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皇太子「人格否定」発言の意味
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投稿者 国松三郎 日時 2005 年 9 月 26 日 12:45:09: Bb4pDJtIqr3Cc

「それまでの雅子のキャリアやそのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」。
 もし、この雅子に苗字があれば、こんなことにはならなかったのであろうが、「雅子」とはもちろん皇太子の妻(40歳)のことであり、発言の主はその皇太子、44歳。5月10日、東宮御所檜の間で開かれた記者会見の席で、皇太子はこう言ったのである。ヨーロッパ3カ国訪問に先立って開かれたこの記者会見は、異例にも30分遅れで開始され、型どおりの発言のあと、病気であることが明らかな雅子の動静についての質問に対する答えのなかで発せられた。会見場は一瞬、時間が停止したかのようであったという。「えっ」と驚きの声をもらす記者までいたらしい。まさに異例中の異例である。
 この発言は直ちにテレビで放映され、どのような評価かは別として、全国、いや世界に拡がる驚きを高じさせた。週刊誌は競ってセンセーショナルに騒ぎ立て、外国のメディアも大きく取り上げ、月刊誌も特集した。
 私は、このニュースを聞いた途端に驚きもしたが、好ましいことだと判断した。皇太子の妻への愛を感じたからというわけではなく、象徴天皇制が崩れゆく確実で重要な一幕を実見できたからである。
 すでにさまざまな論評や意見が提出されている。「宮内庁の無能さ」「宮内庁と外務省の対立」「孤独な皇太子」「世継ぎプレッシャー」「皇太子の深い愛」「雅子の病状の酷さ」「愛子の自閉症」などいくつかのキーワードが踊っている。イギリスの高級紙「タイムス」は、「雅子妃は皇室からドロップアウトしてしまった」とまで報道した。それぞれに事態の一面を言い当ててはいるものの、事態の核心を突くものはないようである。

 世襲がかかえる根本的弱点
 まず、ごく簡単に基礎的な事実を確認しておく。
 皇室典範によって、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められている。現在、皇室には天皇、皇后、を筆頭にわずか24人しか存在していない。1965年に秋篠宮が誕生した後、8人生まれたが、男子は生まれていない。皇太子と、外務次官小和田恒の長女雅子は、1993年6月に婚姻した。8年後の2001年12月に愛子が生まれた。雅子が第2子を出産する可能性は低く、法律の改正がなければ、皇位を継ぐ者はいずれいなくなる。
 皇族の女性は皇族外の男性と婚姻すると皇族から離脱する。皇族外の人間が皇族と婚姻すると、戸籍がなくなり、皇統譜に加わり、同時に苗字を失う。
 戦前には、天皇は側室を設けることができた。事実、明治天皇の場合には側室が生んだ子が皇位を継承した(大正天皇)。そして皇族の血統を保持するために、14の宮家が存在した。さらに皇室を守るための機構が組織されていた。皇族のほかに、今は存在しない華族なる身分の家もあった。皇族、華族が数多く存在し、藩屏というにふさわしい分厚い人脈・人材によって天皇を護っていた。それらによってこそ、「万世一系」なる虚構が世襲として継承され護持されてきたのである。
 ところが、1945年の敗戦によって、象徴天皇制となり、皇室典範を変更した。14の宮家は4つに縮小されたが、世襲を変更することはできなかった(皇族のなかから選出する、とでもしておけば、世継ぎ問題は生じなかったであろう)。
 皇室を管轄するのが宮内庁であるが、その前身の宮内省は明治2年(1869年)に創設。敗戦後、1947年に5分の1に縮小されて宮内府になり、49年に宮内庁に。人員は大幅に削減されたが、宮内庁のトップは、旧内務省の出身者がしっかり固めていた。昭和天皇の場合には宇佐美毅長官は25年間も在職して身を捨てて天皇に仕えたし、先年死亡した前東宮侍従長の曽我剛は在任28年であった。だが、今や世代交代の波はここにも押し寄せ、職員の質が、この官庁だけではないが、劣化している。東宮職幹部の在任期間はきわめて短くなっている。つまり、腰掛け程度の職務となり、自治省、外務省、文科省などの官庁出身者からの寄り合い所帯になってしまった。そして、各省庁の利害を賭けて競争したり対立する。現在は特別職49人、一般職1232人が配置されている。天皇制をイデオロギー的な意味で一身を賭して護ろうなどと考えている人間は次第にいなくなってしまったのである。
 財政面では、日常費用として「内廷費」3億2400万円、「皇族費」約3億円、公的活動費である「宮廷費」約63億円。宮内庁費は約108億円となっている。この他に皇宮警察(要員約1000人)、宮内庁病院(ベッド数27床の総合病院)などがある。
 皇族であろうがなかろうが、夫婦に子どもが出産されることは、婚姻ととも必然であるというわけではなく、男子が産まれる可能性はさらに半減する。確かに、今日の医療技術では体外受精も男女生み分けも可能となっているし、愛子の誕生自身が「受胎調節による人口受精」の産物ではないかと公然と言及されてもいるが、本人の内発的な希望ではなく、外圧を加えて行われるならば、それはそれで強度のストレスを生む場合もある。
 生まれた子どもが成人して平均寿命まで生きることも確実ではない。皇族が不慮の事故に巻き込まれる可能性は少ないだろうが、病を得ることを絶対に避ける方法はなお発見されていない。だからこそ、前述したように、戦前の天皇制は皇族の数を増やし、側室制度を設けて、安全弁を確保していたのである。不慮の死がなくても、能力的に優れているとは限らない。大正天皇の場合にはとても務まらないので、皇太子(後の昭和天皇)を摂政にした。単に男子が一人生まれれば万事解決ではないし、女性天皇を認めるように皇室典範を変更しても、本質的な問題は変わらずに残る。その女性天皇の夫をいかに調達するかという問題も起きる(この奇特な男は、成人するまでは汚れた世間で生活しているほかない)。
 さらに、人間が成人するには教育が不可欠であるが、皇族だけの教育環境作りは並大抵のことではない。現在の天皇は、親子同居し、母乳で育てたが、それらは皇室の歴史で初めてであり、「乳母制度」を廃止する「宮中改革」と言われるほどに、世間と隔絶した世界を形成していた。だが、皇太子は学習院に通学したり、イギリスに留学したりしている。それらの場は世間と隔絶されているわけではない。どういう程度かはさまざまだろうが、世間の風に触れないわけにはいかない。「帝王学」などと言ってみたところで、それほど特別の教えを授けられるわけではない。華族は廃止されてしまったし、特別な人間はもはやいない。例えば、「皇統の護持」こそ「第一義的なお役目で」、「元来、皇室に外交面で何らかの国益上の貢献を求めるということ自体が、我が国体にそぐわぬ」と主張し、「『帝王に私無し』のお覚悟」(『文藝春秋』7月号)が必要だなどと考えている小堀桂一郎・東大名誉教授のような人物は骨董品にすぎない。皇族に接近する者は、その採用にさいしては、厳しくチェックされるはずであるが、雅子の出産を手当した東大教授の堤治は科学研究費補助金の不正流用が暴露されて東宮御用掛を辞任した(このことも雅子にマイナスに作用したであろう)。
 したがって、制度的なレベルで考えても、一夫一婦制だけが公認されている時代に、世襲制度を保持することは危険な綱渡りなのである。ここに象徴天皇制の根本的なアキレス腱がある。

