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(古典)時間(自体)仮説
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投稿者 ぷぢ熟子 日時 2005 年 4 月 24 日 01:13:01: Xc6nN4wG9yIyw

‥‥時間自体というものは無い。

速度があり、複数の速度があり、
それらの関係がある。関係が
保証されているならば、関係が
時間の統一であり、それを
標準とも、時間そのものと
看做すこともできるだろう。

速度の体系が一体と
して動いているからには、
速度の体系が運行されて
いること、即ち、その一体の
変化が時間そのものである。

逆に関係が保証されていなければ、
それぞれの時間は独立し、平行して
運行する。その場合にも、時間は崩壊
せず、それぞれの時間を営むのである。
その際、関係の関係というものが作用しえ、
また関係の体系として高次に高次化しうる。

時間は価値の体系でいう通貨(交換価値)に相当
するが、人為なくして、そのような値は存在しない。
時間は両極という2つの、もしくは、もし可能ならば、
何らかに特異な幾つかの速度が、時間を速度の範囲
として代表はしても、代替したり、総合し、あるいは
抽出される時間というものは無いのである。
これは空間成分としての方向にも該当し、
空間成分そのものの抽出は可能でない。

方向が存在しないのではなく、相対的な基軸となる方向区分さえもが
相対的であって、成分に還元しないのである。それは寧ろ知覚の自由な
成分たるところの神経細胞の特質なり、確率的な個々の有り様に依存する。

かようにして時間とは物象化と見做しえ、それは先験可能性の内、
即ち人間の内側にある捉え方の傾向であって、その捉え方をこそ、
延長自体たる神格をも物象化させたものであると目しうるのである。

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