑)、それから
天皇ってのは政治に口出しするのやめたんだよね、まさに形式象徴になったわけだ。
それで天皇を政治的に利用しようとしたのが鎌倉時代からか、征夷大将軍という称号を
天皇から授与されて、支配者が政治を行うようになったのは。
あと2ちゃんでみつけた非常におもしろい記述
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhy1010/hinomaru.htm
(成田空港反対派、一坪地主の話から)
参考までに当時の社会党(現社民党)の土井委員長(現党首)も成田空港反対派の、
一坪地主でしたが、訪米、訪中の際には成田空港を利用しました。その矛盾を成田空港で
テレビカメラの前でマスコミに指摘されたところ、返答につまり相手を無言で睨み付けただけでした。
平和憲法があるから自衛隊は必要ないとしながら、自分自身は警視庁の S P に四六時中、
身辺警護をされている点を、土井党首はどのように解釈しているのでしょうか?。
安全さにおいて世界でも有数な日本の社会よりも、国際社会のほうがより安全とでも
思っているのでしょうか?。日本の国を護る必要は無いが、自分の身の安全は日本国に
日夜護って貰うという、きわめて身勝手な、矛盾した考え方としか私には思えませんが。
戦後の日本の安全と平和は日米安保条約に基づく米軍の核の傘により護られたのではなく、
平和憲法という紙切れのお陰であると堅く信じているのであれば、それをコピーしてお守りとして
身に付ければ、S P による警護など不要であり、財政赤字の折りから国民が支払う税金の節約にもなるはずです。