 皇太子の人格的資質
 次に、皇太子という生身の人間の記者会見での発言を通して、今度の事態が暴露されてしまった点についても着目する必要がある。もし、皇太子が前記の「帝王に私無し」の帝王学を身につけていて、華族がたくさん生活していれば、結婚から8年間も待たずにどこかから男子を調達することもできたであろう。だが、今やそんな時代ではない。皇太子は前記のようにイギリスに留学したり、今日の時代の青年の一人でもある。まして雅子は東大法学部卒業で外務省のキャリアで皇太子と同じオックスフォード大学でも学んでいた才媛だった。皇太子は11年前に「雅子さんのことは、僕が一生、全力でお守りします」と約束して、雅子を口説いたのである。このエピソードは繰り返えし宣伝され、「プリンスの素晴らしい愛」の物語を信じている者も少なくない。
 そして、宮内庁は前例主義に固まっているとはいえ、「開かれた皇室」を演出する必要にも縛られている。「プリンスの素晴らしい愛」を作り出すのも仕事である。だから、皇太子の強い態度を前にして、記者会見の直前にあわてふためくことしかできなかったのであろう。
 今回の「キャリアと人格」について、この二つの言葉が皇太子のものではなく、雅子の入れ知恵だなどと邪推する者もいるが、皇太子の学力と人格がそれほど低能であると見る必要はない。精神を患った妻への思いやりがほとばしり出ても何の不思議もない。つまり、世間から隔絶された別世界で帝王学を身につけるなどということはもはやできず、日本社会の平均的なあり方と同じ水準で、思考する人間を天皇や皇太子に据えるほかにやりようはないのである。ロボットがいかに優秀に発達してもロボットを天皇にすることはできない。ここに、象徴天皇制の現実的な弱点がある。

