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以下引用
(1)はじめに
ことばの起源というのは、古くて新しいテーマである。ルソーやヘルダーが、そういうタイトルの書物をあらわしたのは周知の事実である。他方、1866年にパリで設立された言語学会の内規には、「本学会は言語の起源もしくは普遍的言語の創造に関する論文を受理しない」と定められたことも、よく知られている。このことに因って以後の専門家の関心は、諸言語の共時的な比較にややもすると偏重の傾向があったことは否めないだろう。
それが最近になって、言語の起源が話題として復活しつつある。だからこういう言語学の講座と銘うったシリーズにも、進化についての章が予定されるにいたったのだろうが、原稿の書ける専門家は少ない。そこで私のような門外漢にお鉢が回ってきたのだろうと、勝手に解釈している。
むろん、単一のオリジンが存在することは、考えられない。そこでここでは、現実の社会的場面における発話行動が、人類の進化の過程でどのように形成されてきたかということに絞って、以下の私の見解を主に社会言語学的な観点に即して書くことにしようと思う次第である。平たく言えば、我々はなぜ今日のような形で「おしゃべり」をするようになったのか、ということである。
ここで「おしゃべり」という単語を用いたのは単にレトリックにとどまるものではない。ある意味で本当に、人間は仲間との会話を複雑な形式に発達させるなかで、現在の音声言語の発話を進化させることができたのである。というのも、ことばが誕生する以前より、動物はおしゃべりを行っていたーーここから議論を開始しようと思う。
(2)会話規則の存在
まず対象として取り上げるのは、リスザルとニホンザルの2種である。ニホンザルは言うまでもなく日本列島に生息する固有種。かたやリスザルは中南米のジャングルに広く分布する。リスザルは日常、チャックコールという音声を、そしてこの音のみを頻繁に出す。「チャック、チャック」と聞こえるので、そう命名されている。声には個性があって、小集団だと慣れてくれば、音だけで誰がないたか容易に判別できる。
今を去ること20年も近く前、私はアメリカで10頭から成る飼育リスザルで、誰がチャックとなき、それからどれほどの時間間隔をはさんで誰が次にチャックとないたかを、丹念に記録するという気の遠くなるような作業をしていた。彼らはかなり、「おしゃべり」な動物なのだけれども、ただ滅多やたらに声を出しているのかそれとも、何か規則のようなものがあるのかを知ろうと思ったのだった。当てのはっきりしない仕事を1年もして、結果をまとめてみると意外な事実が判明した(Masataka & Biben, 1987)。
例えばXというリスザルがないて、次にYという別の個体がチャックコールを発したという状況を想定してみよう。こういう風に集団内の異なる2頭が続けて音声を出した時、その時間間隔がどのぐらいの長さかをグラフにしてみると、図1(左)ができ上がった。0.5秒までになく場合が、かなりある。そうでないと1.5秒ぐらいして、発声している。二峰性の分布を示すのだ。だから相対的に短い間隔で声を出した時は、先行する音に影響して応答したのではないかと解釈したくなる誘惑に駆られる。他方、1.5秒おいても発声は、前の音と無関係に出たものではないのか?
そして、この解釈が決して単なる想像でないことを示唆する結果が次々に得られた。図1の右である。ここでは、2回の連続した発声が同一の個体によってなされた際の2音の時間間隔の分布が、表されている。すると、分布は二峰性とならず、1.5秒という、先の左のグラフのあとのピークと一致するあたりで、2度目のチャックコールを出す傾向を示しているのである。
同一個体が2度続けて発声する際に、2度目が最初への応答であるとは、想像できない。すると1.5秒たつと再度なこうと試みるのだ。前の自分の発声に応答があるならば通常ならそれまでの間に他個体が声を発するという事実を理解しているからと考えざるを得なくなるのである。そして、仲間が声を出さないから、もう1度自分がなく。
リスザルの群れ内では誰かがないて、一定時間内に他個体が引き続いて発声すると、後者は前者への応答とみなされるというルールができているのである。逆にいうと誰かがなくと、応答をするつもりのないメンバーは一定時間、沈黙を守る。そうでないと応答音と、先行する音と無関係に発せられた音声の区別がつかなくなってしまう。また初めに声を出した個体は、実際に仲間の反応を期待している。だからこそ期待した反応がないと、再び繰り返し声を出すのだと考えられる。
(3)見えない相手と会話する社交能力
1990年代に入るとSugiura (1993)が屋久島の野生ニホンザルに、ほとんどそっくりの会話規則があることを見出した(図2)。唯一の相違は、応答が返ってくる時間間隔が0.7秒と少し長いことと、音声の質が「クー」と響くクーコールであるだけにすぎない。
ただしルールそのものは同一でも、会話自体が仲間の社会関係に及ぼす影響は、2種で異なることもまた、明らかとなった。というのも私たちだって、よくおしゃべりする仲間とそうでない相手がいるように、リスザルやニホンザルも群れ内で、高頻度に音声を交換する個体間と、そうでない個体同士というのができてくる。では、頻繁におしゃべりする「仲」というのは、どういう社会関係といえるのだろう?
