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(回答先: カバラという字の入る「酒鬼薔薇聖斗」(神戸事件)と「小林薫」(奈良事件)をアナグラム解析 投稿者 サラ 日時 2005 年 12 月 13 日 20:59:19)
『天使のなかで、もっとも力を持った天使は、いうまでもなく天使9位階のうち、最高位「熾天使」である。
かつて、熾天使のなかでも、さらに熾天使長ともいうべき、ひとりの天使がいた。彼は天使中でもっとも神に近い存在である。
神が光であるように、彼もまた光の天使であった。天使名は「ルシフェル」──「光を運ぶ者」という意味だ。
ルシフェルは、神を除けば、この世でもっとも力をもった存在である。これがルシフェルの慢心を生む。
もし、神がいなければ、自分がこの世を支配できる。自分が神になることができる。ならば神を倒し、自らが神になろう。ルシフェルは、そう考えたのだ。
「イザヤ書」には、こうある。
「かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう」と」(イザヤ書第14章13節)
自分の価値観が絶対的な真理であると信じるルシフェルは、天使としての使命を忘れ、堕落した。神学では、堕落した天使を特別に「堕天使」と呼ぶ。
天使の名前はミカエルやガブリエルのように、神聖さを表す「エル(神という意味)」を末尾につけることが多い。
だが、堕天使には、この「エル」はそぐわない。そのため、ときに堕天使としてのルシフェルを「ルシファー」と呼ぶことがある。
ここでは、これを採用したい。さて、自らの力を過信する堕天使ルシファーは、仲間の天使たちを次々に誘惑する。
もともと最高位の熾天使のトップであったルシファーの言葉に、多くの天使が戸惑い、大混乱へと発展。
天界の天使の3分の1とも、半分ともいう天使がルシファーに従うまでになる。こうして一大勢力となったルシファー軍は、ついに絶対神に戦いを挑む──!!
もちろん、ルシファーに惑わされなかった天使もいる。
筆頭が、かの大天使ミカエルである。彼らは、絶対神のもと、ルシファーたちに立ち向かう。
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦した」(ヨハネの黙示録第12章7節)
ここでいう「竜」が堕天使ルシファーである。
しかし、相手は絶対神である。この世界を創造した絶対神である。
いくらルシファーいえど、所詮、天使。勝ち目はない。
戦いは反乱軍の決定的敗北で幕を閉じる──。
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堕天使に下された厳しい処罰
敗れた堕天使たちに、絶対神の処罰は厳しかった。
「ああ、お前は天からおちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた、もろもろの国を倒した者よ」(「イザヤ書第14章12節」)
この「明けの明星」「曙の子」とは、かつてルシファーが光の天使ルシフェルだったことを意味する。
が、もはやルシファーは光の天使ではない。堕天使である。堕天使は、みな地に落とされた。このときの様子を『新約聖書』は、こう記す。
「勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろとも投げ落とされた」(ヨハネの黙示録第12章8〜9節)
一読してわかるように、地に落とされた堕天使は、みな悪魔「サタン(神に敵対する者という意味)」となった。
これが、「光の超常生命体(天使)」に敵対する「闇の超常生命体(悪魔)」の正体だったのである!!
なかでも、堕天使長ルシファーは、サタンの中のサタン、サタンの大王、大魔王グランド・サタンとなった。
悪魔となりし堕天使は、絶対神の怒りにより、さらに地獄の底へと突き落とされる。
「神は、罪を犯した天使達を容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じこめられました」(「ペトロの手紙2」第2章4節)
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光と闇は天使と堕天使の戦い
『旧約聖書』の「創世記」の冒頭に、こんな記述がある。
「神は言われた。『光あれ』こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」(「創世記」第1章3〜5節)
多くの人は、昼と夜という表現から、神が初めに創造した「光」を太陽であると考えがちだ。が、実は、そうではない。
この光の創造は第1日目であるが、太陽の創造は第4日目なのである。
「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ』そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた」(「創世記」第1章14〜16節)
となると、だ。初めに神が創造したという光とは、いったい何なのか。
一般に、これは光そのものであると解釈される。つまり、物理学的エネルギーとしての光(フォトン)である。
神学では、光にも霊があると考える。一説には、光の霊こそ、光の天使であり、熾天使ルシフェルであるという。
神が最初に創造した光の霊であるがゆえ、ルシフェルは、もっとも神に近い存在だというわけだ。
実際のところ、こうした解釈は、結構多い。しかし、これは根本的に間違っている。
この光の霊は、イエス・キリストである。人間として生まれてくる以前の霊としてのイエスなのだ。
これは筆者の独自の説ではない。イエス自身が語っていることなのである。
「イエスは再び言われた「わたしは世の光である」(「ヨハネによる福音書第8章12節」)」
絶対神が最初に創造した光の霊がイエスであるがゆえに、イエスは自らを指して「神の子」と称しているのである。
