現在地 HOME > 番外地4 > 391.html ★阿修羅♪ |
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最初に前置きを。戦争を目の前にエルネスト・チェ・ゲバラを取り上げてみようというのは、わしの中で決して無関係なことではない気がするのよね。チェ・ゲバラとは、カストロと一緒に1959年のキューバ革命を成し遂げた男。戦場においても非凡な指揮者であり、政治的にも特異な才能を発揮した男。長髪にベレー帽、ヒゲに戦闘服のまま経済使節団長として西欧各国や日本を歴訪し、一躍世界中の注目を集めた。当時、ハイスクールにいたジョン・レノンは「あのころ世界で一番かっこいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」と回想しているほど。
ココまで聞いて、全然ヘタレ感が漂っていないような気がするかもしれない。しかし、彼の激動の人生はヘタレエピソードが満載なのですよ。ゲバラはキューバの中央銀行総裁になっても、服装は戦闘服、ヒゲはそのまま、美人にはすぐ鼻の下を伸ばす、 仕事に熱中したら止まらない、葉巻はどこでもくゆらす、アメリカに文句をつけるがインディオにはやさしい、そして、なんと彼は貨幣を廃止しようとまでしたのでした。
ゲバラの革命は簡単に言うと、お金持ちの支配者階級を倒して、貧しい労働者の為の国を作るという共産主義革命。つまり、共に働き、等しく利益を享受しようという理想的な考えの末に、そもそも貨幣制度はいらないんじゃない?なんて思っちゃった。この政策はすぐに失敗しちゃうのだけれども、笑っちゃいけない。ゲバラの暮らし振りは大臣になっても、粗食、質素、粗末なアパート、プレゼントは全て孤児院や施設に寄付する。そして、公務の合間には辛い重労働にも参加する。今もキューバの紙幣には、さとうきび畑で働くゲバラの姿が印刷されているほど。(ちなみに紙幣は3ペソ紙幣≒25円らしい。3ペソという言葉の響きが!・・・なんともヘタレ情緒誘うものがある。)
今、世界を見渡すと、レーニンの希望は途絶え、毛沢東の思想は歪曲され、社会主義の思想そのものが否定されつつある。でも、未だに力強く生き残っている夢がある。それがチェ・ゲバラの社会主義ロマン。彼が死んだ今でも彼の生き方と思想は、メキシコの覆面集団・サパティスタの活動やエクアドル、ボリビア、ブラジルの先住民の権利を守る活動に影響を与え続けている。
キューバには今でも「CHE VIVE」=チェは生きている、という看板やラクガキが跡を絶たない。弱きを助け、強きを挫くヘタレヒーロー、チェ・ゲバラ。社会主義国が崩壊し、国際金融システムが世界を牛耳るようになり、アメリカが軍事大国として世界を席巻している今をみたら、彼は何を思うのだろう。
今回はチェ・ゲバラの人生を通じて、現代世界を読み解く鍵を探すものにしたい、と思うわしなのよ。
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★★★ UNDERーPHILOSOPHY 怪電波発信ナウ! ★★★
決して、このダジャレが言いたくてコンテンツを作ったのではありません。
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● ちょいと一息
さて、ちょいと気になったので、ゲバラ食品のHPを探してみた。おお・・・あるある。ゲバラ浅漬けのもと、ゲバラごま搾り香りのドレッシング、ゲバラ焼肉塩だれ・・・うーむ、新製品も盛りだくさんだわ!
そして、HPコンテンツの中で面白いものを見つけるわし。その名も「焼肉ジュージュー」というフラッシュゲーム。肉をマウスでクリックして鉄板にのせ、絶妙のタイミングで裏返し、タレにつけて食べ、得点するというゲーム。早速わしもチャレンジ!まず、皿の上に乗った肉を一枚のせて見るわし・・・どうせならと思い全部の肉を鉄板にのっけてみるわし・・・おお、肉を置くたびに湯気が立ち込め、じゅーじゅー音が鳴るぞ!そして、最初にのせた肉のあたりから裏返すわし・・・・がっ!裏返したとたん!肉は真っ黒焦げ!慌てて全部の肉を裏返すものの・・・鉄板の上には恐ろしい光景が・・・一番最後にのせた、まだ焦げていなさそうな肉をタレにつけて食べてみる・・・・すると・・・「生肉や!」という、謎の関西ツッコミ!・・・・そして、鉄板の上に累々と転がる、黒焦げの物体たち・・・・。
ゲームだとわかっていながら・・・ブルーになるわし・・・ダメだと判っていながら、黒焦げの肉をタレにつけてみるわし・・・そして、ゲームオーバーの表示・・・・「もうちょっと上手く焼いてよ〜」の文字が、思わずナミダに滲んで見える・・・リスタートボタンには「腹減った〜」の文字・・・いやぁ、このゲームホントに腹減りますわ!さすがゲバラ食品!販売促進ゲームなのね・・・。ちなみに焼肉ジュージューは[こちら]。腹減るぞ〜!
・・・え〜、コホンコホン、お話しを本筋に戻すわね。今回はゲバラの幼少期から青年期までの時期をお話したいと思うわし。舞台はゲバラの故郷アルゼンチン・・・真夏の熱い風が君たちを呼んでいる。
● 放浪と貧困と夢
1928年、エルネスト・ゲバラはアルゼンチンの医師の家に生まれます。後に彼はチェ・ゲバラと呼ばれますが、この「チェ」とはアルゼンチンの言い回しで、「おいっ!」とか「やぁ!」とか掛け声のようなものです。これがゲバラの口癖の様であったらしく、キューバに渡った後、民衆たちが親しみと敬愛を込めて彼を「チェ・ゲバラ」と呼び始めたのがキッカケ。(・・・うーん、わしもチェ・めきしこと呼ばれてみたい・・・でも、ますます妖しいハンドルネームになりそうな気がしないでもないわし・・・。)
ゲバラは医師の家という比較的恵まれた環境に育った訳ですが、2歳の頃喘息を患ってしまいます。後にこれはゲバラが医大に入るキッカケになったり、ボリビアの山中で窮地に追いやられる原因ともなっています。まぁ、そんな境遇がゲバラ少年の読書熱につながったのかもしれません。彼は生涯を通じての読書家であったようで、ゲリラ部隊に古今の名作を諳んじて聞かせたこともあったようです。秀才の誉れ高く、数学や考古学を得意としていた彼。その他にもフロイトや機械工学にも関心をもっていたらしいのです。
喘息の発作以外は、比較的すくすくと育ったゲバラ。(喘息という病気は、発作以外は通常の人と変わりありません。しかし、ゲバラのようにプカプカ喫煙するのは良くないと思うのですが・・・汗;)でも、他の少年と違うところがありました。それは放浪癖・・・後に「あっちいったりこっちいったり、他人の国でゲリラ紛争を起こして、世の中を掻き回す物騒なオッサン」と風評を買うのは、彼のこの放浪癖に由来するものなのでした。
