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(回答先: Re: 善良なテロリストと邪悪なテロリスト:ワシントンの基準 投稿者 サンシャイン・リング 日時 2005 年 12 月 10 日 07:16:45)
水神としての龍
…龍は日本の古典神話では、水神、海神として崇められた。
水田耕作や農耕儀礼に結び付いて、龍神が雲や雨水をつかさどる神として信仰されたことは、民間信仰の水神に龍神をまつるものが多いことからも明らかである。
また海神としての龍神信仰は海人(あま)の間で長く持ち続けられた。
大三輪の神が蛇となる話や、八岐大蛇の神話など、龍蛇信仰に関連する神話・伝説はいろいろあるが、神として祀られ、崇められると同時に、人を喰うと恐れられ、生贄をささげられ、しまいには退治されること多い。
龍はやはり大きな川のイメージであり、気象を操り人々に水をもたらすが、それが氾濫したり荒れ狂って害をなすこともある。そういった両極端な性格が反映されてのことであろう。
ちなみに龍神信仰の最たるものは何といっても雨乞いであるが、雨乞いには以下の三つのパターンがある。
(1)怒っている龍神を鎮めるために、食物をささげる。
(2)眠っている龍神を怒らせ、起こするために池や沼に汚いものを投じたり、池をかき回す。
(3)木や藁で龍を作って、棲んでいるとされる場所からかつぎだしたり、かけ声をかけたり、煙をたてたり、あるいは人形や、人間を生贄として差し出すといった、模倣儀礼を行う。
このように雨乞い祈願の信仰対象のほかにも、こうした龍蛇の姿は、ひとびとの暮らしのなかに伝えられてきた行事の中に登場する。
村へ悪霊が侵入するのを防いだり、害虫や疫病を村の外に送り出したり、盆に死者の霊を墓地から家まで運んだりといった様々な形で見ることができる。
異類婚姻譚
伝説や民話のなかには、人を喰うような恐ろしい龍の話のほかに、龍を見て病気になった者が、灰に埋められてなおったとか、昇天して龍になった蛇の話、小蛇になって昼寝している龍の話、小蛇の親が龍王であった話、人に見られたために龍になりそこなった蛇の話などいろいろな話があるが、特に全国的にみられる民話のモチーフとして有名なのは龍と人間の婚姻譚である。
龍との婚姻譚には「蛇婿入り」「蛇女房」という二つのパターンがる。
龍蛇の婿入り譚は、糸をつかって蛇の棲みかにたどり着く、おだまき型と、水乞い型がある。
前者は、夜毎娘のもとに通ってくる男の素性を確かめようとして、母親が糸をつけた針を男の衣に刺し、翌朝その糸をたどると、洞穴または池のほとりに着き、男がそこに棲む蛇であることをつきとめる。そこで蛇たちの話しを立ち聞きし、子を堕ろす方法を知り、娘の子を堕ろすが、蛇のほうは針にさされて死んでしまう。
後者は、娘を嫁にするとの約束で龍蛇に水を引いてもらうが、娘は嫁入り道具に針と瓢箪を持参して蛇の棲む池にいき、蛇にそれを沈めてほしい旨を告げる。蛇は沈めようとするが、針に刺さって死んでしまうという筋である。
この民話には、龍神信仰にみられるような威厳のある龍と異なり、人間にだまされ、殺されてしまう哀れな龍蛇の姿を見ることができる。
「蛇女房」は、人間の女になった龍神が人間の男と結婚し、子までなすが、正体をみられて泣く泣く水界に戻る。そのとき子供が泣いたらこれをしゃぶらせなさいと、自分の目玉を渡す。それでも子供が泣くのでもうひとつの目玉も与える。こうして両目を失ってしまうという話である。
この目玉の意味するものとしては、古代の龍神・水神や、「海幸彦・山幸彦」の話にある、わたつみの国で翁がもっていた潮満珠と潮干珠と結びつけた解釈がひとつ考えられる。
また日乞い、雨乞いに用いることができる、如意宝珠とよばれる荒れる海を静める珠と、風雨を起こすことができる珠の信仰も、この龍の目玉と関連づけることができるであろう。
この珠というのは、天界や水界などの自然、気象をコントロールに必要な、龍にとっても大切な珠なのである。
ところで、みなさんよくご存じのてるてる坊主は、この珠のバリエーションで、雨乞い、日乞いに使われる。これは終わったあと、流される生贄から来ているそうだ。