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飽和した学の陰謀 【杉岡氏のHPより要所転載配列】 アインシュタイン2
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架空の原理を作りだしてはその架空の原理を基礎とした理論を作っていく
特殊相対性原理/一般相対性原理という原理を物理学が採用してきた過程を眺めると、明らかにおかしいと思う点がいくつもあります。以下、思いつくままに疑問点を述べていきます。
まず特殊相対性原理とは何か?を見てみましょう。
「相対性理論の考え方」(砂川重信著 岩波書店)には、この原理が次のように表現されています。
特殊相対性原理
「たがいに等速度運動をしているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形で表され、それらの慣性系のなかから特別なものを選び出すことはできない。」
ここで注目すべきは、「・・・・すべての基本的物理法則は、まったく同じ形に・・・」の「すべての」という言葉です。
アインシュタインは特殊相対論を発表した当時、基本的物理法則は、全部で三つだけでした。
@ニュートンの運動法則、Aニュートンの万有引力の法則、Bマクスウェルの電磁気学の法則
この三つです。
もし、この原理が本当に正しいものならば、上の三つの法則が、特殊相対性原理を満たしていることを当然証明しなければなりません。そして、よく物理の教科書で書かれているように、@の運動法則とBの電磁気学は、@を特殊相対論的に書き替えると、たしかにローレンツ変換を用いれば全ての慣性系においてまったく同じ形に表現することができます。
アインシュタインは@とBでそれに成功したわけです。この時点で、@のニュートン力学は、特殊相対性理論という力学理論の極限としての意味をもつことになりました。
しかし、Aの万有引力の法則(重力理論)だけは、それを特殊相対性原理にもとづく形に(すなわちローレンツ変換不変の形に)書き替えることができなかった。すなわち、書き替えに失敗したのです。
さて、この失敗したという事実に注目する必要があります。
通常ならばここで物理学者は「特殊相対性原理は間違っているのではないか?」と考えるのが普通であり、「物理学ではこんな原理は採用できない。」とするのが正常な思考にもとづく判断というものです。
なぜなら原理で「すべての・・・」と主張しているのですから、三つのうち二つでよいなどということが許されるはずがないからです。しかし、どういうわけか幸運にも生き残ってしまった。
正しい原理であることをいうためには「重力理論でも特殊相対性原理に沿った形のものができた。そしてこの重力理論の正しさが実証された。よって、これで三つの全ての物理法則はたしかに特殊相対性原理を満たすことが証明され、その原理の正しさが実証された。」という形で全員の承認を得なければなりません。しかしそんなことは一度もなかったのです。
くり返しますが、特殊相対性原理を物理学の基本原理とするためには、まずすべての物理法則をこの原理に則った形に書き替えそれらの法則はたしかに正しいと実証してから、次のステップに進んでいかなければなりません。しかし、そんなことはなされたことがなかった。なぜ、このことを重要視することなく、物理学者は先へと進んでしまったのか?私には不可解でなりません。
そのことをせずに先へ進んだということは、特殊相対性原理は一度もその正しさが歴史的に実証されたことがない、ということです。
一度も実証されたことがないのに、その原理が現代物理学の基本原理として君臨し、その具体的規則”ローレンツ変換不変(共変)性”がすべての物理理論に要求される。何かが狂っているとしかいいようがない。
そして、アインシュタインは、今度は、系を一挙に加速度系まで含めた形に拡張した一般相対性原理を勝手に作り出し(等価原理の考察からでしょうが)、それにもとづく重力理論を作りあげてしまいました。
上記本には、一般相対性原理が次のように表現されています。
一般相対性原理
「すべての基本的物理法則は、任意の座標系で同じ形で表される。」
よく考えると、アインシュタインはここでも非常におかしなことをしています。
この一般相対性原理でも「すべての・・・」と表現されていますが、当時のすべての物理法則がこの原理に則って正しく書き替えられるか否かなど、まったく分からなかったのです。
たまたまアインシュタインはこの原理を用いて、一般相対論という重力理論を作ることに成功しましたが、逆に言えば重力理論しか(いまだに!)成功していないのです。一般相対論は重力理論です。にもかかわらず、嘘か誠か確めたこともない原理を平気で作りだして、それがあたかも正しい原理であるかのように、なぜアインシュタインは主張するのでしょうか?
