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(回答先: この三角形の真ん中につくば山 投稿者 サラ 日時 2005 年 12 月 13 日 22:10:27)
なにか関係ないようで、関係ある気がしたのでここに投稿します。
クエーカーの広報サイトに面白い記述がありました。
http://www2.gol.com/users/quakers/QiJ-2.htm
"During this time four meetings were recognized,--that in Shiba, Tokyo (The local name is Saints Hill, and the Tokyo meeting is still known as Saints Hill Monthly Meeting) ; in Yokohama which was later given tip; in Mito and in Tsuchiura, two country meetings to which we will now turn our thoughts. "
初期(18世紀末)には東京芝の「聖坂」、横浜部隊は【水戸と筑波】で「月会:月例会合をこう言うらしい」を持つようになったと。
"Quakerism in Ibaraki Province"という章があり、「横浜の」クエーカーは茨城に早くから地盤を固めようとしたようです。関東地方のある種の大規模農家にはたしかに、横浜山手の大邸宅に出入りしているところがあります。(成田周辺とか:個人的経験ですが)
この「鉄道もない」と書いている時代になぜ水戸や「筑波」を彼らは目指したのかは書いてありません。
推測では筑波山周辺のレイライン構造に興味を持ったのではないかと思いますね。
そして筑波研究学園都市の成立にも関係しているでしょう。これは「天皇教」の動きの一端だと見ています。
この章で面白いのは、「イエズスも茨城に来ていて、石を投げられていた」と書いてあります。
"The Jesuit movement had come to Ibaraki also, and the traditions that followed it meant sometimes a shower of stones for the intruding foreigner."
明治時代に、なぜクエーカーとイエズスが「苦労して」まで水戸や筑波を目指したのかは興味深いです。
表向きは英国のヒースの野原に似てるからとか言ってますが、
これも当然(笑)、オカルト的な封印を目的としていたのでしょう。
この動きの名残は、茨城の「愛友園」になっているそうな。
http://www4.ocn.ne.jp/~aiyuen/
しかし、この福祉団体のHPにはクエーカーという文字はどこにもありません。
また、医療関係にも「愛友」と名前が付くものが多く、このネットワークも日本のクエーカーネットワークだと思われます。
医療法人社団:愛友会(ロゴに注目)
http://www.ach.or.jp/
また、クエーカー関係のリンクページには、
http://www13.ocn.ne.jp/~quaker/rinku9.html
銀座の書店である「教文館」がありますが、この教文館ビルは第二次大戦前後はメイソンの集会場でした。
当時の屋上には塔があり、空襲中にはわざと光りを反射するように改造されて、爆撃のターゲットリファレンスになっていたとのこと。
クエーカーの創始者ジョージ・フォックスはある時、オリバー・クロムウェルと接点があり、所謂ピューリタン運動に合同していったようです。これはアメリカ大陸へメイソンと国際金融の草を植えるためには大変都合がよかったのではないかと思います。
また、日本へは既に第一次大戦当時から国際金融との接点を持つ財閥や軍関係者がクエーカーのネットワークの中で着実に植えられていたようです。
従って、1945年の天皇の人間宣言に至るまでは既に半世紀に亘るクエーカーの活動があり、その一つの拠点が「筑波」だったというのは興味深いし、一連の少女殺害事件にもどこかで接点をもっているように思いますね。