リスザルに関しては、私が80年代に観察した時のデータでは、より身体接触を行う個体間ほど、より高い頻度でおしゃべりすることが分かった。ところがMitani (1986)の詳細な観察によると、ニホンザルでは全く正反対の傾向が見られるのである。一見、疎遠とも思える個体同士ほど、より多く会話している。
リスザルは親和的な関係にあって、顔を合わすことの多い仲間同士が音声を交わす。しかしニホンザルは、仲間が自分から空間的に離れた時に、むしろ声を出し合うことがわかる。そうすることで姿は認めなくとも、相手が自分の周辺にいることを確認しているのだろう。彼らが生活する森の中は視界が良くない。へたをすると仲間から、はぐれてしまう危険が存在する。それを防ぐために、おしゃべりが役に立っている。自分が声を出して、応答があることで彼らは仲間と一体であるという安心感を得ているらしい。
(4)おしゃべりによる集団の大型化
相手が視界から消え去った時に、社会関係を維持するために、おしゃべりをしあうというのが極めて高度な社交術であるのは改めて指摘するまでもないだろう。目下のところ動物ではヒヒとニホンザルの仲間だけで、報告されている。しかも両者とも、数百頭という例外的に巨大な規模の群れを時として、形成することが知られているが、それはこの社会性によってのみ可能となったと思われる。他の霊長類の群れは大きくても、50頭を越えることはない。対面して関係を維持しなければいけないなら、このあたりが限界なのだ。
ただし彼らの出す音声そのものには、メッセージが含まれていない。仲間の所在を確認して、反応が聞こえなくなる事態を防いでいるにすぎない以上、やっていることは下等といえば下等かもしれない。だが最近の日本人と比べてみた時、余り差がないように思えてならないのだ。
とりわけ若者が携帯でメールをやりとりするのと、そっくりだと思う。そもそもケータイを使いだすと、常に身につけていないとどうも不安な気分におしなべて陥るらしい。さきほどまで会っていた相手と、離れるや直ちに「元気?」とか、敢えて伝える価値のない情報を交信している。しかしそんなことは、大昔からサルがやっていたことなのだ。ニホンザルも起きている間中、誰かとつながってないと落ち着かないようである。因みに渋谷で私が調査した限りでは、十代の高校生のメル友は従来の成人より、1ケタ数が多いことが分かった。日本語には英語のグループに当たるものとして、群れと集団ということばがある。前者は動物については用いられることはあっても、ふつう後者には使わない。しかしケータイの普及は、人間ですら群れ的にしか結びつかず、それでいて充足して生活できることを実証してくれているのである。
(5)育児語の“起源”の発見
また、コミュニケーションのサル化は、現代人の対人感受性にも影を落とすようになってきている。それは例えば、折にふれて「かわいいっー!」を連発するのに、うかがえる。再びサルに話を戻そう。
くり返し書くが屋久島のニホンザルの場合、誰かがクー・コールを発した際に、応答を試みるならば0.7秒以内になさなければ、それとみなされない。また発し手は、この時間内に発声がないと、仲間の返事を求めて再度「クー」と声を出す傾向がある。
ところが2000年に入って、もう1つ面白い事実が分かってきた。Koda & Masataka (2002)は、このように同一個体が2度反復して発声をした時の、音の高さを測定して、どのサルでも2度目の方が最初より、声の調子が上昇することを発見したのである。
どうして、これが面白いかと言うと、人間が会話のなかで、全く同じことをするからにほかならない。しかもとりわけ、子を持った親が、まだ若齢の時期の我が子に向けて、これを頻繁に行うことが、万国共通の現象として、よく知られているのだ。例えば、第一子の子が生後6ヶ月の段階での語りかけの平均的高さを計測した結果は、子が親の声になかなか応じず、かつそれにもかかわらず親が熱心に子に「おはなし」するにつれて、声の調子は上昇していく(Masataka, 1992)。これは一般に「育児語」と呼ばれている、乳幼児の注意を話しての方へ向けるというコミュニケーション上、重要な役割をはたしている語りのスタイルであるが、ほとんど同じことをニホンザルも実行しているのである!