そうすれば、先の記述の意味も解けるだろう。
光の創造の後、神が光と闇を分けた。これはイエス・キリストに従う天使とルシファーに従う堕天使の戦いを物語っているのだ。
つまり、天使が光、堕天使が闇なのだ。
光と闇の戦いは、そのまま天使と堕天使の戦いであり、その結果、堕天使が地に落とされる。光の霊であったイエスは、このときの一部始終を見ている。
「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」(「ルカによる福音書第10章18節」)
ここで重要なのは、『聖書』が一貫して、天使と悪魔、あるいは光と闇の対立を描いているという点である。
そしておもしろいことに、この徹底した二元論は、実は、世界中の神話伝説に見られるきわめて普遍的な思想なのだ。
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天使の戦いは世界中の神話にある
イエス・キリストをメシアと認めないユダヤ教にも、堕天使の思想はある。
ユダヤ教神秘主義「カバラ」では、堕落した天使の筆頭を「サマエル」とか「サタナエル」と呼ぶこともある。
なんでも、サタナエルからエルが取れて、サタンになったという。
同じく『旧約聖書』を聖典とするイスラム教でも、基本的には同じだ。
「コーラン」によると、アダムへの礼拝を拒否した天使イブリースが地に落とされる。
クルド族の神話では、原初、この世界に7人の天使がいたという。そのうち、もっとも最初に生まれた天使は悪魔であり、その名を「孔雀天使」という。
孔雀天使は、絶対神に反逆し、そのかどで地に落とされたという。
非常に興味深いことに、『聖書』の堕天使説とまったく同じ構造を持った神話がペルシア神話にある。
ペルシア神話における、最高神の名は「アフラ・マズダ」。光の神である。アフラ・マズダと敵対する神に「アーリマン」なる神がいる。
あるとき、アーリマンはアフラ・マズダの光に嫉妬。これを破壊して、自らが至高の存在になろうと戦いを挑む。
その際、アーリマンは配下に悪霊を従え、迎え討つアフラ・マズダたちは天使たちを従える。
しかし、アフラ・マズダの前にアーリマンは敗れ、地獄へと落とされる。ここに大魔王アーリマンは誕生する。
どうだろう。まさに『聖書』が描く堕天使ルシファー伝説そのものではないか。しかも類似性は、これだけではない。
地に落とされたアーリマンは、しばしば「蛇」と表現される。堕天使ルシファーが蛇や竜と呼ばれているのはいうまでもない。
また、『聖書』が描く天使と全く同じ天使が存在すると同じように、悪霊も存在する。
悪魔は「ダエーワ」という、これが悪魔を意味する「デーモン」「デビル」の語源になる。
さらに、だ。ペルシア神話には、「ミスラ」という名の神が登場する。これは古代には、最高神アフラ・マズダに並ぶほどの神格をもっていた。
ミスラは、ローマにおいては「ミトラス」、ヒンドゥー教では「ミトラ」、ジャイナ教では「マイトレーヤ」、そして仏教では「弥勒」となる。
驚くべきことに、ミスラは契約、友情、そして救世主という性格を持った光の神なのだ!!
これはまさに、キリスト教におけるイエス・キリストであるといってもいい。
先に見たように、イエスは絶対神とともに、光の存在として、闇の存在と戦った。同様に、ミスラもアフラ・マズダとともに、アーリマンと戦ったのである。
このように、ペルシア神話では、明らかに『聖書』と同じ堕天使伝説が存在する。
ペルシア神話は、そのままアーリア人の神話であり、同じアーリア系の神話である北欧神話、ヒンドゥー神話、ギリシア神話、ローマ神話、ヒッタイト神話などと基本的に同じ構造を持つ。
すなわちアフラ・マズダは「オーディン」であり、「ジュピター」「ゼウス」なのである。さらに、古くなれば古くなるほど、それら神々の名は一致し、堕天使伝説も明確になる。
ちなみに、アフラ・マズダは仏教に取り入れられて、「大日如来」や「阿弥陀如来」となる。
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闇の霊となった堕天使が地上に!
北米のインディアン、イロクォイ族の神話では、主神が「善なるカエデの芽」。
挑戦するのは、「悪なるタウィスカロン」。戦いの結果、タウィスカロンが敗れ、死者の国の王となる。
中米のアステカ文明では、この世の創造主にして主神「ケツァルコトル」が、破壊と残虐の神「テスカトリポカ」と戦う。
テスカトリポカは敗れて、魔となる。古代エジプト神話では、父「オシリス」を殺した弟「セト」と兄の「ホルス」の抗争が描かれている。
やはり、最後にホルスが勝利を得て終わっている。ちなみに、この悪神セトを、サタンの語源とする説もある。
日本神話の最高神と言えば、いうまでもなく「天照大神」。これに反逆するのが、スサノオである。
敗れたスサノオは神々の住む高天原から追放。闇の世界「根の国」に下り、そこを支配する。
とにもかくも、こうした光と闇の対立を描く神話は、世界中に分布する。
なぜ、かくも似た神話が存在するのか。もちろん、民族の移動や流入によって、神話も影響を受けた可能性はある。
実際、アカデミズムは、『聖書』の堕天使伝説は、ゾロアスター教の影響を受けたのではないかと考える。
しかし、古代の人間が受け入れたと言うことは、それが事実であると認識していたことにほかならない。
彼らは、本気で神が存在すると考えていた。神に従う天使も、敵対する悪魔の存在も信じていたに違いない。
逆に言えば、信じるにたるだけのことが堕天使伝説にはあったということがいえる。
すなわち、実際に、この世には天使が存在し、また堕天使も存在するのではないか。
地に落とされ、闇の霊となった堕天使が、この地上を徘徊しているのではないだろうか。
もし、そうなら、ことは重大である。これまで空絵事と思われていた悪魔の存在を、今一度、考えてみることが必要だ。』