現在地 HOME > 番外地4 > 302.html ★阿修羅♪ |
|
玄洋社記念館館長の進藤龍生さんが亡くなった。
享年、七十七。
昨日、郷土史家であり玄洋社研究の第一人者、石瀧豊美さんからのメールで進藤龍生さんの訃報を知り、慌てて西日本新聞で確認した。昨年の今頃、石瀧さんと初めてお会いしたのが玄洋社記念館で、そのときに進藤龍生さんも同席され、玄洋社とアジア主義のこと、現在でも中国留学生を支援する活動を行なっていることなど短い時間ではあったが貴重なお話をお聞きできた。こちらも勉強して、もっともっとお話をお聞きしたい、と考えていた矢先の訃報。
玄洋社記念館は、最後の玄洋社社長であり元福岡市長の進藤一馬さんのご尽力で出来たもの。戦後、GHQに危険な右翼団体ということで解散させられ、資産を没収された玄洋社の貴重な資料と記録が散逸し、後世に伝わらなくなるのを心配してのことだ。進藤龍生さんはその進藤一馬さんの甥に、娘さんが横綱、千代の富士へ嫁いだので、九重親方の義父に当たる。
石瀧さんは今後の玄洋社記念館の運営をとても心配されている。東アジア共同体やこの地域で日本がどうあるべきか、という議論が最近やっと提起されているが、その中で玄洋社の歴史的な検証と再評価を行なうべき時ではないだろうか。
今日これからの告別式で石瀧さんにお会いしたらそうした話をお伺いしてみたい。
以上、取り急ぎ。続きは今晩に追加する予定。
<このサイトでの玄洋社関連の記事>
■玄洋社記念館は近代史のお宝が一杯
■玄洋社のアジア主義はイスラムにまで広がっていた