現在地 HOME > 番外地1 > 972.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: “荒らしのタイタニック”、女の見方 その3 投稿者 サラ 日時 2005 年 2 月 14 日 05:37:44)
じっさい婚姻がなければ犬と同じで、歩けば当たるのでしょう、出会いがしらに。
婚姻は、好きな瞬間に、好きであることが永遠に続くと束縛しあった、まさに「記憶の残像」なのかもしれません。
つまり想いの剰余価値が、未来の想いを知らない間に犠牲にするのでしょうね。
私はダリが好きで絵を志した人間ですが、肝心のダリの男女関係については、余り意識していませんでした。
モチーフのみならず、内容もフロイトだったりすると思いますが。
ただ、晩年のガラは演技なのか、守銭奴のようになっていたと聞きますね。まあこのネタも、出所はタダノリヨコオなもので(笑)
それと御存知でしょうが、シュール村の相関は、乱交パーティーだったようです。エルンスト以下、無名多数まで。何だかな(笑)
ガラのような自由人は、阿修羅では多いと思います。
世のなかが見えてくると、誰が「まとも」に生きるてやるかと、その「まとも」さまで疑いはじめるでしょうから。
17年という数量は、因果なものなのでしょうね。長いですし、それはまた、長い間、甘い汁を吸ったということでもあるでしょう。
こちらは苦労を知りませんので、傍観者的に言わせていただきますと、その重みを3か月の修行で、もし何らかに清算できたのなら凄いとは思いますね。
しかも私がどれほど判っているか甚だ疑問ですが、経験量でものをいうのは好きではないので実感としていえば、プラトニックそのものは苦しくないですね。
愛しあっていることがわかれば、その部分で割り切れると思いますよ。ただ、愛がはっきりしないときと、急に態度が変わって、見失ったときは苦しいでしょう。
また、そういう部分的なプラトニックであれば、恋情とはちがうにせよ、同時進行は可能なはずで、
そのさい、安定と不安定の並行になるとか、両方が不安定であるとか、もちろん両方が駄目になると苦しむのでしょうね。
フィジカルな独占をしているのに、精神を独占し損ねて、今回は「正夫」のほうが苦しんだようです。
こちらは割り切ってスタートしているから、懊悩というよりも、友人が他界したような比較的に単純と思われる大ショックでしょうし、だいいち、その友人は存命中であるはずなもので。
いずれにせよ、人生の先輩(笑)に、お察しいただいて光栄です。
体を不可欠なものとして苦悶するのは、体が愛の証書だからかもしれません。したがって代替的に、ここまでは愛を提供できるというかたちで保障されれば、
体は色々な処理ができるので、本当は問題ではないのではと思ったりします。むろん愛されていることが確信できての話であろう点は、念を押したく思います。