高校を出たゲバラはブエノス・アイレス大学に入ります。自分の喘息の治療法を研究する為に。しかし、医学を学ぶかたわらも、放浪癖のせいでラテンアメリカの各地を度々旅行することがありました。へたれバイクでアンデスを越え、船倉のトイレに隠れて密航したり、荒野で野宿、ヒッチハイクしたり、いかだでアマゾン川を下ったり。お金はなく、他人の好意にすがるのみ。無鉄砲だけれども、情熱的な旅をする若き日のゲバラ。彼は放浪の旅によって南米の貧困という過酷な現実についてまざまざと知ることになります。そして更に、彼はインディオの悲惨な生活を目の当たりにし、ハンセン病の治療に自分の使命を痛感するのでした。
彼は大学で学位を得た後、アルゼンチンから亡命します。何故ならアルゼンチンが軍医制を取っていた為で、彼は軍隊ではなく、貧しい人々や虐げられた先住民のために医術を活かしたかったのです。しかし、人ひとり救えても、その背後に大きく聳える貧困や差別が病の元になっている・・・・ゲバラの中で巻き起こる葛藤・・・もっと、もっと人々を救いたい!放浪の旅で出会った貧しくとも心優しい人々の笑顔・・・苦境の中でも思いやりを忘れない原住民の暖かな気持ち・・・・彼の胸には様々なものが去来します。・・・病、そして差別や貧困と闘うにはどうしたら良いのだろう・・・・答えを求め、各地を転々とするゲバラ・・・南米の紺碧の空の下、遠い雲を追うように、彼の求道の旅は続いていくのでした・・・。
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★★★ UNDER-PHILOSOPHY 怪電波発信ナウ! ★★★
↑原画・ダジャレ/藤村さん。みなさんのゲバラダジャレお待ちしています(笑)
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● ちょいと一息
ゲバラ関連の南米の地図作りました。・・・実は、グアテマラとかボリビアとか一体ドコ?って感じだったわし。人物を知り、地理を知り、歴史を知る・・・ああ、いい感じだわ。ゲバラが生まれたのはロザリオという町。アルゼンチンで初めて国旗が立てられたという歴史深い町。・・・それにしても、チリって細長い国だわねぇ。
● 恋と転身と革命
ゲバラは医者でした。しかし、彼はゲリラ兵士になってキューバ革命に身を投じます。医者とは人間の命を救う者、そして、兵士とは人間の命を奪う者。一体、この180度の大転換は何故起きたのか、今回はそういうお話し。
アルゼンチンを出たゲバラは隣国のボリビアで、弁護士兼民族運動革命家のリカルド・ホロと出会います。意気投合した二人でしたが、実際のボリビアの革命とは名ばかりで、ゲバラの求めているものではありませんでした。しかし、旅を重ねるにつれて、さまざまな亡命者と出会い、さまざまな考えに触れていくゲバラ。それでも、兵士として革命に参加することなど、まだ考えもしていないのでした。何故ならゲバラには兵士として致命的な欠点がありました・・・そう、それは喘息の発作。絶体絶命のピンチ、命がけの場面で、もし発作が出てしまったら、兵士として使い物にならないばかりか足手まといになる。ゲバラは医者として革命を支援する道を探していたのです。
ゲバラはパナマを越えて、中米へ。そして、グアテマラで象徴的な事件を目の当たりにします。当時、グアテマラの大統領アルベンスは、白人とインディオの権利を平等にし、農地改革を断行しようとしていました。つまり、貧しいインディオを救おうという政策に、ゲバラも拍手喝采!しかし、グアテマラにアメリカの魔の手が忍び寄っていたのでした。
ドルによる介入とCIAの工作・・・・アメリカお得意の策謀を非難するアルベンス、しかし、アルベンス大統領はあっけなく失脚してしまいます。中南米の国々はアメリカに、貨幣の力でも政治の力でも到底太刀打ちできないのでした。CIAの工作は明確な証拠がないので、何ともいえませんが、現在もこのパターンはIMF(国際通貨基金:実質はアメリカ主導の団体)を通じて使われています。つまり、アメリカの意思に合わないことをすると、お金なんか貸してあげないわよ!って脅しをかけたり、CIAを使って政治スキャンダルを暴露されたり、それはもう!しっちゃかめっちゃかにされてしまうのよ。(ちなみに現在、ゲバラの故郷アルゼンチンはIMFに圧力をかけられまくっています。)
そんな、今も昔も変わらないようなアメリカの帝国主義支配に義憤を覚えるゲバラ!このままでいいのか!グアテマラ市民に必死に訴えるゲバラ!武器を取ってでもアメリカの圧制と闘おう!と叫ぶゲバラ・・・しかし、叫んだだけでは革命は起こらない。・・・それよりも自分が武器を取ることもなく革命を訴えても・・・それは虚しいだけ。義憤だけで革命は起こらない・・・行動なくして革命はありえない・・ゲバラは打ちひしがれて、トボトボとグアテマラを後にするのでした・・・。
後にこのグアテマラの一件が、ゲバラを革命兵士として奮い立たせたとされていますが、わしはそうじゃないと思うのよね。ゲバラ意気消沈・・・・しかし、ある日!素敵な恋の訪れが、彼を変えてしまったのデース!
ペルーの亡命左翼女戦士イルダ・ガディア・・・うっ、何だか名前聞いただけで超イカス!恋の炎が燃え上がるゲバラ、もうっ!どうにも止まらないゲバラ!すぐにケッコンするゲバラ!そして、ゲバラが革命兵士になることを燃えるような情熱で支持するイルダ!ああっ!なんだか自分が昔、医者だった様な気がするゲバラ!喘息持ちだけど、まぁ、いいっか!と思うゲバラ!ああぁ!愛するイルダ!キミと革命なくして、ボクは生きていけなーい!
そして、新妻のイルダはゲバラにある人物を紹介します。その人物とはメキシコに亡命中のキューバ人革命家、スカトロ・・いや、カストロ。そこでゲバラは革命の友フィデル・カストロと運命の出会いをするのでした。
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★★★ UNDER-PHILOSOPHY 怪電波発信ナウ! ★★★
ダジャレがキビしくなってゆく昨今、もはや勢いで乗り切るしかない?!
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● ちょいと一息
アルジャジーラTVのHP見てたら、面白いものを見つけた。ビン・ラディンとチェ・ゲバラのミキシング写真。民衆のために立ち上がった正義のゲリラ、チェ・ゲバラ。写真はビン・ラディンにそのイメージを重ねているらしい。アラビア語オンリーのHPなのでどういう記事なのかイマイチよく判らないのだけれど。両者には決定的な違いがある。それは神を御旗に戦いを挑むものと、革命の名のもとに自ら武器を取り闘うものの差である。安易なキャンペーンほど人は惑わされやすく、溝は深くなるもの。でも、ゲバラだって人殺しなのにねぇ。ヘタレ論は殺人を肯定しません。が、人が人を殺すという現実を直視して、その根底にあるもの、そしてその背景を探り出してゆくものなの?って、疑問形?
