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眩暈
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投稿者 サラ 日時 2005 年 4 月 18 日 04:26:15: qRuhp5/W./QMw

人間は言葉を失ったときに、どうなるのだろうか、ということを時々考える。

以前、フランス語を母国語とする私の子供を1年間カナダの、まったく英語しか
通じない環境の中に送り込んだとき、3ヶ月ほどして、12歳の彼が最初に示した反応は「恐慌(パニック)」に近いものだった。それは、「考えられなくなる」「脳が
減っていく」と言う風に表現されるものだった。つまり、フランス語である彼の「言葉」をどんどん忘れることで、「物事を考えることができなくなる」というような恐怖ともいえるものだったらしい。その分、英語の語彙が増えたらそれでいいという問題ではなかったらしい。言葉を忘れる、失うということは自分のアタマで考えられなくなる、ということを真剣に恐怖し恐慌状態に陥っている12歳の息子を見て、「考える」ことと「言葉」の重要性に始めて気がついた。

果たして、私は日本語で「考えて」いるのだろうか?
考えたつもりになっているだけなのであろう。
まったく新しい考え方、思想、哲学を前にすると、その語彙も定義もわからない私は理解することがまったくできない。

日本語に翻訳された、西洋思想の本を読んでも私にはよくわからないことが多い。
いや、かえってますますわからなくなることの方が多いだろう。作者の考えが一回日本人の脳を通過してしまうからかもしれない。

それなら逆に、もし、日本語でも存在しない語彙と概念からある思想哲学をはじめるなら、いっそのこと最初から、フランス語でも英語でも日本語でも同時にズバッ串刺しにして、わかる定義からはじめるのがいいのかもしれない。最初から日本語を捨てる覚悟でやったほうがいいのかもしれない。もし、あなたが普遍的なものをめざすなら。

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