サルも人間の赤ちゃんも、聴覚の感度は仲間の地声より高い帯域で、もっとも鋭敏であるようにセットされている。またサルも乳児も、普段は注意が散漫である。周囲から音声が聞こえても、それと気づかないことがしばしばである。そんな時、聴いてほしいと思う側が、聞こえの感受性が鋭いモードへと自らの形の調子を変化させるのは、きわめて合理的な行動といえるだろう。ただし注意しなければならないことがある。Koda & Masataka (2002)が観察したのは、大人のサル同士のコミュニケーションであるのに対し、育児語は基本的に人間の大人が子に向けてなされるものという差を見逃すわけにはいかないのだ。
(6)赤ちゃんを誤解する人間の本能
両者を分かつのは、人間に独特の赤ちゃんの見方であると考えられる。育児語というのは、一種コロンブスの卵で指摘されれば、誰しも心当たりがあることに違いない。「悦ちゃん」と女性に呼びかけるにしても、相手が成人の場合と赤ちゃんとでは、自ずと音の響きは違ってくる。ただし、それでは幼い子に対してなら常に育児語が出るかというと、そうとは限らないだろう。ならば、どういう状況で出やすいかというと、相手を「かわいい」と感ずることがポイントということに、我が身を省みた時、思いが及ぶのではないだろうか?また例え、我が身に覚えがないとしても、「かわいいっ!」と若い女性が挙げる嬌声を耳にしたことのない人は、いないのではないだろうか。
例えば、図3の2枚の写真がこうした完成を引きおこす典型例かもしれない。赤ちゃんが笑っている。思わず、こちらも心がなごむ。すると声のトーンも高くなっていく。しかし実際には、この類の乳児の笑いというのは、「おかしい」とか「心地良い」という感情を反映した表出ではないことが判明しているのである。(a)の方は、新生児微笑と言われ、出産間もない時期の行動である。けれども本人は睡眠中であって、機械的に生ずる。現に、胎内期の胎児ですら同じことをしているという。また(b)は3ヶ月児の写真で、しかもカメラの方向へほほえみかけている様子がうかがえるものの、実はこちら側に置いてあるのは、右ような福笑いもどきの絵に過ぎないのだ。人間の顔面のような図形を見せれば、このころの子は、とりあえず笑って見せるようプログラムされている。
それでは初期の乳児が、どうして快と感じなくとも周囲に笑いを振りまくのかというと、まさに大人に「笑っている」と誤解させ、かわいいと自分を感じさせるため、ということに落ち着いてしまう。それゆえ、今ここで2枚の写真の子どもは本当の意味では笑っているわけではなく、われわれを一種、欺いているのだと説明したところで、やはり彼らが「かわいい」という印象は全く損なわれないのである。そして、かわいいという印象は意識するしないにかかわらず、当人の口調を育児語の形へ促していく。他方、おしなべてヒト以外の動物には、仲間に向けてこれと類似した思いを抱くことはない。だからニホンザルとて、発声して応答がない時、もう1回繰り返し呼びかけるのがせいぜいであり、人間の母親のように4度も5度もしつようにトライすることはしない。いや、そもそもサルが音を用いるコミュニケーションを求めるのは、自分と同じく成人を遂げたアダルトに限定される。ところが人間は、未成熟な仲間に敢えて反応しやすいようにスタイルを凝らして語りかけるのだ。これが子どもにとって様々な内容を学習するチャンネルとなり、そこに言語のレッスンが含まれることは言うまでもない。
‥‥
(7)育児語の進化の弊害
だから「かわいいっー!」と感ずるのは、基本的には非常に重要な感受性なのである。
因みに英国での研究によると、育児語は3歳児が2歳年下のきょうだいである乳児に話をする場合ですら、すでに出現すると報告されている。その背後にある他者感情は、非常に発達的に早期に芽ばえるものであることがわかる。しかしそれゆえにこそ、社会化が未熟な段階では人間は、赤ちゃんばかりでなく、赤ちゃんと何がしか属性を共有するさまざまな対象に向けて、「かわいい!」を連発することになってくる。近年、若い女性の間で流行した「たれぱんだ」など、その好例と言えよう。
「たれぱんだ」と乳児の共通項は、さしずめ「無力であること」ということばで集約可能なのではないか。たとえ無力に映っても、子どもでないならばそれなりに、ふさわしい別の表現様式を求めるのが社会化を完了した人間であるはずなのだが、現代日本の若年層にはそれが欠落している。
