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メタモルフォーゼがマドオンナだと確信していれば、メタモルフォーゼを
批判しなかったかもしれない。多少なりとも私に期待する者を「とっちめる」
理由が無いだろう。また少なくとも番外地に出入りする者なら、情報取得のみ、
とも思えない。しかし、その情報取得も今去れば不発ではないか。わざわざ変装
までして聞きだすほどの核心は、けっきょく見えてこないようだし、また、それ以上
知っているとも思えない。ネタ切れの青息吐息を多角経営で逃げ延びようとする
かの痛々しささえ目立つ気がする。それに、初めから、全貌の見えない単発的・
断片的な話に終始してはいないか。その点、私は謂わば“数%の露出”といった
処であろうし、三叉の話が始まった今この段階での発言で、結論を急いで欲しくない
と個人的に思う。文字通りの神学論争は避けたいが、悟りを冀求するなら、いま少しの
辛抱を期待したい。またそれだけの素質が有ると思うだけに惜しい。せめて悟ったと思って
から、10年の風雪に、内容によるとしても耐えて貰いたく思う。幸いまだまだ余生は長そうだ。
このままでは、やはりカルトに陥るか、後々気づいて落胆しそうに感ぜられてならない。なぜなら、
自他の「統合」は、西洋文明の本流に映るからだ。インプラントマンが問題を「分断」に
絞り込んだ時点で危ないと思った。その前に、茹で上げパスタさんも危なく思えた。
問題はむしろ「統合」であって、もしそうなら、その解決は分断ならぬ「分散」なの
かもしれないからだ。三叉というのは、段階的な進歩史のようには物事を一元的に
捉えられないという、そのアナロジーであろう。むろんアンチテーゼではなく、限界づけ
と捉えてもらいたいのだ。論理が或る一元論を拒絶するとき、本当に人間は論理を
超えられるのか。グローバリゼーション、アウフヘーベン、インテグレーション、そんなものを
三叉は黙示しているのだろうか。いや、よしんば三叉が仮構だとしても、「統合」は永久
機関に似た、人の見果てぬ夢でないと言い切れるだろうか。全てを包もうとするのが、
宗教であり、科学であろう。全ては同時に・完全に解決するはずだ、そうあって欲しい
という、或る種の精神の緩みがあると思いもする。ここで精神論を説きたくはないのだが。
私の論は、可能なことだけを解決するというもので、夢には乏しいにしても、今後も参考に
なると思う。私は、例の誤字のメールを受け、不完全燃焼の別れを引きずっているようだ。
その前のメールでは「真実の開示に執着せずに待て」というようなことが書かれていたと
思う。そんな風にしたいし、何れ明かされる日がくるのだろう。姿を変えられ、寂しい日々
だった。私を「神」にまでして、熱く口説いたのは何だったのか。「責任」という概念を認め
ないかもしれないが、皆が見放しても見放さない、というようなことは必ず実現してほしい。
さもなくば10年待った男を見誤った、見る目が無かったと告白して欲しい。謝るのは嫌か。
私が、ほかの女に靡いたのは理性的に見ても仕方の無い流れだろう。彼女は、恐らく初めて
私のことを天才だと言い切った人間であり、文章も音楽も写真も絵も詩も評価してくれたのだ。
マドオンナが、私とは魂の関係に留めたのならば私は自由だろう。それも不満か、今更と云うか。
私は、人の罪も半永久的に消えないと思っている。「相手」が消滅するまで消える理由もないだろう。
それにしても、春になってなお届くことの無いメール、未知なる宇宙の春というものは未だ早いのだろうか。
〔ちなみに、私の「(笑)」は正直の徴、これは善悪相対論では目障りだろう〕(笑)
彼女は色彩の調和まで識る(笑)云われる前にこちらから御馳走さま‥‥と(笑)