●インペリアル・アパートから革命大冒険へ
さて、キューバから亡命していた元弁護士革命家・カストロとすっかり意気投合してしまったゲバラ。今日もウキウキ、インペリアル・アパートに足繁く通います。インペリアル・アパートとはメキシコシティのカストロの隠れ家で、後に世界中の革命運動家たちの憧れの場所となった建物。きっと、そこは誰も知らない秘密基地のドキドキとワクワクを感じさせてくれるステキな場所だったのよ。
カストロやゲバラはこのアパートで、キューバ革命の作戦を練りに練るのでした。ちなみにカストロが革命宣言をしたのもこの場所。その言葉とは、「来年はキューバに進軍する。あとはわれわれがキューバを解放するか、われわれが死ぬかだ!」。しかし、進軍といっても同志は数十人ほど・・・キューバのバチスタ政権を倒そうとする決意は立派だど、イマイチ内容が伴っていなかったり・・・のカストロ。
でも、このころから分散作戦と呼ばれるゲリラ戦と、東西分断作戦という大局戦を練っていたのも事実。そしてココにゲリラ戦の専門家であるアルベルト・バヨ大佐という人物の存在が光っているのデース。キューバに乗り込む前に兵士たちに軍事訓練を施し、鍛え上げたバヨ大佐。名前は変だけどこのキューバ生まれの元・スペイン軍人は、仲間にとって力強い存在だったのよね。
さて、お話しは前後しちゃうけど、どうしてカストロはキューバから亡命したのか、お話ししなきゃね。
当時、カリブ海地域は19世紀から継続されてきたアメリカの「併合主義」によって蹂躙されようとしていました。「併合主義」とは、アメリカがその国の基幹産業を支配して、ついには属領としてアメリカに併合するという、金にものをいわせる強引なもの。ちなみに、当時、プエルトリコはその手法でアメリカの領土になってしまっていたのです。
砂糖農園、金融、鉱山、鉄道、電力、電信、貿易、商業、観光など公益事業のすべてを支配してゆくアメリカ、そして、その中でアメリカと癒着し民衆を搾取する、バチスタ政権というものが半世紀にも渡って存在していたのでした。
それに反旗を翻したのが、若きカストロでした。彼は160名ほどの若者、学生とともに、バチスタ政権の軍に突撃!しかし!死者21名、逮捕者50数名、その上、逮捕者の全てが拷問され、殺害されるという凄惨な結末・・・・。裁判にかけられたカストロは「誰が暴動の首謀者か」と、問われると次のように言ったといいます。「それはホセ・マルティである!」ホセ・マルティ・・それは、キューバがスペインから独立した時の英雄の名前。つまり、自分の行動が民衆の意思であり、独立の精神であると宣言したのでした。
バチスタ政権は人気者になったカストロを処刑する訳にもいかなくなり、一年半後に監獄から釈放します。そして、亡命を決意し、メキシコの地で再度革命の時を待っていたカストロ・・・そして、そんな時期にチェ・ゲバラとの運命的な出会いが待っていたのでした。
1956年2月2日、武器弾薬を積み込み、革命兵士82名が乗り込んだグランマ号という小さな船が、メキシコから出発します。20人しか乗れないヨットを改造し、82人が折り重なるようにして乗ったへたれ革命船・グランマ号!しかし、船酔い続出、そして、重量オーバーによる度々の浸水、エンジン故障・・・さらに、食糧不足による飢餓・・・。カストロとゲバラの前にあるのは革命の勝利なのか・・・カリブ海の上でのへたれ死になのか・・・・はたして、グランマ号の運命はいかに!
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★★★ UNDERーPHILOSOPHY 怪電波発信ナウ! ★★★
一応、葉巻がシンジ君の入っているエントリープラグです・・・。
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● ちょいと一息
ゲバラの生き方の美しさというのは、その行動の目的が自分の為ということでなかった点です。ゲバラを突き動かしていたのは、常に義憤ということ。自分勝手に生きている人間には皆目見当のつかない心情なのだけれど、ゲバラは以前取り上げた孔子のように「恕」(他人を思いやるココロ)を持ち、それを義憤に変えて闘いつづけたのです。
今、ゲバラは何の関係もない他人の国に乗り込んで、他人の国の革命を目指し突き進んでいます。今回は臨場感タップリに小説仕立てでお送りする、ヘタレ論チェ・ゲバラ。・・・尚、小説は事実を元にしながら、めきしこ風にヘタレナイズされています。
● 鋼鉄の要塞
キューバ、シエラ・マエストラの山中・・・見晴らしの良い小さな峰の岩の上で、葉巻を燻らしているゲバラ・・・。
遠く広がるカリブ海の水平線・・・午後の晴れ上がった青空・・・森の中の鳥たちのさえずる声・・・ゲバラには何もかもが夢のように感じられた。葉巻の煙はプカーッと巻き上がっては、大空に消えてゆく・・・。
「やっぱ・・・三時のおやつはキューバ産・・・」葉巻を眺めポツリと独り言を呟くゲバラ・・・がっ!その瞬間、喘息の発作に襲われるゲバラ。とたんに岩の上から転げ落ち、草むらにうつ伏して発作に耐えるゲバラ。「ホゲッ!げほげほっ!ゲヒッ!ヒーッ!ヒーッ!」南国の森の中を、ひとりぼっちでのた打ち回るゲバラ・・・。
・・・30分後。見晴らしの良い小さな峰の岩の上で、またゲバラはカッコ良く葉巻を燻らしていた。美しい自然の光景を眼下に見ながら・・・しかし、ゲバラのココロは、風景とは懸け離れた暗鬱なものに包まれている。ゲバラはインペリアル・アパートでの仲間たちとの日々を思い出していた。ああ、あの頃は楽しかった、ゲバラは過ぎ去った輝くような日々を胸に描く・・・あの頃俺たちはみんな、夢と希望に燃えていた!そして、ヘタレ革命船グランマ号の大冒険。大冒険という割に一週間ほどで、アッサリキューバに漂着した気がするけどな・・・。でも、俺たちは夢と希望を胸いっぱいにキューバへと辿り着いた。82名の革命戦士がそれぞれの胸に、同じ一つの希望を描いて!
そして、小さな政府軍の駐屯地を襲い、武器を手に入れ、戦い、そして逃げ、戦い、逃げ続け、ゲリラ活動を続けてきた・・・・そう、今では、こうしてシエラ・マエストラに本拠地を固めるに到った・・・。
ゲバラは岩の上からさっと見を翻すと、崖の下の岩場に築かれた掘っ立て小屋へと向かう。本拠地・・・カストロはこれを本拠地というが・・・誰が見ても、敗残兵の最後の砦・・・ゲバラは冷静にそう思う。キューバに上陸した82名は各地で転戦をかさね、既にわずか12名しか残っていない・・・これでいいのか?俺たちの希望や夢は?一体っ!?・・・ゲバラは思わず拳を固く握り締める・・・・。
ゲバラが掘っ立て小屋にはいると、残り少なくなった食料の芋を巡っていい争いをする兵士が2名。・・・でも、それらはまだいいほうで、残りは傷ついて動けなくなっている者・・・戦いを放棄し、自らの運命を呪う者・・・ただ昏々と眠る者だけである・・・・。その中にカストロの姿を探すゲバラ・・・部屋の隅でゴミのように転がって眠っている・・・カストロ・・・・。とたんにゲバラは胸を掻き毟られるような感情に襲われて、掘っ立て小屋から走り出す!
