現在地 HOME > 番外地2 > 558.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 全てに答えたつもりだ。 投稿者 勝手だが、これで最後にしたい、理由は中に有るはず。 日時 2005 年 4 月 18 日 19:46:13)
次は何が来るのかとドキドキもしてましたが、最後の言葉が聞けてこちらこそ感謝しています。
正直な所、私はあなたがおっしゃる様、直感で物事を読み取る方だと思っています。しかも論証の前に結論だけ述べている点も議論の余地の無さ、未熟さを感じます。
以前言いましたが、 相反するものは突き詰めた時にお互いに相手を含んでいるのである という考えから、個と全体の事を言いました。
確かに、個の利益を追求するとそれはエゴイスティックな考えになりますが、その利益が純粋なものである場合、昇華し得たものは全体の利にかなうものだと考えています。
それがただの欲望であった場合、エゴ、全体にとっての害となる、例えれば単純に商品に置き換えた場合、製造者が純粋にその製品の事、自分の理想を形にし愛情をかけたものは、人々に愛されるのではないでしょうか。
反対に自分の利益、金銭など卑しい欲望が理由で作り上げたものは興味を引くかも知れませんが、愛され続ける事は無い、現在の消費されるだけの製品と同じであると思います。
個と個が解り合えない、気持ちを共有できないと言う事はそれぞれが知っている事と思いますが、個の内に一体化への希望が在る事も否定できないものだと思います。
異性への感情、SEX、そして似た者への集団化、さらには国家につながるのでは。
その事はまさに1つ1つの原子が合わさり合う様。1つの原子だけでは形を作り得ませんが、原子に一体化への本能が存在する様にお互いがくっつき合い、そして世界が形成されているのです。 お互いを存在を尊重しながら、、。
もし、愛というものがあるとするなら、それは相手を吸収するほどの欲望に満ちたものではなく、細胞の様にお互いの存在を尊重し合い常に感じ合う事なのでは無いでしょうか。
ここで少し話がずれますが、それら細胞同志がくっつき合い形を成すものが人であり、そして彼等から感じ得る神のような存在になるのでは、、。その為にはお互いが同じで無いにしろ、一体化する事がその細胞達の存在理由であり、成るべきモノなのでは、。
細胞から人は認識できませんが、感じる事は出来ると思います。そして人から細胞は電子顕微鏡を使いようやく見る事は出来、認識する事のみできます。
仮定ですが、それが神と人の違いなのではと思います。
話を戻しまして、思想と芸術の展開についてはお互い優れたものは相手を凌駕するものと思っています。そして共鳴しあうのだと、。
美しいもの、その前では偉大な思想家、哲学者も言葉を無くします。なぜなら言葉を発する必要が無いからです。
そして、偉大な思想からも芸術家はインスピレーションを受け、その技術の内に世界を構築し、その事が作品に感銘や深みを与えるのです。
お互いが与えあうのだと、。
あなたのいっていた考えから私は、哲学者では在りませんが、アルベール・カミュの異邦人を思い出しました。ただ感じた事なのですが似たような事を学んだ気がします。
あと、これはおかしい事かも知れませんが、エヴァンゲリオンの綾波レイも似たような倦怠感を持ち、彼女は物語の中でその先を行っていたと思います。
曖昧、抽象的ですみません。
最後に、私はあなたの言うマドオンナさんでも村長でも誰でも在りません。私、匿名ですがメタモルフォーゼです。
人はお互いが相手を必要としています。もし間違っていても、相手を赦すと言う気持ちがお互いを高められるのだと思います。相手から学ぶ気持ちがあって私も成長するのだと思います。
ここで敢えてカルマという言葉を使わせていただければ、相手に成した事は己に帰るのであると。バカにしたような言葉を使っては、その言葉が己に帰り、そのサイクルから抜けられないのだと。相手の気持ちを尊重するからこそ、お互いに伸ばしてゆける良い関係が築いていけるのだと思います。
今回、私自身も神戸サンやサラさんに甘い部分の指摘を受け、考えをまとめ上げる事が出来ました。
ありがとうございました。