 宮内庁の劣化と天皇制思考
 宮内庁の質がどれほど低下したかは、昨年12月中旬に、帯状疱疹で入院して退院した直後の傷心の雅子に追い打ちをかけた、湯浅利夫長官による記者会見発言――「秋篠宮に3人目を強く希望する」などという非常識に顕わである。それは、雅子の長期療養を発表する前日のことであった。
 宮内庁と小和田家との確執は、昭和天皇の妻が危篤になったさいに御所に駆けつけた小和田恒を皇族ではないからと追い返したことなど、いくつもリークされている。宮内庁は、小和田家に皇居訪問の機会を与えない。確かに、小和田恒は皇太子の妻の父であるにすぎず、皇族ではないから、前皇后を見舞う資格が前例からすればないのであろう。彼が、恐らくアポイントもなしで、親戚を見舞うつもりになるような人物だったことが、天皇制にとっては不都合なのである。天皇制のわきまえを備えている人物などもやはいないと言ってよい。
 しかし、その宮内庁も重症の雅子の療養のために雅子の実家である小和田家の軽井沢の別荘を活用するほかなかった。皇族が民間人の家で暮らすことなどありえないはずであり、ここにも天皇制のほころびが示されている。宮内庁がやれたことは、雅子と愛子と同行した皇太子がそこに宿泊することをやめさせることくらいである。
 天皇特集をいくつか読んでいたら、昭和天皇はひいき力士の名をあげることを控えていたという話が書いてあった。人物の好悪を口にしない高潔な人というイメージアップのためのこの話を読んで、もう40年近く前のことを思い出した。私は沖縄闘争をめぐって逮捕されて野方署に入れられたことがあったが、そこで読んだ官本に、何とかいう手品師が昭和天皇の前で芸を披露して、隠した何かが左右いずれの手の中にあるかと、天皇に聞いたら、沈黙のあと、侍従が「陛下はお答えになりません」と言ったという話が皮肉な調子で書いてあった。第二次大戦突入にいたる過程における天皇の戦争責任は明確に追及しなくてはならないが、他方ではこのように責任逃れの態度もまた、天皇制の不可欠の属性であった。そして、それは、天皇、高級官僚から一般の国民までを貫いて、無責任の体系を形つくっていた。
 制度としての天皇制だけではなく、このような精神面・思考スタイルの面でも、天皇制は近代的な個人の人格的成長を押しとどめる役割を強く担っていたのであり、今日にも広範な影響を与え続けているのである。
 さらに、春秋2回の叙勲(約1万人が対象)が天皇制を意識させ、序列意識を固める手段として活用されている。こんなものは、早急に廃止すべきである。すでに財界のトップからも「叙勲は民間人には要らない」という声もあがっている(奥田碩日経連会長)。
 ところで、『文藝春秋』の特集には「19人の識者」なるものが発言しているが、「皇室を楽しいところに」だとか、皇太子と面会したことを得意げに書くとか、ばかばかしいとしか言いようがない。米原万里が「天皇制が民主主義とは異質なもの」と書いているが、その結びは現在の天皇制が「相対的に穏やかでいいのではないか」と言うのだから、呆れてしまう(7月号)。桜井よしこは「皇族に文明の担い手の象徴や役割を期待するほうがもはや無理なのだろうか」と呑気なことを告白している(同)。総じて若い者ほど軽い発言であることも特徴的である。
 最後に日本共産党の対応を見ておこう。何と、問題の記者会見の翌日にわずか本文22行のベタ記事があるのみ。「人格否定の動きも/雅子さんの苦悩代弁 皇太子」の見出しが小さく付いている。日刊紙の読者はこれだけしか読めない。「赤旗日曜版」では1面を使って「どうみる 雅子さんめぐる皇太子の発言」を組んでいる(5月23日)が、その最初のコメントは「象徴天皇制を支持する立場」と断ったうえでの大学教授の発言。さすがに結びには田中優子法政大学教授の「天皇制という制度が、雅子さんの人格やキャリアを否定したのです」という発言で締めくくっている。「若い女性 街の声」では「こういう制度はいらないんじゃないかな」という30歳の主婦の声を拾っているが、次に載っているのは、「皇室に嫁いだんだから家風に沿うべき」なる35歳の主婦。そういう声がないわけではないだろうが、こんなふうにバランスを取る必要があるのか。
 共産党は今年1月の党大会で綱領に、象徴天皇制(この言葉は使わないが)は「民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」と書き入れたが、国民の動向を後追いするのではなく、率先して象徴天皇制廃止へと世論をリードする必要があるのではないか。
 私は数年前から、<社会主義への政治的経済的文化的接近>という視点を提起し、文化的接近の核心として象徴天皇制の廃止をあげている。制度だけでなく、日本社会と日本人のなかで根強く染みついている天皇制的思考の克服が課題である。先に明確には答えない天皇の言語スタイルに触れたが、主体的な価値判断を避け、長いものには巻かれろを優先する生活習慣を打破しなければ、民主政を創造することはできないし、社会のさまざまな問題を前向きに解決することはできないのである。

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