一般相対性原理の正しさが証明されるのは、すべての物理法則がこの理に則って正常に書き替えられ全ての理論の正しさが実証された後でしかありえないのです。そして、その正しさが実証されてはじめて、その原理を物理理論の基礎として採用することが許される。この手続きを経ずに、勝手にこの原理を理論の基礎に採用してはいけない。「すべての物理法則が、加速度系まで拡張された任意の座標系で同じ形にうまく書き替えられた。そして、その書き換えられた理論の正しさが実験で確認された。」という話も聞いたことがありません。この場合も、特殊相対性原理のときと全く同じ状況が出現しているのです。
これで、なぜ「原理」などと言えるのでしょうか?
さらにおかしなことがあります。
一般相対性原理は、特殊相対性原理をより一般の形に拡張したものですから、もはや特殊・・にこだわる必要はなく、すべての物理理論は、一般・・に則った形で表現されなければなりません。にもかかわらず、重力以外の理論では、物理学者が不変形式にもっていくのは一般・・の方ではなく、どういうわけかいつも特殊・・の方(ローレンツ変換共変性の要求)なのです。
全く不可解であり、不自然なことをやっているとしか見えません。
アインシュタインは、自分勝手に架空の原理を作りだしてはその架空の原理を基礎とした理論を作っていく。これほど、物理学の規則・規範というものを無視した態度はありません。
今回指摘したことが、現代物理学で、なぜ問題にされないのでしょうか?
こんなことは私でなくとも、だれだって気付くことです。おそらく過去何人もの人が気付いてきたことでしょう。しかし、だれも言い出さない。なぜか?
それは、現代物理学においてアインシュタインは神様に祭り上げられているからだと思います。アインシュタイン神話が物理学全体を支配していて、その魔力の暗示にかかり、相対性理論の疑問点に関しては学者は思考をストップしてしまうからです。いまこそ目をしっかりと開いてアインシュタインのやってきたことを冷静に見つめてほしいと思います。
注意:ここで問題にしたは、アインシュタインの考え出した特殊相対性原理と一般相対性原理です。ガリレオの相対性原理は現代でも正しいものですので、この点は間違わないでください。
追記
上では歴史の常識に従って電磁気理論(マクスウェル方程式)はローレンツ変換に対して不変であるとして話をすすめましたが、じつは従来証明は誤っており、マクスウェル方程式はローレンツ変換不変ではありません。
アインシュタインは物理学の方向性を完全に間違えていた
上に関連してさらに述べたいことがあります。どの本にも指摘されていないので、ここで述べさせてもらいます。それは「アインシュタインが相対性理論という物理理論を構築する際に、その方向性を間違えてしまった」ということです。上でも述べましたが、特殊相対論が発表された当時の物理学における基本的な物理法則は、三つだけでした。
@ニュートンの運動法則、Aニュートンの万有引力の法則(重力理論)、Bマクスウェルの電磁気理論
この三つです。
さてまず話の前提として知っておいてほしいのは、物理学の基礎法則は、大きく二つに分けられるということです。
[1]運動の法則(「力学」とも呼ばれ、力が加わった粒子がどのように運動するかを探求する学問)
[2]力の法則(力の性質そのものを研究する分野)
大雑把に言って、物理学の基礎法則はこの二つに分けることができる。
さて、ここで上の@〜Bが、どちらに属すのかを見てみますと、@はニュートン力学とも表現されるように、当然[1]
に属します。
Aは、万有引力(重力)がどのような性質の力かを表現したものですから、これはもちろん[2]です。
Bの電磁気学ですが、これはマクスウェル方程式を基礎とする理論です。この方程式は、電気の力、磁気の力がどのようなものかを表現したものですから、[2]に属します。アインシュタインは、ローレンツ力をつけ加えて考察もしていますが、しかしいつでも中心はマクスウェル方程式であって、その方程式の中の一つdivD(x、t)=ρ(x、t)が積分形クーロンの法則F=kqq′/r^2と完全同値であることからもわかる通り、マクスウェル電磁気理論は、力の性質そのものを研究する分野[2]となります。
まとめますと、次のようになります。
@は[1]に属する
Aは[2]に属する
Bは[2]に属する
