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Academia e-Network Project 「社会の破局につながる微小変化の進行を監視」するセンサー機能
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/300.html
投稿者 白家ブラック 日時 2005 年 9 月 09 日 19:31:57: 7jOAcm.tFRC.g

ウェブログの広がりを機に参加型ジャーナリズムの議論が最近活発だが、メディア論やジャーナリズム論という神学論争ではなく、実践として有益な情報ソースのフィルター機能を果たしつつあるのが「Academia RSS Project」だ。

RSSリーダーを使えば登録した多くのサイトから更新情報の一覧リストが用意に手に入るとはいえ、機械的に集められた情報の価値判断はそこにはない。限られた日常の時間の中で有益な情報を得ようとすればどうしても「人」が関与する社会的な編集機能が必要になる。この「Academia RSS Project」はまだ実験的な運用段階のようだが、ウォッチングするサイトを広げながら、着実に成長を続けている。

母体となっているのは国公立大学の研究者たち。
国立大学独立行政法人化に象徴される一連の大学企業化政策による大学を主要な基盤とする日本の知の共同体の危機感からスタートした「Academia e-Network Project」の存在は以前から注目していたのだが、なにぶんこれまで自らが知の権威の中にいて社会との接点が多くなかったからなのか、主張は理解できても、正確を期すためのその言説は堅苦しい。大学というコップの中の権利闘争のようで、一般の社会人へ共感を広げるコミュニケーション能力には些か欠けているように感じていた。

しかし、香田証生くん人質殺害、ファルージャへの総攻撃など緊迫するイラク情勢の中、国内では小泉政権による対米追従と改憲への動きへのマスメディア・ジャーナリズムの機能不全に近い現状への追認と迎合が顕著になり、この国の社会に破局につながる微小変化が進行しているのではないかとの危機感が高まったようだ。

(1) 破局に至る変化でも微小であれば日々の生活には影響を与えないため察知されないこと
(2) それを監視し警鐘をならす使命をもつ報道機関の大半が情報産業に退化し社会の木鐸としての機能をほとんど失っていること
(3) 司法の「消極主義」のために、破局への種々の歯止めが用意されている憲法や法律が紙屑のようになっていること
(4) 個人が組織に隷属し身近に「迷惑をかけない」ことが日本社会の最高法規のようになっているために、大半の人の日常生活に影響のない問題への関心が育たないこと

と11月6日の「Academia e-Network Letter」の記事がこのプロジェクトの趣旨を伝えている。

この「Academia RSS」が学生や社会人の広範な支持を獲得していけば、オルタナティブな参加型ジャーナリズムの可能性が開けてくるのではないか、と期待したい。


・・・

▼ Academia e-Network Project の趣旨説明(全文):
 インターネットによる情報コニュニケーション技術革命を利用することにより、大規模な社会危機を予防する機能を日本社会に形成できないか、という問題を考えたい。

動機は、日本社会には「危機管理」機能がないことへの危機感である。ただし、ここでいう「危機」とは、社会の破局を言う。例えば、戦前のような軍事国家への変貌や、極端な貧富の差による社会の荒廃、等を念頭におく。

日本社会には、破局につながる微小変化の進行を制御する機構がない。その原因は、(1)破局に至る変化でも微小であれば日々の生活には影響を与えないため察知されないこと、(2)それを監視し警鐘をならす使命をもつ報道機関の大半が情報産業に退化し社会の木鐸としての機能をほとんど失っていること、(3) 司法の「消極主義」のために、破局への種々の歯止めが用意されている憲法や法律が紙屑のようになっていること、そして、(4)個人が組織に隷属し身近に「迷惑をかけない」ことが日本社会の最高法規のようになっているために、大半の人の日常生活に影響のない問題への関心が育たないことなど、にあると考えている。

微小変化の蓄積がある段階を越すと制御できないものとなることがあるが、現在は相転移の時期に突入しており、破局に向う流れが制御できなくなるリスクが急速に増大している。

不幸中の幸いというべきか「インターネット」の普及は、情報流通とコミュニケーションの手段を全く変えつつあり、グーテンベルグ革命がもたらした以上の変化を世界にもたらすことを疑うものは少ない。このICT革命によって、報道機関を失った半盲状態の日本社会が、破局に対する「危機管理」機能を獲得する可能性が生まれたと確信している。

そう考えるわけは、種々の社会的ネットワークに組みこまれているわたしたちが自由にできる資源(時間、労力、資金、関心、思考)は微小であるが、社会的な力を持つまでにそれを結集することがICT 革命によって技術的に可能になったからである。この可能性を実現し、日常的には察知できないほど微小な変質の進行に社会全体が鋭敏になり、破局に至る動きを社会が察知できるようになることが、Project の最終目的である。

このProject は研究者だけの課題ではないことは言うまでもない。しかし、新しいコンセプトや構造の創出と実験による検証を必要とする点は、通常の研究と本質的な違いはなく、研究と教育に携わる者のコミュニティが果す役割が大きい。このような研究は国策にはならない時代になったので、研究者がとりくむとすれば、本務外の剰余資源しか利用できない。教育界・学術界に効率化の圧力が強まる中で剰余資源は減少しつつある。ICT革命により微小資源を結集する技術は、このフェーズでも不可欠となる。

以上、[AcNet Letter 204] より

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