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過去の農法は殺し農法
百姓は、太陽と土と空気と水さえあれば植物は育つということを、何時の間にか忘れてしまったようです。そして「虫が虫の餌を、菌は菌の餌を食べるのは当たり前だ」ということを見落としています。
自然状態で虫が緑を食べ尽くすことはありません。菌が人や動植物を食べ尽くすこともありません。虫(菌)は「虫(菌)の餌」以外のものは食べない(られない)からです。
自然の仕組みを忘れ、人は害虫(菌)という幻に怯え、それらを殺し「虫の餌」を横取りして食べることが、異常であると気付かずに平気で食べるようになってしまいました。科学的との美名?のもとに、何時の間にか、当たり前のことを当たり前と思わなくなってしまったのです。
土に「有機物=有機炭素化合物」が不足すれば作物は生育不良になることをプロの農業者なら誰でも知っています。でも、有機物を必要としているのは土壌中の微生物であり植物ではないということは、知っていても意識されていません。
その証拠に、有機物(炭素)を最も適した状態で土壌中の微生物に与えていません。適した与え方をすれば、どのような仕組みで何が起こり、人々の健康や地球環境に、どのような影響を与えるか、原点に返って見つめなおしてみる必要があるのではないでしょうか。
何もいまさら、改めて「炭素循環」と言わなくても、自然の野山や農業現場では、昔から当たり前に行われていることです。しかし、意識されていませんから非常に無駄が多く、炭素不足のため養分循環が円滑に行われていません。
それを補おうと施肥に頼り、養分バランスを崩し「人の食物」を作る筈が、実は「虫の餌」を作っているのが、堆肥・天然農薬の有機農法や化学肥料・化学農薬の慣行農法であり、これは「施肥・殺し農法」です。
そして、過去の自然農法(自然の猿真似農法や一切の資材を否定し過度の浄化を行う農法)も、旧概念から完全に脱却しているとは言えません(理論の欠如が原因)。
虫がどのような物を食べるか理解すれば、虫に食べられない作物(人の食物)を作ることはそれほど難しいことではありません。寧ろ非常に簡単で「何故こんな簡単なことに、今迄気付かなかったのだろう」というのが実践者の感想です。
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自然は人に何も要求しない
これまた、当たり前のことですが無施肥と言っても、植物が育つのに必要な養分や量に違いがあるわけではありません。実際に無施肥・無農薬で作物を作っている者は多数います。でも、詳しい養分供給の仕組みまでは余り知られていないのが実情でしょう。
理論的裏付けの欠如から手探り状態で多くの試行錯誤を繰り返し、安定した生産体制に至るまで遠回りをし、多くの労力と時間を費やしています。そして、多種多様な農法が提唱され、また実践されています。農法は農家の数だけあるとも言えますが植物が育つ基本的な仕組みは一つ。その仕組みに沿わなかった時、作物は虫の餌となります。
虫の餌か人の食物かは、養分の供給の仕方(バランスを保てるかどうか)で決まり、理論さえ分かれば無駄な苦労をすることはありません。単純に考えて自然状態で虫に食われない植物があるのですから、それと同じ状態(仕組み)を再現すればよいわけです。
同じと言っても、何も全てを同じにする必要はありません。時計の針は逆には回りません。文明人が今更、サルや未開人の真似をしても始りません。最も基本的、あまりにも当たり前過ぎて誰も気付かなかった「炭素」の循環の仕組みを同じにすればよいだけです。
要は自然の仕組みを知り、その仕組みを最大限に活かし作物を生かすこと。仕組みさえ活かせれば資材を選びません。化学合成されたものであろうと天然資材であろうと何でも使いこなせます。但し化学、天然に関わらず「肥料」と「殺し」は御法度です。
「肥」は人の勝手な思いであり、自然の要求ではありません。いったい、「肥」という概念は何時の頃からあるのでしょう。人が耕作を始めた千、万年?の昔からでしょうか。
自然は人に何も要求しません。人が「肥やす」という傲慢な思いを捨て、真摯に自然と向き合った時、初めて自然の真(本来)の力(意志)が見えてきます。自然の意志と人の思いが合致した時、自然は人に全てを与えます。
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農業と炭素循環
炭素循環は生命体の最も基本的な現象です。生き物相手の百姓が基本を忘れては「命」ある作物を育て、人々の「命」を守ることはできません。食物連鎖と呼ばれているのは生命連鎖であり、食とは命を食べ命を「循環」進化させることです。鉱物(無機物) → 微生物 → 植物 → 動物 → 人、と命が循環、進化するわけです。