「俺たちの革命は・・・革命は・・・革命はーっ!」叫びながら走るゲバラ。何かが間違っていたのか!何故にこんな困難に襲われるのか!搾取される人民の為に闘って、何故こんなみじめに死んでゆかなければならないのか!ゲバラの瞼に死んでいった同志たちの顔が次々に思い浮かぶ。一体、何故・・・・岩につまずき、倒れこむゲバラ・・・そして、その両目に光る涙・・・いつしか、空は夕闇に包まれて、大きな月が昇っていた・・・。
ガサッ!突然、草むらから物音が聞こえた。咄嗟に腰の拳銃を構えるゲバラ・・・しかし、拳銃の弾などもう入っていない・・・。ゲバラが誰かと聞くとどうやら麓の村の住人らしい。日に焼けた真っ黒な肌、そして、屈託のない笑顔が二つ。・・・どうやら、農園の労働者らしい。
「俺たちは危険を冒してここに来た。」二人にそれは何故かと問うゲバラ。
「これを・・・」農夫が差し出した大きな籠には、たくさんの食料や果物が・・・。更にゲバラは農夫に尋ねる。農夫は月の光に白い歯を見せながら、語り始める。「あんたらはあの憎たらしいバチスタの野郎と戦っている。でも、俺たちはそんな度胸はねぇ。だから、俺たちはあんたらが好きだ。でも、俺たちは卑怯者だ。どうしても力の強いものには逆らえネェ・・・。でも、あんたたちが本気で闘っている姿を見て感動したんだ。あんたら最後の一人になっても戦うつもりなんだろ・・・。」
さっきまでの疑問が吹き飛んで、ゲバラの胸に熱いものが込み上げてくる・・・。目いっぱい無理をして答えるゲバラ。「ああ、俺たちは最後の最後まで戦い続ける!そう、こ、このシエラ・マエストロの大要塞を根拠地にしてなっ!」
農夫は笑顔で答える。「北の村と南の村は押さえてある。でも、その他の村はまだだ。・・・俺たちは卑怯者だから、皆と一緒でないと立ち上がれない・・・。だから、アンタに頼みたい。村々をまわってもっと説得して欲しい。アンタの不屈の闘志をもっともっと伝えて欲しい。」・・・そして、去ってゆく農夫たち。帰り際にゲバラは声をかける。「あんた達は卑怯者じゃない・・・もう、立派な戦士さ!」思わず、笑顔で振り返る農夫たち・・・。
そして、いっぱいの食料を手に、シエラ・マエストロの大要塞に戻るゲバラ・・・そう、ゲバラの前にあるのは、掘っ立て小屋ではなく、闘志という鋼鉄の輝きに満ちた大要塞なのです。ゲバラはその要塞の中で、死んだ者も生き返るような大声で演説をし始めるのでした。
「諸君、我々はここで死んでしまうのか!我々は革命の夢敗れてここでヘタレ死にしてしまうのかっ!諸君!その答えは否!否であるっ!諸君!我輩は一握りの闘志こそが目的に適う起爆力をもっていると確信する!そう、絶体絶命の窮地にこそ、この革命の闘志は輝けるものなのである!諸君、けっして、仲間の死を無駄にするな!彼らの死は我々に対する試練なのである。彼らの死を無駄にするも栄光にするも、残った我々に懸っているのだ!ゲリラの闘争とは我々に人間最高の域に到達する機会を与えるだけでなく、真の人間になる機会も与えてくれるのだ!全ては意思の力!決して挫けない不屈の闘志!打たれ強くしぶとい、ヘタレの心意気をっ!今こそここで発揮しなければならないのダーッ!!!」
そして、ゲバラの革命の炎が皆の胸に燃え移るのでした。あくる日から、それぞれの闘志を胸に村々を巡り、激しい戦いをかさねる革命の戦士たち・・・そして、その12名の不屈の闘志は輪を広げ、遂にはキューバ全土を覆っていくのでした。
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★★★ UNDERーPHILOSOPHY 怪電波発信ナウ! ★★★
ネタ提供:Corpseさん。名作の力強いダジャレをありがとう!(笑)
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● ちょいと一息
キューバ革命って、裏側がモノスゴクフクザツ。干渉しているアメリカの中でもCIAや国防総省の間で駈引きが行われ、反政府ゲリラ同士での強調や反目、革命後を目論んだ権力争いや派閥争い、どろんどろんした陰謀が渦巻いている。まぁ、そこんとこは置いておいて、とりあえず革命成功への道程を新スタイルでお届けしたいと思うわし・・・でも、それはただの箇条書きだったりして。
● キューバ革命
・1958年5月、カストロ、都市民兵組織もふくむ全革命軍の総司令官に就任する。政府軍は「カストロの最後作戦」を始動、シエラ・マエストラ山に一万二千人の兵を送る。3ヵ月にわたる陸空からの攻撃を開始、その後71日間のあいだに51回の戦闘。ゲバラの部隊280名はゲリラで奮戦。
・1958年6月、アメリカ軍によるバチスタ軍への大量破壊兵器、爆撃機などの供与始まる。ゲリラ東部戦線、空爆を中止させるため米国人誘拐作戦を開始。ゲリラ西部戦線カストロの一隊、五十名以上の敵を殺し、6万発の弾薬と三十人の捕虜を手に入れ、意気揚がる。
・1958年7月、政府軍、航空戦力では圧倒的な力を示すものの、地上戦において敗戦続く。さらに、米国人人質開放で3週間の空爆停止協定実施。シェラマエストラで臨時革命政府の綱領発表・外国の内政干渉拒否・文民制度の確立・1年後の選挙実施を柱に据える。カストロの第一隊と政府軍精鋭隊激突、カストロ、政府軍を壊滅させる。捕虜400名。ゲバラも負けじと市街戦で勝利、捕虜100名以上。女性ゲリラ部隊登場。
・1958年8月、ハリケーンの中、革命軍がシエラ・マエストラ一帯の政府軍掃討に出る。激戦の後、カストロ、戦車二台ゲットで大喜び。捕虜と武器の交換もゲバラ立会いのもと実施。そして、更に戦車二台と大量の近代武器をゲットする。カストロラジオ演説、ゲリラ戦は終り、陣地戦・機動戦に入ると宣言。革命軍、シエラマエストラ一帯を完全に制圧。ゲバラ隊150名遊撃部隊としてシエラマエストラから出撃、闘いながら各地のゲリラの結集を図る。この頃、革命軍ラジオ放送によってペプシコーラ不買運動はじまる。
・1958年9月、東部戦線で大規模な複数部隊戦はじまる。革命軍勝利の中、女性ゲリラ部隊も奇襲攻撃により1個師団を殲滅、師団長をキャプチャー。政府軍の中で、脱走兵、寝返り頻発しはじめる。
・1958年10月、ゲバラ隊、転戦を重ね、窮地に追い込まれながらも、ゲリラの結集を図る。ゲバラ、各地のゲリラと会談し、動向を探りながら政治的手腕を揮う。ゲバラ隊徐々に仲間を加えて進撃する
・1958年11月、カストロ、政府軍に対し総攻撃を宣言。シエラマエスロ山の基地を閉鎖、出撃する。各地で激戦始まる。
・1958年12月、ゲバラ軍キューバ国土を東西に分断。次いでフォメントの戦いで勝利。カストロ、ボンファイクの戦いで勝利。革命軍各部隊サンチアゴに終結、包囲。ゲバラは別働隊としてバチスタ軍最後の拠点カピロ丘陵へ。サンチアゴ陥落、12月31日ゲバラによりカピロ陥落。
・1959年1月,カストロ、臨時革命政府の成立を発表。国土縦断パレードに出発。ゲバラは残存する政府軍の武装解除に奔走する。