もっともキャラクターが人気を博すぐらいなら、社会的実害がなくて済んでいる。だが高齢者をも「無力」ゆえに、かわいいと口にし出すと話は深刻になってくる。日本の20歳代の女性の年齢層の異なる3つのグループの、面識のない同じく女性への話しかけスタイルを比べてみると、80歳台へは典型的に育児語で接しているのである。しかも同一人物に車いすに座ってもらうと、この傾向はますます顕著になり、50歳台に対してすら語りかけの調子が高くなる。むろん当人には、悪意は全くない。しかし話しかけられた側は、「子ども扱いしている」と憤慨する。子どもに効果的に教育を施す方策を進化させたことが、高齢者差別の土壌を作り出したのである。
(8)「笑い」のレッスン
育児語の濫用は、いわゆる「ことばの乱れ」と言われる、社会問題と化しつつある現象の一端と、とらえることができるだろう。「いや現在、問題となってきていること全体から見れば、そんなもの大したことではない」と、反論されるかもしれない。しかし、「かわいい!」の連発で、仲間同士で何やら意思疎通した気分になることをつきつめていくと、実はコミュニケーションのサル化の本質が見えてくるのである。
そもそも人間の場合、大人が「かわいい」と感ずることからこそ赤ちゃんとの間で、大人同士にはない濃密な情緒交流が成立するのである。端的に育児語を耳にすると相手は敏感かつポジティヴに反応する。積極的に受け答えされると、交渉にも張り合いが出るというものである。大人もますます、精力的にコミュニケーションに関わるようになっていく……そして、こうした正の方向へ加速化していくやりとりによって、子どもの知性がはぐくまれていくのだ。具体的に言語習得は促進されることとなる。
どうして促進されるかというと、養育してくれる大人と楽しい時間を共有することを通じて、子どもは自ずと「心地良い」という感情を表出することが多くなる。具体的には、頻繁に「笑い声」をたてる。ところが、この行動こそが音声言語習得の基本をなしているからなのである。
もし機会があるならば、0歳児が声をたてて笑う場面を観察するのが何よりだろう。赤ちゃんは、ただ漫然と声を出すわけではない。足や手をバタつかせながら、笑っているに違いない。そんなこと当たり前と思われるかもしれないが、これがことばの習得に重要な役割をはたしている。というのも、リズミカルな四肢の運動と同期するなかで、発声そのものが質的に変容していくからである。
生後4〜5ヶ月までの段階では、乳児は長く笑えない。けれども足をバタつかせるから、息を吐き続けるなかで、やがて1回の笑いの持続時間が延長していく。どうして初期に短くしか声を出せないかというと、最初のころは息を一気に吐きだしてしまうからだと考えられる。
他方、足を運動させる方はたやすく持続できる。そこで、このしぐさと同時進行する中で子どもは、息を出す際に吐く空気量を予めある程度セーヴしつつ、当初に狙った時間間隔だけ、出し続けるということを学習する。これこそが実は音声言語を算出する運動の習得の第一歩となる。
というのも私たちの話す単語とは、「ア」とか「バ」とかいう単音節のものではない。どんなに単純であっても「ブーブー」とか「マンマ」とかいうように、複数の音節から構成されているのが通常である以上、息を一定の時間吐きつつ、音を切るという作業をマスターしないと、その生成は絶対におぼつかないのである。
ついで、生後6ヶ月をすぎると、次の変化が生じてくる。今度は、笑いのテンポに関してである。テンポアップするようになるのだ。
それまでの赤ちゃんの「ハッハッハ」は大人に比べて随分と間のびしている。繰り返し書くと、多音節の発声をするためには息を吐きつつ、音を切らねばならないのだが、実際にこれを実行するのが、 のどにある声門と呼ばれる部位である。カメラのシャッターのようなものと、想像していただければ良いだろう。これが、反復開閉運動を行う。
例えば日本人が「パピプペポ」と発音すると、おおよそ1秒の時間を要する。英語文化圏の話者に、話してもらうとふつうもっと早い。世界規模で眺めると、日本語の話し方はどちらかというと緩慢な部類に属する。それでも1秒で5音節ということは、0.2秒刻みでシャッターが5度降りているわけだから、カメラのモータードライヴの作動としては、かなり高度な内容を要求されていることになる。
まして生まれてからたいして年月の経っていない子どもにとって、その難しさは想像してもしきれないものがあるかもしれない。少なくとも、耳で聞いただけで真似ようとしても、のどをどう動かせばいいのかはなかなか体得できないと思われる。
そこでどうするかというと、すばやく動かすことのむずかしくない手をバタつかせながら呼気を断続的に吐き続ける。すると、やがて迅速に息を切れるようになっていくのである。そしてかなりのところテンポアップしたところに、次いで真の意味での音声言語のもとになる発声、すなわち「ダ・ダ・ダ」とか「バ・バ・バ」といった喃語が口をつくようになってくるのである。