「人」は命の進化の最終形態であり、現時点で最も完成度の高い、自然の作品。物理法則に「エネルギーの保存則」というのがありますが、物だけにそんな便利な?法則が働くわけではありません。これは「無量」の世界の仕組み。「命」は初めから命そのものであり見かけが変わるだけ。命がいきなりできたり、無くなったりするのではないのです。
生命現象とは命が見える形になった状態であり、見える部分は見えない部分の結果として現われるに過ぎません。全てが命です。「E=MC2」の E に相当するのが「命」であり、MC2 に相当するのが「生命(体)」。見える命(生命体)にとって、水(酸素)を除けば炭素が第一の必須元素。炭素の循環量に応じて他の元素(養分)も循環します。炭素循環=生命。と言っても良いでしょう。
「必須アミノ酸の樽(一番短い樽板までしか水は貯まらない)」という考え方同様、短い樽板の所までしか他の養分も有効利用されず(最小養分律)、樽板の高さが揃わない場合、単に無駄になるのではなく邪魔になると言われます。
水や炭素は樽の箍(たが)や底板のような物。人の思いで必須養分をP,N,K,他、と勝手に限定し、土壌分析の結果だけで養分の過不足を判断しようとすることが間違いの元です。土壌分析はスチール写真のようなもの。施肥農法では役立っても、常に循環している瞬間の状態は、循環農法では無意味です。
養分は常に微生物等により固定されたり可吸化されています。土は生きています。人は地球の自然、生態系の中で、地球は太陽系・銀河系・宇宙の中で生かされています。全てが必須なのです。
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炭素循環農法の概要
自然が生き物を生かす仕組みを理解し、農耕地に於ける炭素循環を人為的に効率化。炭素循環量を森林並か、それ以上にすることによる無施肥・無防除の自然農法です。
慣行農法や有機農法の全ての障害は施肥にあることを明らかにし、植物が進化した環境、即ち「微生物の作り出す養分バランス」を保つことにより、作物に過不足なく養分を供給します。
環境汚染の原因にもなる化学肥料、堆肥(ボカシ)も無用。逆に過剰施肥による汚染地を積極的に浄化。無施肥であっても慣行農法以上の収量が得られます。
自然農法や有機農法は難しいと言われますが、それは仕組み(理論)を知らないからです。慣行と自然農法の実際面での相違は、施肥と防除の有無。自然農法が成立する基因は、土の「清浄度」と「肥沃度」の二大要因。施肥農法では施肥量が増すほど清浄度が落ち、二つの指標は相反。無施肥なら相反しません。
方法は、いたって簡単。土壌中での有機物の分解は、C/N比40(炭素比=炭素量/窒素量)を境に、以下ならバクテリア(細菌類)、以上なら糸状菌(菌類)が主に分解を行うという特性を応用します。自然の林野では落ち葉や朽木を菌類が最初に分解し、細菌類は二次・三次分解者です。
C/N比40以上の高炭素有機物(生の雑草・作物残渣・緑肥作物、C/N比調整・醗酵処理した木材チップ等)を窒素飢餓(ブロック)を起こすことなく、土壌中に入れるだけ。自然の分解過程の再現です。
炭素の供給量に応じ微生物相は豊かに、バイオマスは増大。豊かな微生物相が有機物の処理能力を更に高め、微生物から供給される養分だけで、作物の生育に必要な養分は足ります。
微生物は使える炭素(有機物)がある限り、遊離(無機化)し垂れ流し状態の、過剰な窒素や燐等がなくなるまで増え続け、土壌を丸ごと醗酵。作物に必要な養分を生きた状態に(有機化=生物化)します。
すると、必要量以上の成分が土壌中にあっても、土自体には肥効成分が無いため(土壌の清浄化)、硝酸塩の過剰吸収や有機物の腐敗が起きません。
更に、生きている養分(微生物、雑草等)は流出するどころか、大気中から常時、炭素や窒素を新たに固定、土壌中の無機成分を可吸化し、土壌の清浄度と肥沃度を保ちながら作物を育てます。
病虫害や連作障害等は、土壌中の硝酸塩や有機成分の腐敗が直接の原因。腐敗による土壌の生物性・化学性・物理性の劣悪化(団粒構造の崩壊・硬盤層形成等)や、有害成分の発生がなく、健康に育った作物には、虫や菌は寄り付けず、無防除が可能となります。
そして、余分な有害物質を吸収しない作物は、味も日持ちも良く(菌が食わない)、人畜の健康に良い、本来の人の食物となります。
炭素循環を円滑に行えば、土壌は団粒化し、通気性、通水・保水性、保肥性は改善。農耕地となる以前の森林・原野が持っていた、環境浄化力・保全力を取り戻すと同時に、安全で美味しい農産物の生産が可能になります。
「自然農法」は故岡田茂吉氏が説きました。また高炭素資材の利点を応用したのは「躍進微生物農法」の創始者、故島本覚也氏です。両氏の功績と先進性に敬意を表し、ここに明記しておきます。
しかし、理論的な解明が十分とは言えず、精神論に片寄りがちで難解であったり、施肥農法の枷から逃れられず、矛盾や無駄がみられます。
炭素循環農法は、これらと関係なく一百姓の実践の中から得られた農法です。しかし、単に経験だけに頼らない、理論に裏打ちされた一連の技術体系です。