・・・こうしてみてみると、ゲリラ活動、遊撃・遊説、戦後処理とゲバラがカストロの手となり足となり、革命成功までの道程を援護していたことが良くわかる気がする。ゲバラって八面六臂の大活躍なのよね。しかし、上陸当時は一兵士だったゲバラの才能を見抜き、司令官に任命し、常に絶対の信頼を置いていたカストロの度量の大きさも見逃せないわね。
さて、革命に成功したのはいいけれど、キューバ全土に大混乱が起こっちゃう。なにせ、昨日までの政府がないんだもの。カストロやゲバラの前には問題が山積。バチスタ政権での悪政の一掃、軍隊の管理と解散、貧困層の生活水準改善、教育制度の普及。やらなければいけないことはたくさんあるのに、革命に便乗して利益を得ようとするものや、若いカストロたちの革命を潰そうとする政治家、団体、反カストロ勢力。しかも、それに追い討ちをかけるようにテクノクラート亡命による影響が出てきてしまうのです。
バチスタ独裁政権側に与していたキューバ人は革命政府からの仕返しを恐れ、次から次へとアメリカに逃亡していっったのです。その数、30万人といわれています。しかも、彼らはキューバ上・中社会を形成していた富裕階層と知識階級の人々。後に残されたのは社会の混乱と無知と貧困だけなのでした。今のイラクだと、残ったバース党員やイスラム教指導者達がこぞって居なくなるような感じかもしれません。
しかも、小作人に165エーカーの土地を分配するという農地改革制度、キューバ新市場を社会主義国に求めるという宣言がアメリカの逆鱗に触れることとなります。アメリカの圧力に追随した周辺諸国からソッポを向かれ、国際的に孤立するキューバ。しかも内政は行政中心が抜けたために空洞化現象がおきてしまっている。
カリブ海に浮かんだ小さな国キューバ・・・このまま、アメリカの圧力に屈するのか、それともソ連を後ろ盾にアメリカと対決するのか、キューバが水面に浮かぶ木の葉のように揺れています。
次回は第三次世界大戦、全面核戦争の危機だったと言われる「キューバ危機」について。この世界の危機にゲバラは驚くべき発言を後に述懐しています。さて、それは・・・。
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★★★ UNDERーPHILOSOPHY 怪電波発信ナウ! ★★★
ネタ提供:丸屋さん。パワー溢れるダジャレを有難う!・・しかし、提訴の行方は一体・・(笑)
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● ちょいと一息
マドンナの新作アルバムって、チェ・ゲバラをイメージしているんだって。マドンナもイラク戦争を目の前に、アメリカの行為に疑問をぶつけてのメッセージだったらしい。FM放送のDJが、マドンナはいつも時代の半歩前を歩いていると評していた。でも、わしは時代から半歩遅れて歩いていると自称している。半歩ずつズレているわしとマドンナ・・・半歩と半歩でちょうど一歩・・・・もしかしたら意外とウマが合いそうね。
● キューバ危機・時代背景とカストロ大いに演説を揮うの巻
キューバ危機について前編・後編の二回に分けてお話ししたいわし。なんといってもこれはキューバだけでなく、米ソ含め、世界を巻き込んだ人類大ピンチの事件だったのだから、背景からしっぽりお話ししたいのデース。
・東西冷戦
キューバ危機はキューバ革命の三年後、1962年のこと。それを遡ることちょうど10年前、アメリカは水爆の開発に成功、一年後にはソ連が続いて水爆の実験に成功しています。そう、時代は核戦争の脅威と、米ソ軍拡競争の真っ只中にあったのでした。
そのソ連が水爆開発に成功した1953年、アメリカはトルーマン前大統領のソ連封じ込めを支持するアイゼンハワー大統領が当選。一方ソ連は、独裁者スターリンが死去、後釜をフルシチョフ書記長が引き継ぎます。そして、ゲバラやカストロがキューバの山中で戦っていた頃、ソ連は1957年、ソ連は人工衛星スプートニク1号、2号の打ち上げに成功、そして、アメリカも翌年、エクスプローラー一号を打ち上げます。
しかし、圧倒的に宇宙開発に立ち遅れてしまったアメリカ、しかも、宇宙開発はICBM(大陸間弾道ミサイル)と結びつくものであり、一挙に米ソの緊張が高まったのです。しかし、宇宙開発で優位にたったフルシチョフがアメリカとの友好を深める方針をとり、世界は雪解けの雰囲気に包まれたのでした。
しかし、それも一瞬のこと。ゲバラやカストロが新しい国つくりへ奔走していた1960年、ソ連を監視していたアメリカの偵察機がソ連軍に撃墜されるという一件で、雪解けムードは簡単に壊れてしまったのでした。
そんな1960年、カストロは国連総会に参加します。わしが思うにこれがカストロの人生の中でサイコーに輝いた一幕。前年のキューバ革命以来、何度もアメリカの企てる暗殺をかわしていたカストロは、自ら堂々とアメリカへ乗り込んでいったのです。アメリカ側はさんざんカストロに嫌がらせをしますが、それにもめげずに会議に参加するカストロ。何処にも泊めてくれるホテルが無く、国連本部前にテントを張って抗議する一幕もあったり。
結局、ハーレム街のホテルテレサに数千人の歓迎を受けて宿泊することとなったカストロ。滞在先のホテルテレサにはナセル大統領,ネルー首相,黒人運動の指導者ラングストン・ヒューズやマルコメX・・・いや、マルコムXが訪問。アメリカの傀儡政権を倒したカストロに世界中が注目していたのです。ホテルテレサにはソ連のフルシチョフも訪れます。そこで、ソ連はキューバの主な産業・砂糖の95%を買い取ってキューバを支えることとなるのでした。
この時、後にフルシチョフはこういったといいます。「カストロは共産主義者ではない.しかし米国の圧力のおかげで二年後にはそうなるに違いない」と予言したのです。実はカストロは当初、キューバの民族主義者であって、共産主義者ではなかったのです。しかも「カストロは共産主義者である。キューバ革命は共産主義革命である!」と世界に宣伝をはじめたのは、もともとアメリカなのでした。そして、フルシチョフの予言どおり、アメリカは自分の手で自分の敵を作り出してしまうこととなるのでした。
さて、国連総会で発言の機会を得たカストロは4時間半にもわたるアメリカ非難の演説をぶちまけます。まさにそれはキューバを愛する情熱とアメリカの欺瞞に憤慨しての大演説!そして、有名な言葉が生まれます。「帝国主義的金融資本は売春婦であるが、いまやわれわれを誘惑することができなくなった」・・・カストロは金と軍事力、未だに変わらぬアメリカの世界戦略に真っ向から戦いを挑んだのです。
そして、1961年アメリカはキューバと国交を断絶。そして、キューバに空爆を開始、しかし、作戦は失敗。そして、キューバは社会主義国宣言を発表。フルシチョフの予言は二年を待たずに実現してしまうのです。
カリブ海の目の前に社会主義国が誕生してしまい、じりじりと苛立つアメリカ。ますますソ連の支援を受けて、アメリカとの対決姿勢を強めるキューバ。二国の対立はますます度を深め、歯止めが利かない状況に陥ってゆくのでした。