喃語も笑いと同様、出現初期にはやはりリズミックな手足の運動と同期し、次第に音節補反復のサイクルが小刻みになる傾向を示す。その1回の長さを測ってみると、グラフに示した通り各時期において、笑いの反復に要する時間とよく一致する。笑うことに便乗して、人間は発話のレッスンを行っていることを裏づけている証拠といえるだろう。そのために特定のパターンで身体を動かすプログラムが、遺伝的に進化を遂げたのである(正高, 2001)。
(9)サルは笑うか?
だから笑いの系統的なルーツをたどることが、人間の言語が誕生してきた道を探る1つの重要な糸口となってくる。では再びサルに話題を戻して彼らに、これと類似した行動はあるのだろうか?実は130年も前にすでに「ある」と答えた人がいる。チャールズ・ダーウィンである。
彼が注目したのはチンパンジーの「パント・コール」と呼ばれる音声であった(Darwin, 1872)。口をやや前へ突き出し、すぼめながら「ホッホッホッ……」と低く響くように音をたてる。第2次大戦後に野外調査が盛んになり、この音声を彼らがどういう文脈で用いるかも明らかとなってきた。同じ群れの仲間同士が、誘導している間に一時的にわかれわかれになってしまい、再度出会った場合などに典型的に生ずる。
再会の瞬間は、互いにやや緊張していることが多い。擬人的に書くと、「自分の知らぬ間に何をしていたのやら」といった疑心暗鬼の風が見てとれる。それが双方とも相手を見つめつつ、接近していき「パント」を交わしつつ、しばしば抱き合ったりして、様子をひととおり探り終えると、以前の打ちとけた関係に復する。群れの上での「きずな」を確かめ合うあいさつの機能をはたしていることがわかる。
面白いことに類似の行動は、ニホンザルにも見られる。しかも相手を威嚇する際に出す。ただし、1対1でおどす時には、行わない。当時、Machida (1990)の観察によると、低順位のサルが高順位の仲間を背後に置きつつ、他の誰かにけんかを売る時に限って、生ずるという。攻撃をしかけておいては、その高順位個体のところへ戻っては毛づくろいを試みたりする。社会関係維持を目指し、第三者に威嚇するポーズをアピールする道具として、笑いもどきの発声を使用する。他個体の排斥をてこに、目指す相手とのパートナーシップの確率を目指すのである。
ただいつもいつも、個体間のきずなを深めるのに攻撃行動を必要とするのでは、群れ内にあつれきの種がつきない。そこで両者が、あたかもその場に第三者が居合わせているかのように想定し、そこへ攻撃行動を共同して注ぐかのごとく、「笑い合う」ことで、お互いの結びつきを確かめるように発展して、笑いは誕生したのではないかと思われる。それゆえ私たちはいまだに、2人が談笑している場に出くわし、その理由が把握できないと、あたかも自分が笑われているかのような印象を持ち、かつ不快に感ずる。むろん、笑い合う動因が攻撃的なものでは困る。そこで、「おかしみ」という感覚を作り出した。作り出したけれど、まだ成立してから日が浅いので、内実はあいまい模糊としている。有史以来、哲学者や思想家がおかしさについて考察を試みても、もうひとつ答えがはっきりしないのは、そのために因る。また、「たれぱんだ」を見て、「キャーかわいいっー!」「うそっー!」「まじっー」と大騒ぎして、お互いの結びつきをたしかめ合うという行動が成立するのも、こういう背景が存在するからなのである。
(10)チンパンジーに見られる“方言”
社会が複雑化するにつれ、個体は自分が所属する群れに固有の方法で、相互の絆を深めるようになっていった。他群のメンバーには了解できない、あるいは実行できないという事実が凝集性を強化する拠り所となるのだ。しかも具体的には、見えなくとも互いの場所が確認できるという点で、音声がメディアとしては便利であった。そうして実際に、どういうパターンの音が形成されていったかというと、リズミックな断続音だったのである。
こう考えてくると、チンパンジーの「パントコール」に方言が存在するという事実は、何ら驚くに値しないことを了解していただけることだろう。実のところ、呼気を断続して排出しながら長く声帯をふるわせるというのは、彼らにとって大変むずかしい作業であるらしい。だから、一人前にこの音声を出せるようになるまでに、少なく見積もっても8〜10年の年月を要する。しかも、ようやくその技術に習熟した時ですら、パターンは、群れごとに異なるのである。