これを見て、鋭い人は、すでに気付かれているかもしれません。特殊相対論を作ったとき、アインシュタインは特殊相対性原理という原理を用いて、@のニュートン力学とBのマクスウェル電磁気学を、まずローレンツ変換に対して共変(不変)という形(ローレンツ変換で理論の形が変わらないようにすること)に統一的に表現しようとしたのです。
しかし、これは、物理理論の構築の方向性として、明らかに間違っています。
なぜなら、@は運動の法則であり、Bは力の法則ですので、物理理論としては、全く異なった分野のものです。それを、特殊相対性原理でもって@とBを、ローレンツ変換共変の形に、わざわざする必要性、必然性などないのです。
しかし、アインシュタインは、なにを勘違いしたのか、まずこの二つを特殊相対性原理で統一して表現した。これが、先に大きな過ちと言った理由です。この結果、ニュートン力学は、特殊相対論という力学に含まれる理論となりました。
統一しようと思うのならば、まず統一すべきは、AとB、すなわち電磁気学と万有引力の法則(重力理論)のはずです。電磁気力は近接作用力、重力は当時遠隔作用力と異なった形式で表現されていましたので、「これを、なんとか統一的・共通的な形式で表現できないか?」と考えるのが物理学者としては自然な態度(それが本当に正しいかどうかは別として)というものです。
ところが、力学の方程式とマクスウェル方程式を、特殊相対性原理でもってローレンツ変換不変の形としてしまった。この方向性の過ちが、相対論誕生へと繋がる重大なミスとなったわけです。
さらに、輪をかけて悪いことに、物理学者ならここで述べたことくらいすぐ気付くはずのことなのに、一向にこの点を問題にしないのは、なぜなのでしょうか?そこまで、アインシュタインに遠慮するのはなんなのか。
そろそろアインシュタインへの遠慮もこの辺にしておかないと、将来に大きな禍根を残すことになります。相対性理論という嘘で塗り固められた理論を、「人類最高の宝」などと称して、次代の子供たちに引き渡すわけにはいかないのです。
超光速、因果律、タキオン、タイムマシン、双子パラドックスの問題に完全決着をつける
相対性理論に関する話では、超光速、タキオン、双子のパラドックスなどの問題がいろいろと議論されています。それはSF的にたのしい要素もあってか、よく一般書などでその可能性が論じられています。
しかし、たのしむだけならいいのですが、真っ当な物理学者までが真剣に議論している様子は「相対論が間違っている」ことが明らかになった今となっては、見るに耐えがたいものがあります。すでに相対論の時間はデタラメであったことが判明していますので、今回はこれらの問題に決着をつけるべく説明します。
まずはじめに、時間に関するアインシュタインの失敗から説明していきます。
相対論では、時間を光を使って特殊相対性原理と光速度不変の原理のもとで定義しますが、これによって、時間は、光という実体の性質に縛られるものになりました。時間とは、本来そんな性質のものではないのですが、アインシュタインが強引にやってしまい、その巧妙な手口にみんなが騙されてしまったことはこれまで再三述べてきました。
ここまででアインシュタインはすでに二つのミスを犯しています。
まず、時間とは光を使って定義するようなものではないのになぜか光を用いてそのように定義してしまった(これにはじつは理由があります、後述)ことが1番目のミス。
二つ目は、その定義に「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」という相矛盾した原理を採用したこと、これが2番目のミスであります。
さて、アインシュタインは、なぜ、そんな強引なことをしなければならなかったかといいますと、電磁気学と力学理論を、特殊相対性原理で統一的に表現するという誤った方針(ここでもアインシュタインは間違った)を強引に成立させるためには時間をいじるしかなくなり、さもそれらしい説明をつけて、時間を光を使って定義するということをやったからです。
「エーテルがみつからないのは当然だ。ローレンツのような人工的な仮説など一切考えないでよいのだ!とにかく、特殊相対性原理と光速度不変の原理だけを考えればよろしい!」という状況を成立させるために、アインシュタインは1905年の論文の冒頭でわざわざ「はて、よく考えると、時間とはそんなに自明なものではない」などと切り出し、論文の最初に時間の定義をもってくるという巧妙な展開を考えました。