そして、この1961年とはアメリカでケネディ大統領が、国民から圧倒的支持を得て当選した年。1961年、ソ連ではシロツグ・ラーダット・・・いや、ユーリ・ガガーリンが史上初の宇宙飛行士となった年。そして、ドイツではベルリンの壁が一夜にして突如現れた年。将に東西冷戦が決定的な溝を深めた年だったのです。
その頃、ゲバラは何してたのかというとキューバ大使として社会主義国を歴訪し、帰国後工業相に就任しています。しかし、揺れ動く世界情勢、キューバを取り巻く不穏な空気の中で、ゲバラはカストロとの間に何か違和感のようなものを感じ始めていたのでした。
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・・ゲバラネタは無さそうなので、愛称の方で何とか工面(笑)
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● ちょいと一息
現在、NPO法人と契約して働いているわし。NPO・・・決してノーパン・ピープル・オーガニゼーションではありません。ノン・プリフィット・オーガニゼーション、日本語に約すと(民間)非営利組織。ヘタチ第一期ヘタレ論の中で唱えたまとめ『一握りの「ヘタレでないもの」と、多くの「ヘタレ」を産んでしまう。』という資本主義の現実の中で、わしなりにいろんなことを考えている毎日なのよ。市民と行政と企業の互いの掛け橋として、NPO活動はこれからいろんな場面、場所で活用されていくことと思う。でも、日本ではまだ認知度が低いことも確かだったりするけれど、いい仕事をしながら最低限の賃金は頂いて、人のつながりとか、いろんなことを経験して創作活動の糧にしたいと思うわしなのよ。
それにしてもゲバラダジャレが枯渇してしまった現在、どなたか目の覚めるようなダジャレを!待ってます!
● 核の灰
1962年10月、アメリカの偵察機によりキューバに核ミサイル基地が建設されていることが判りました。ケネディ大ピーンチ!ケネディ大統領の前には二つの選択肢が用意されました。それは数時間以内のミサイル基地への奇襲攻撃か、核ミサイル技術をキューバに与えたソ連との交渉をとるかという選択なのでした。
もし、キューバに核ミサイルが配備されれば、将に目の上のたんこぶ、アメリカにとって大きな脅威となってしまうのです。この時ソ連の代表、フルシチョフはこういったといいます。「アメリカ人のポケットにハリネズミを入れたらどうなるだろうか」と。
そして、キューバに核ミサイルが既に配備されているかも知れない、というアメリカ側の曖昧な情報の中で、奇襲攻撃はあまりにも危険と判断したケネディは、ソ連を牽制しつつ、これ以上核を持ち込ませないという作戦を取ります。それがキューバの海上封鎖なのでした。
実はその時、キューバには核兵器はまだ持ち込まれていませんでした。しかし、85隻の船と核ミサイル、4万4000人の将兵が海上を一路キューバに向かっていたのです。
そして、全てのアメリカ人が、そして世界中がこの緊迫した状況を知ることとなります。ケネディは演説のなかでこう言います。「この1週間で、次の事実が判明した。キューバにソビエトの攻撃用ミサイル基地が準備されている。ソ連のキューバへの攻撃兵器の海上輸送に対し、アメリカ軍は臨検を実施する。」・・・世界中に緊張が走ります。臨検、海上封鎖といっても、事実上戦争状態といっても良い状態。そして、はるか彼方のヨーロッパ、米ソが鼻を付き合わせるベルリンの街にも、火種が燻っていたのです。
当時、欧州において圧倒的に陸戦力の優位を保っていたのはソ連で、アメリカは有事の際には核兵器を使うことを視野に入れていました。つまり、キューバの危機と連動して、欧州に戦火が飛び火し、そして、ソ連-アメリカの直接対決、全面核戦争という終末のシナリオに直結しかねない状況に陥ってしまったのでした。そして、キューバ沖、カリブの海上でじっと対峙する米ソの艦船・・・・・。
お互いに手の内を知らず、危機的な状況に怯える米ソ首脳、究極的な兵器-核を互いにもっているが故に、互いに先制攻撃に踏み切れない事態。・・・そして、遂にフルシチョフがケネディに私信を送ります。
「我がソビエトの安全を考慮して、トルコにある、キューバと同じ兵器を撤去していただきたい。」
つまり、ソビエトの目と鼻の先にあるトルコの核ミサイル撤去の要求なのでした。キューバの核がアメリカの危険を脅かすものと同じように、ソ連もまたアメリカがトルコに配備したの核に脅かされていたのでした。アメリカがトルコから手を引けば、ソ連もキューバから手を引く。フルシチョフはこの危機を外交的に解決しようとしたのでした。
独断で解決策を断行したフルシチョフ、政府内の急進派を押さえて外交解決に踏み切るケネディ。そして、11月9日を期して、ミサイルを積んだソビエトの船は、キューバ近海を離れ、キューバ危機が過ぎ去ることとなります。死のゲームの、2人の主役、ケネディとフルシチョフ。ケネディは翌年、ダラスで凶弾に倒れ、一方のフルシチョフは、この危機が伏線となって、やがて、クレムリンを追われる事になります。
互いの国民を、核戦争の人質にする事で、世界は辛うじて破滅を免れた、このキューバ危機。世界がほっと胸をなでおろしている時、当事者のはずであったゲバラは次のように回想しています。
「それは、原爆の犠牲となっても、その灰が新しい社会の礎となることを願った人民、自分たちに相談もなく核ロケットが撤去されるという協定に達した時に、やすらぎにほっと息をつくこともなく、休戦を喜びもしなかった人民の、身の毛もよだつような実例である」
後に、核戦争を容認する好戦的な立場として理解されたこのゲバラの言葉は、実はもっと深い意味を持っていると感じるわし。キューバという弱小国に核兵器を持ち込むことによって、大国同士の政治的戦略に巻き込まれてしまっただけのキューバ、頭ごなしに何の相談も無くミサイルが撤去され、何事も無かったようにキューバの空には青空が広がっている。ゲバラならこう思っていたに違いない。「大国が武力による脅しによって自国の意志を押し通そうとしないこと、強い国が弱い国々の利益を正当なものとして尊重し、恐怖感を与えないこと」それらが叶えられないなら、原爆の犠牲になってもかまわない。大国の横暴を世界に暴く為なら、キューバが灰になってもかまわない。この言葉はゲバラの悲痛な叫びのように感じられるのよね。
キューバ危機以後、ますますソ連を頼ろうとするカストロ、しかし、ゲバラは大国のエゴをソ連の中にも感じていたのでした。ソ連を貿易国に農業国としてキューバを発展させようとするカストロ、一方ゲバラはキューバを工業国として自立・発展させようと考えます。決定的に広がる二人の溝。・・・・そして、遂に二人に別れがやってくるのでした。
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● ゲバラ別れの手紙