もっともよく知られているのは、東アフリカのタンザニアでの集団差である。わずか20数キロしか離れていないのに、リズムの刻み方が違ってきている。しかも相違があるばかりではない。大切なのは、彼らは基本的に自分の地域の方言の方を、他方言より好むという事実である。同一種の内部において、地方分化が起きてくる、ローカリズムの萌芽である。
それぞれの地域に密着した(つまり、より適応を遂げた)群れというもののできる素地ができあがってく。こうして社会生活に環境要因の多様性に応じた柔軟性が付与されることで、ヒトの先祖は生活圏の範囲を飛躍的に拡大させていったことだろう。
(11)「公的言語」の誕生
ただ、これだけなら群れごとに仲間の間の情緒交流の様式が違ってきたという話に、とまってしまうが、ここにもう一段の飛躍の要素が加わってくる。たまたま、我々の祖先がそのような目的に選択した音が、リズミックな性質を有していたということが、無視できなくなってくるのだ。
音が分節化していたため、各音節に何通りかの多様性が与えられると、その組み合わせは無限に等しくなる。それら1つ1つを集団内の仲間が共通の認識を持って、特定の表象にあてはめるなら、客観的な情報伝達ということが可能になる。具体的に多様性を作り出すためには、声帯の振動音を口内で加工しなくてはならない。口腔の形状を微妙に変化させたり、舌を複雑に運動させなくてはならない。これが調音(articulation)と呼ばれる過程である。
つまり調音が可能となって初めて、人間は今のような音声言語を身につけることができるように技術的になったのだ。ではそれが実際にいつごろであったかというと、たかだか多く見つもっても10万年前のことであることが、近年になって分かってきた。意外に最近のことにすぎない。
舌や口をさまざまに動かすためのは、たいへん高度な運動なのだけれども、10万年以上前だと、とても今の私たちのようなことができそうもないことが判明しつつあるのだ。つまり、それまでの人間の祖先はコミュニケーションに際し、かなり単純な音しか使っていなかったということになる。それが複雑化したのは長い進化の歴史の中では、ほんのひとむかし前にすぎない。そして、単純な音だけで事足りていたのである。所属する群れ内のまとまりを維持するだけならば、さしてこみ入ったことをすることは、必要とされないのだ。
それが事情が変わってきたのは、人間の社会生活がこみ入ってきたからにほかならない。単一の集団のなかで交流するだけではあき足らず、集団内の成員が他集団の成員と交わる場が、やがてしつらえられるようになってきた。いわゆる「市場」の誕生がおそらく、その契機であったろう。当然、意思疎通の道具が必要となってくる。しかも、求められるのは情緒的な手段ではなく、反対に話者や聞き手の感情とかかわりなく、冷静に情報を伝える体系である。かくして、「公的言語」が生まれたのだ。つまり歴史的には言語は、まず仲間同士の情緒交流を確かめ合う道具として発達し、次いで情報伝達の役割をになうという、2つのステップを経て生まれてきたのである。
(12)エレベーターのなかの会話の時代変化
そして今もなお言語というのは、どんな体系のものであれ必ず異なる2通りの使われ方をしているのである。つまり私的な使用と公的な使用である。前者については、人間といえどサルとさほど変わらない。お互いの絆を深めるため。いろいろおしゃべりをするわけで、話題を豊富にするためには、クーコールより音素と語彙の体系から成る音声言語の方が、ふさわしいかのように思えるかもしれないが、基本は変わらない。だから携帯でメル友と交信する時に、字を用いずアイコンだけで、十分に用が足りる。小学校低学年で突然、アメリカへ転校になった日本人の子どもは、移って2、3日は現地の同級生と平然とおしゃべりを交わす。それからやっと、相手の話す言語が自分のと同じでないことに気づき、がく然とする。
産出される音が、話者の感情などとは独立して象徴機能をはたすことは、人間が地縁・血縁といった出自の「しがらみ」から離れて、1人の個人として相手と対等に関係を築こうと思い立った時に初めて、意味を持ってくる。それは人類史のなかで、さほど遠くない過去のことであったし、今なお私たちは2つの機能を現実の会話のなかで明確に分離して使っている。
その端的な例が、エレベーターのなかに見られる。あなたがもし、友人とエレベーターに乗り込んだと仮定しよう。そこに他の人が誰も居合わせなかったとする。そうすると、通りを歩いている時と同じように、会話に花が咲くことだろう。ところが、途中の階から見知らぬ人物が入ってきた。どうするか……ふつうまず口をつぐむのではないだろうか?
