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ミンダナオの旧日本兵
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投稿者 イヌリン 日時 2005 年 9 月 09 日 19:29:44: ZZuWDDWxfeBqs

 数日前、確か日本海海戦戦勝百周年の日だったか、産経新聞のニュースサイトでフィリピンのミンダナオ島で旧日本軍の兵士が今も山にこもっているのが発見されたというニュースを見つけた。マニラの日本大使館員も現地へ入って、その情報の仲介者を通じて交渉中とか。その晩のテレビニュースでは小泉首相のコメントも紹介され、かつての横井さん、小野田さんの発見当時の映像も繰り返し流されていた。
 戦後六十年である。これが本当だったら凄いニュースなのだろうが、なんだかどこかに違和感も感じていた。先ず、なぜこの日に? ニュースもまるで用意されていたもののように思えてしまうのだ。まあ、いいさ、続報で実際にその日本兵が現れて自らの体験を話せば詳細はわかるだろう、とあまり注意もせずに待っていても続報はなく、なにやら現地から大使館員も引き上げるらしいなどという情報すらある。
 じゃあ、あれはガセネタだってことか? 日本のニュースよりも現地の方が何かわかっているかもしれないと、「在外」日本人ネットワークのフィリピンに登録されているブログの更新記事をみてみると、いくつかの記事が見つかった。

■ミンダナオの旧日本兵(マニラ絵日記)

■メディアってすごいですね(ロビンのマニラ塾)

前者の記事の中にこんな件があった「どうもこのニュースは、フィリピン関連だけども、ミンダナオからのニュースではなく、マニラの大使館や東京の厚生省当たりがもともとの出所なんでしょう。」。なんだかかなりきな臭い話のようだ。現地へ殺到しただろう日本のマスコミ各社の記者の報告を読んでみたい。旧日本兵がガセネタであっても「大使館員とおそらく日本のマスコミも向かったミンダナオのジェネラルサントス市は、バレンタインデーの爆弾テロの現場の一つ」ということだから、ちゃんと現地を取材すれば、その他の面白いニュースも拾えるのじゃないかな。

さて、ミンダナオ島。
ダイビングでフィリピンへよく行く人以外は、この島の名前は学校の地理で習った程度でそこがどんなところなのかイメージはまず湧かないだろう。でもぼくはこの島の名前を聞いた時に思い出す地名は「カガヤン・デ・オロ」だ。「カガヤン・デ・オロ」はミンダナオ島北部第一の近代都市になっているらしいが、ここには川崎製鉄の鉄鉱石貯鉱場と焼結工場が建設されている。昭和五十年代に日本で製鉄所の公害が社会問題となった時に、公害の発生源となるこの工程を海外へ初めて「輸出」したことで有名だ。当時の国会の議事録にもその辺の経緯が記録で残っている。

ぼくは二十代の頃、海運関係の仕事をしており、その会社が川崎グループであったので、この焼結工場から出されるスラブを日本へ運搬する船の手配をしていたことがある。その頃、現地では輸出された公害が大きな問題となっていたようだが、日本国内でそのことが報道されることは少なかった。何しろ遠い海の向こうの亜熱帯ジャングルの中での出来事だ。公害源がなくなった日本国内はおかげできれいな空気が戻りつつあった。ネットで調べると、現在、「カガヤン・デ・オロ」には川崎製鉄の他に、花王、デルモンテなどの企業が進出し、近代的な都市になってはいるものの市街地では排気ガスがひどいらしいと知る。

そのネットで探索している時、一つの手記にたどり着いた。

■大戦の果ての山野に

昭和二十年三月頃から八月にわたる六カ月余り、ミンダナオ島で敗色濃い戦況の中、熾烈な戦闘と逃避行の果て、九月十四日に投稿するまでの記録である。あの戦争とは何であったのか、当時の兵士はどう考え、何のために闘い、死んでいったのか。それは読んだ各自が考えることだ。

今、中国や韓国との間で歴史認識が問題となっている。この国の首相は靖国神社への参拝を強弁して続けて意地を張っている。それがますます近隣諸国や当時戦場となったアジア諸国の反発を生んでいる。今、もう一度過去を振り返り戦争とは何であったかを一人一人が考えるべきだと思う。揚げ足取りの空虚な議論で溜飲を下げるばかりでは意味がない。戦争を憎み、平和を守るためには過去との対峙が必要だろう。

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