1965年3月21日、ハバナの青年集会に出席したあと、ゲバラはいくつかの手紙を残して、忽然とキューバから姿を消します。今回は能書なしで、その手紙をそのままお届けしようと思うわし。
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フィデル・カストロ宛
フィデル。
いま私は、さまざまのことを思い出している――マリア・アントニアの家ではじめて君に会った時のこと、君が遠征に参加するように私にすすめた時のこと、そして準備の時のあの緊張のすべてを。
ある日われわれは、死んだら誰に知らせたらいいのかと尋ねられたことがある。その時われわれ全員は死の現実的な可能性に衝撃をうけた。あとになってわれわれは、革命のなかでは(それが真の革命である限り)人は勝利するか死ぬかなのだ、ということを知った。勝利にいたる途上で多くの同志が倒れた。
いまではすべてにあまり劇的な調子を感じることはないが、それはわれわれが成熟したためだ。だが、いまも生と死は繰返されているのだ。キューバ革命が私に課した任務を私はキューバ国内においては果してしまったように思う。だから私は君や同志や君の人民――それはすでに私のものでもある――に別れを告げる。
私は党指導部における私の地位、閣僚の職、少佐の階級、キューバ市民としての条件を公式に放棄する。法的には私をキューバに結びつけるものは何もない。ただ、任命書を破り棄てるようにはあっさりとは棄てることができない違う性格の絆があるだけなのだ。
過去をふり返ってみて、私は自分が革命の勝利を不動のものとするために十分に誠実に献身的に働いてきたと信じている。私に何らかの誤りがあるとすれば、それはただ、シエラ・マエストラの初期の段階において十分に君を信頼していなかったことと、君の指導者ならびに革命家としての能力を十分に理解していなかったことだけである。
私は偉大な日々を生きてきた。君の傍で力リブ海の危機の輝かしく悲劇的な日々をわが人民の一員として生きたことを私は誇りとしていた。
あの日々の君ほど輝かしい政治家はほとんどいない。私は躊躇することなく君に従い、君の思考方法に自分を同一化したこと、君と同じ方法で危機と原則を理解し評価したことを誇りに思っている。
世界の他の土地に私のささやかな努力を求める大衆がいる。キューバの指導者としての責任から君には許されないことが私にはできる。別れの時が来たのだ。
私が喜びと悲しみの混じり合った気持でキューバを離れるのだということを知って欲しい。私はここに建設者としての私の最も純粋な希望と、私が愛するもののうちの最愛のものを残して……そして、私を息子のように受け入れてくれた人民と別れていくのだ。このことは私の心を深く切り裂く。私は新しい戦場に、君が私に教えてくれた信念、わが人民の革命精神、最も神聖な義務を果そうとする感情を携えていく。そして、どこであろうと帝国主義と戦うのだ。戦いが私の心のすべての傷を十分に慰め癒すのだ。
もう一度言うが、キューバに関して私はいっさいの責任から解放された。だが、キューバは私にとってひとつの模範だ。私がどこか異国の空の下で最後の時を迎えたら、私の最後の思いはキューバの人民、そして特に君に向かうだろう。君の教えと模範に感謝する。私は私の行動において最後までそれに忠実でありたいと思う。私はこれまでわれわれの革命の外交政策に常に従ってきた。これからもそうしたいと思っている。どこにいようとも私はキューバの革命家としての責任を自覚しているだろう。そして、そのように行動するだろう。私は私の子供や妻に何も残しておかないが、それは別に心残りのことではない。そのほうが私には望ましいのだ。国家が生活と教育に十分なことをしてくれる以上、私はそのほかに何も望まない。
君とわれわれの人民に語りたいことはたくさんあるが、それはもう必要のないことなのだろう。言葉は私が望むことを表現しえない。これ以上紙をよごすまでのこともないだろう。勝利に向かって常に前進せよ。祖国か死か。革命的情熱をもって君を抱擁する。
チェ
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両親宛
再び私は踵の下にロシナンテの肋骨があたるのを感じています。盾を腕にかけ私は道を引き返すのです。
十年ほど前、私はべつの別れの手紙を書きました。いまでも覚えていますが、あのとき私は自分が立派な兵士でも立派な医者でもないことを残念に思っていました。いまはもう立派な医者になろうとは思っていませんが、兵士としては私はそう悪い方ではありません。
私がより自覚的な人間になったということ以外に、本質的に変ったことは何もありません。私のマルクス主義は根を下ろし、純粋なものになりました。私は解放のために戦う人民の唯一の解決は武装闘争であると信じています。私は絶対的にそうだと信じています。多くの者が私を冒険主義者と呼ぶでしょう。私はそうなのです。私は違った型の人間、自分の正しいと思うことを証明するために自分の身体を賭けるだけの人間なのです。
決定的な事態が生じるかもしれません。私にはわかりませんが、論理的にはその可能性は考えられます。もしそうなったら、その時は最後の抱擁をおくります。
私はあなた方を心から愛していました。ただ私は私の愛情を表わす方法を知らなかったのです。私は自分の行動に極度に厳格でした。だからあなた方は私のことが時にわからなくなることがあったのだと思います。私を理解することはやさしいことではありません。 そうではあっても、今日はただ言葉通りに私を信じて下さい。これからは、私が芸術家のような喜びをもって鍛え上げてきた意志の力が、弱い脚と疲れた肺を支えてくれるでしょう。私はそうしなくてはならないのです。
時々は、この二十世紀のちっぽけな冒険的兵士のことを思い出して下さい。セリアに、ロベルトに、ファン・マルティンとポトティンに、ベアトリスに、みんなにキスをおくります。あなた方には強情な放蕩息子の大きな抱擁をおくります。
エルネスト
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イルディータ宛
愛するイルディータ。
いま私はおまえにこの手紙を書いているけれども、これがおまえにとどくのはずっとあとになってからだろう。だが、私はおまえを思い出し、おまえが誕生日を幸せに過ごしているようにと願っている。もうおまえも大きくなったのだから、私は小さな子供に話すような調子でおかしなことやでたらめを書くわけにはいかない。
私たちの敵と戦うために遠いところで私はできるだけのことやっているのだが、まだこれからもおまえと離れたところにいなければならない。おまえにはこのわけがわかるだろう。けっして大きなことではないのだが、必要なことなのだ。だから、私がおまえを誇りにしているように、おまえもおまえの父親をいつも誇りにすることができるだろう。