特殊相対論という力学理論と電磁気理論を表現形式で統一するには、ローレンツ変換しかない。アインシュタインは当時すでに発表されていたローレンツ変換の公式に、ローレンツらとは全く違うルートからたどり着きたかったのです。エーテルというものに直接触れない形で、当時大問題であったエーテル問題をうまく解決する方法はないかと模索しました。
そして特殊相対性原理という勝手に作り出した嘘の原理を用いてその上で「時間」を光で定義し直しある大トリックを加えるとうまくいくことに気づいたのです。なぜ時間を光を用いて定義したかと言いますと、ローレンツ変換の公式の中に光速度cが含まれているので、そこへもっていくためには、光を用いて定義するほかなかったわけです。
すなわち、アインシュタインは、エーテルというものに直接触れることなく、簡潔にすっきりとローレンツ変換の公式に、どうしてもたどり着きたかった。そのためには、人類がもともと無意識のうちに持ち合わせていた「時間とは宇宙に共通に一様に流れているもの」という素朴で自然な約束を、捻じ曲げても時間をあのように定義し直さざるをえなかったわけです。しかし、そのアインシュタインの時間が、日常の我々の時間と全く結びつかないものであったことは、人類史上における決定的なミスとなりました。
●<光時計の考察から相対論における時間論の間違いをさぐる>
さて長々と述べてきましたが、相対性理論での時間は次のように表現されるものとなりました。
t=t′/√(1−v^2/c^2)
ある慣性系(ある人)から、他の慣性系(別の運動している人)を見ると、「相手の時間がゆっくりすすんでいるようにみえる、しかもそれはお互い様であり、どちらも真実」という非常に奇妙な世界へと突入してしまった。時間というのは、非常にわかりにくいものになったのです(光を用いて「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」で定義すれば当然ですが)。
上の式から、vは光速度cを絶対に超えられない、ということになって、「もし超えれば因果律が破れるのか?タイムマシンは可能か?タキオンはどうか?」などという人がでてくるのですが、そんな心配は無用です。時間を光を用いて、互いに矛盾した「相対性原理」と「光速度不変の原理」で定義すれば、そのような議論をせざるを得なくなるのは当たり前だからです。
■超光速の問題
物体の速度は光速度cを超えられないとなったのは、アインシュタインが光と時間を勝手に結び付け、時間を上式のように表現してしまったからであり、ただそれだけの意味しかありません。
光速度cがこの世の上限速度である理由などまったくないのです。
光速よりも速く伝わる現象は今後いくらでもみつかるでしょう。そのことはすでに指摘されはじめていますが。
■因果律の問題
また、光速度cを超えると因果律が破れるか?という問題も、アインシュタインが勝手に上式のように時間を表現したからそう思うだけであって、c以上のスピードになっても実際に因果律が破れたりすることはありません。上式は、誤った思考による産物であり、間違っているのですから、ご安心ください。
■タイムマシンの問題
時間を自由にさかのぼれるタイムマシンは作れるか?という古来からの問題も、夢をこわすようで悪いですが、その答えは「不可能」ということになります。
現代人は、時間を実体のように捕らえがちです。時間の流れを逆転させることに成功すれば我々は過去へと戻れるのではないか?とすぐ考えるのですが、この考えは誤りです。時間は物理的実体ではありません。
■双子のパラドックスの問題
これはまさに、相対性理論での時間の定義そのものから発生した問題です。
アインシュタインが時間を光を用いて且つ矛盾した二つの原理を使って定義したことから、必然的に生じるパラドックスですので、それが拠り所とした時間の定義自体が間違っていたことが判明した今となっては、「双子のパラドックスは、パラドックス自体が間違いであった。実際はそんなことは起こらない。議論すること自体が無意味な問題である。」という結論になります。
この無意味な論争を、20世紀の人々は延々と続けてきたわけです。なんという時間の無駄遣いでしょう!
以上の議論をまとめますと、アインシュタインの考えた時間というのは嘘であった、ということです。
その自分勝手な思考に、20世紀の人類は振り回され続けたわけです。