どうしてかというと、第三者が加わることで狭い箱の中が、私的空間から公共の場へ変質したからにほかならない。そして、それまでの言語は私的な特質のものであったため、それを第三者にきかせることにはためらわれるものがあるし、また相手に不快の念を抱かせるという配慮が働いて、沈黙するのだ。もし、それまでの会話の内容が公的言語によるものであったならば、会話は途切れないだろう。意識するしないにかかわらず、「ふつう」私たちは両者を区分していることがわかる。
ただし、「ふつう」と保留を付けたのには理由がある。今から20年前に収集された「エレベーターの会話」の資料を参考に(細馬, 1988)、同一場所で全く同じように観察を2002年に行ってみると、以前に比べて第三者が乗りあわせても、会話が途切れないことが明らかとなった。友人同士のみがエレベーターにいて、そこへ未知の人物が乗りあわせた際、以前なら友人間の会話は8割の確率でとだえたのが、今は半数が会話を継続することが判明したのだ。とりわけ、この傾向は十代の若者に顕著である。おそらく電車内で平気でケータイで話をつづけるのと共通した傾向だろう。
おそらく、公的な状況という認識の希薄化が影響しているのだろう。常に私的にしか言語を使わなくなってきている。だからことばがいくら「乱れ」ても平気でいられる。21世紀へ来て、人間は言語をその本来の意味で使用しなくなり、サルへと先祖返りしつつあると私には思える。
(13)ことばの「乱れ」
ことばは、いつの世でも時間の経過と共に変化する。先の時代の者が、次世代の者の使う言語の変わり様を嘆くのも、変わらない。しかしそうと知っていても、昨今の日本語の「乱れ」ぶりには驚いてしまう。いくら時代の変化のテンポが激しいにしても……である。
もっとも、それを嘆かわしいと感ずるか否かは、また別問題だろう。私は一尾言う、ことばの研究者なので純粋に学問的に興味津々といったところである。
とりわけ、目をひくのと言えば、やはり十代の女性のことば使いという点に異論のある向きは少ないのではないだろうか。端的に、先述のルーズソックスと「妙な」日本語はリンクしていると思う。そしてすでに書いたようにルーズソックスは、靴のかかとを踏みつぶして、「べた靴」にして歩くことや、平気で地べたに座ることや、屋外で平然とものを食うこととリンクしているのだ。
言語の、必要な情報を伝達することと、相手と情緒的に結びつくという2つの役割には、ジレンマがある。公共性を発揮するためには、誰にでも意味のとれるものでなくてはならない。しかし仲間との絆を深めるためには、相手にしか理解できないような形を取るのが最適なはずなのだ。だから通常、どんな言語体系もコミュニティーのなかで、公共性への需要と、集団の凝集性を高めるための私的な「乱れ」の圧力との間でゆらいでいる。
他方、「うち家の中」感覚の若者の場合は、公共的であろうとする志向が、ほとんど霧散してしまった。アフリカのサバンナで、異国人ばかりに囲まれて暮らした日本人文化人類学者と妻の記録がある(川田, 1973)。それによると、単語や言い回しは時がたつにつれて、2人にしか了解できない風へ加速度的に、特殊化していったという。
まず、フランス語やモシ語の単語が、どんどん混じってくる。とくに、日常使ったりよく市で買うものの名は、土地のことばでの呼び名が自然身につくし、便利でもある。パリ生活のあいだに、フランス語の呼び名が癖になってしまったものは多かったが、今度はモシ語の呼び名が、ぼくたちのことばのなかに新入りした。動詞、副詞、よく使う短い表現などについても、フランス語ですでに二人の会話に定着していたものに、モシ語の表現が、それこそ「ウスゴに」(たくさん)加わった。ただし、単語だけを借用したばあいは、日本語の語法のなかに、名詞ならそのまま、他の品詞では「……な」「……に」「……する」などの日本語を補って用いるわけだ。二人の生活のなかで、借用されたことばも日本語も、もとの言語で一般にそのことばが使われるときとはちがう、特殊な意味をしばしば帯びるようになった。例をあげてみたいが、その意味を二人以外の人にわからせるのは、厖大なことばを費やしてもまず不可能だろう。だいいち、ことばの普遍的に了解されている意味というものが、一定のものとして存在するだろうか。