戦いはこれからも長いあいだ何年もつづく。おまえは女だけれども戦いのなかで与えられた任務をしっかりやらなければだめだ。戦いに備え、革命的でなければならない。それはおまえの年頃では、できるだけたくさんのことを知り、常に正義を支持することができるようになっているということだ。それから、お母さんのいうことをよく聞きなさい。何ごとも時の来る前に信じこんでしまってはいけない。その時はまもなく来るだろう。 学校では一番よい生徒になるように努力しなさい。おまえもわかっているだろうが、すべての意味においてよいということは、勉強と革命的行動、つまり、善い行い、真剣であること、革命への愛、同志愛などを意味しています。
私はおまえの年頃の時にはそうではなかった。私はいまのおまえと違った社会にいたのだ。あの社会では人間が人間の敵だった。いまおまえは別の時代に生きるという特権をもっているのだから、それにふさわしい人間として生きなければならない。家では小さな子のめんどうをよくみ、勉強し行儀のよい子になるようにいろいろ教えてやりなさい。特にアレイディタには姉としていろいろしてあげなさい。
では、もう一度繰返して言います。誕生日を幸せに過ごしなさい。お母さんとヒーナを抱いてあげなさい。そして、私たちはこれからも長いあいだ会えないだろうが、その長い時間の抱擁を全部合わせたのと同じくらい大きい強い抱擁をおまえにおくります。
父
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わが子たちへ
愛するイルディータ、アレイディータ、カミーロ、セーリアそしてエルネスト、もしいつかお前たちがこの手紙を読まなくてはならなくなった時、それはパパがもうお前たちの間にはいないからだ。――お前たちはもう私を思い出さないかもしれない、とくに小さい子供達は何も覚えていないかもしれない。――お前たちの父はいつも考えた通りに行動してきた人間であり、みずからの信念に忠実であった。――すぐれた革命家として成長しなさい。それによって自然を支配することのできる技術を習得するためにたくさん勉強しなさい。また次のことを覚えておきなさい。革命は最も重要なものであり、またわれわれの一人一人は(ばらばらであるかぎり)何の価値もないのだということを。
――とりわけ、世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それが一人の革命家のもっとも美しい資質なのだ。――さようなら、わが子たち、まだ私はお前たちに会いたいと思う。しかし今はただバパの最大のキスと抱擁を送る。
父
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● チェ・ゲバラ最終章
泣けるでしょ。ゲバラ決別の手紙。わしなんか書き写しながらオイオイ泣いちゃった。
「世界のどこかである不正が誰かに〜」の部分なんか、ゲバラ珠玉のメッセージ。
連帯・共闘・打倒アメリカ帝国主義。キューバ革命は天の利、地の利、人の利、それらが絶妙にかみ合って、大成功を収めました。が、これはあくまでも極めて稀な奇跡的革命であるといって良いかもしれない。しかし、ゲバラは飽くなき革命の闘志を燃やしつづけ、アフリカ、南米を転戦。そして、遂にボリビア山中で政府軍に逮捕されます。
「右手でパイプをふりながら、チェ・ゲバラ射殺された」1967年の10月9日、地元の新聞が報道。
自称二十世紀のちっぽけな冒険的兵士が、小学校の教室で裁判もなく銃殺された。・・・・そう、これは暗殺。しかも、ゲバラは銃殺をためらう暗殺者に向かって、「おい、撃て、恐れるな」と叫んだといいます。
ゲバラはたった一つの意志の力、それは自らの生命より大切なものの為に全力で戦い、そして、死んだ。ゲバラは形を持つものは何ももっていなかった。金も名誉も権力も何もなく、両手に携えた武器と意思の力、そして、胸に抱く理想、帝国主義打倒と共産主義の夢。将に共産虚無僧の如き行脚と闘争の果てに、遂にヘタレ死んだ。
チェ・ゲバラ。敵味方を問わずこうも人々の心を落ち着かせないの理由は何であるのか?
ゲバラの追悼集会でカストロはこう答えたといいます。
「チェは革命戦争の教師、芸術家、非凡な指揮官であった。・・・芸術家でも死は免れない。とくに革命闘争のような危険な芸術の芸術家の場合はなおさらのことだ。しかし、絶対に死なないものがある。それは芸術が生命を捧げ、知性を捧げた芸術そのものである。・・・彼の戦いの雄叫びは誰かの耳にはいるどころか、何百万人の耳に達することだろう。・・・彼は5年、15年、20年、あるいは必要とあれば一生戦うつもりでいた。彼の死が大きな反響を呼び、打ち勝ちがたい勢力となるには時間的にそのような展望が必要なのだ。重要なのは革命の問題であり、革命の思想であり、革命の目的であり、革命の感情であり、革命の質なのだ。・・・チェはただわが国民の模範的人物となったばかりでなく、中南米国民全体の模範的人物となった。チェは革命的禁欲主義、革命的犠牲の精神、革命的闘争心、革命家としての労働精神を最高度に発揮した。そして、彼のようにプロレタリア国際主義の精神を高い段階に押し上げた人物は現代、ほかには見当たらない。」
ゲバラの遺体は、暗殺から30年もたった後の1997年に発掘され、故郷アルゼンチンではなくキューバへと送られた。勿論キューバでは国民全体が彼を弔い、世界にはゲバラブームが巻き起こった。カストロが言うところの「彼の死が大きな反響を呼び、打ち勝ちがたい勢力となるには時間的にそのような展望が必要なのだ。」が裏打ちするかのように、ゲバラの思想は長い年月をかけて、人から人へと伝わりながら力を発している。
貧者を前に人はどう行動するか、ゲバラは常にわしたちに問いかけている。家族を顧みず、食料や財産を分け合い、ともに貧困から抜け出す道を探る。しかし、ゆっくりしていてはいけない。この一瞬の間にも貧者はますます追い詰められ、富む者はますます生を富を貪ろうとする。ゲバラの急進主義はこうして武装闘争へと駆り立てられてゆく。「戦いが私の心のすべての傷を十分に慰め癒すのだ。」と語るゲバラ。理想と行動の中で人間が手段と純化し「無」となる時、ゲバラの安息はそこにあるのである。眠りの中に安息はない。覚醒と行動の中にこそ、安息はあるのだ。
「貧者を前に人はどう行動するか」いま、世界中で巻き起こっている問題・紛争の多くは根源に「貧富」の闘争としての一面を必ず抱えている。わしたちがゲバラから問いかけられている問題は、単純であるが故に深い。決して理想を曲げようとせず、努力を惜しまなかったチェ・ゲバラ。彼の生き方そのものが世界中の人から注目を浴び、今でも 多くの人間から愛される理由こそ〜徹底した平等意識〜、利他即利己(他人の為ということが自分の為に繋がるということ)の精神の発揮であるように思う。
常に行動し、理想の為にヘタレ死にしたチェ・ゲバラ。
インディオに優しいが、アメリカに喧嘩を売った20世紀の風来坊。
やっぱ、カッコイイ!
PHILOSOPHY 怪電波