家族や親しい人たちのなかで、単語や言いまわしが特殊な意味を帯びることは、日本語だけが用いられている社会に暮らしていても、ごくふつうに起ることだ。ぼくたちのばあいは、その度合いが、やや進んだにすぎない。ある状況のもとでたまたま起ったことに関連して、あることばにある節をつけてということが、それ以前にぼくたちが、そのことばからうけとっていたのとはちがった意味を、ぼくたち二人のうちに喚起する。ことばにならない短い音声の合図、ある節の口笛、それらに結びあわされた、あるいは単独の、身振りや顔の表情が、二人のあいだの特殊な通達に、ひんぱんに用いられるようになる。こうして、現代日本語がもとになって、たくさんの外来語が混り、それに独特の音の高低、身振りが結びつき、奇妙な音声があいだにはさまった日本語の一方言が、まだ萌芽状態にすぎなかったとはいえ、西アフリカの奥地にできかけたように思われた。(川田順造著『曠野から』p. 239-240)
因みに、この文化人類学者が妻とサバンナと暮らしたのは、1970年代初頭のことであった。それから30年を経た今日、日本人の言語環境は、日本に置いてすら、サバンナに匹敵するものと化してしまったのかもしれない。アラビア語学者のさかえ榮だに谷(2002)によると、アラビア語というのは地球上の20カ国で公用語として用いられているものの、それは「フスハー」と呼ばれる特殊な言葉にすぎない。アラブ人が日常に話し言葉として用いるものとは、ずいぶん違うのだという。しかもモロッコの口語とエジプトの口語となると、ほとんど互いに意思疎通ができないぐらい異なる。
ではフスハーの実態はというと、新聞や書籍や放送などの公の場で主に使われ、文法はイスラーム以前の時代から変わっていない体系で、アラブ人も学校教育を経て、ようやくそれを正確に習得する。一般にフスハーすなわち上品、口語すなわち下品という雰囲気が濃厚である。ただし両者をそれぞれ、別にコミュニティに属する人々が用いるわけではなく、誰もが多かれ少なかれ2言語を混ぜて話し、かつ混在の程度は状況に応じて柔軟に変わる。公的な状況において、フスハーの比重が増す。
混ざって使用されているにもかかわらずフスハーが、完結した体系としてどうして生き残っているかというと、ひとえにコーランの一語一句は、全て唯一神アッラーの発言であり、別の言語体系に置き換えることはもってのほかとされている(日本語訳もあるものの、建前上は注釈書であるらしい)。つまりイスラーム文化圏では、コーランに記された言葉が、「最高水準のアラビア語」の位置を保証されているのである。
かたや日本はというと、そんなものは存在しない。そこで美しく正しい日本語として、漱石や鴎外の作品が取り上げられたとか、取り下げられたとかいう騒ぎが巻き起こる。もっとも、「最高水準の日本語」が定まっていないことが不幸なのか幸いなのかは、一概に決められないだろう。
はっきりしているのは、どんな代物を持ってこようとも「ことばの乱れ」現象に歯止めをかけることは不可能だということである。ルーズソックスを販売禁止にしたところで、何の効果もないようなものだ。「うち家の中」感覚で24時間を過ごすライフスタイルは、発達の過程でこどもに社会化を促す力が希薄になったことに、根本は起因する。やみくもに安全基地のみを提供する母子密着型子育てが、日本に定着したことによる構造的問題なのである。