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【転載】
吉田喜重の『秋津温泉』
最近、吉田喜重監督の作品の何本かがテレビで放映された。拙者としては『戒厳令』の白黒画面がこの人の美学の最高の表現であるように思えたが、以下では岡田茉莉子の企画・主演による『秋津温泉』(1962)を回想しておきたい。藤原審爾原作のこの映画についてはかつて書いたことがある(『放送朝日』1974年8月号)。そこでは「男と女のすれ違い」のニュー・ヴァージョン(吉田喜重)を戦後17年間の精神史に重ねた佐藤忠男の批評に同感し、拙者は次のように書いている。「戦後の社会意識の一つの特徴は、女性や青年の感情による直接的な判断が重みをもつようになった点にあると思う。たとえば、憲法の戦争という手段の放棄の規定は、戦争の残酷さへの感性的な嫌悪に根ざしているために広く受け容れられた。この規定は、戦争は結局高くつくといったような、世俗にまみれた男の功利主義に訴えたわけではない。……これが戦後の社会意識を戦前のそれから区別する一つの特徴である。……ヒロインの敗北は、戦後理想主義の敗北である。……切った手首を清流につけた女が鋭く叫ぶ。……それは愛という理想を追求した女が、その理想に身を任せているうちに、ついに動物として死に直面してしまった瞬間の驚愕の叫びとして聞こえてくる」。
この見方は今も成り立つと思っているが、今回再見して、この精神史の変遷に重ねられている生の力の死の力への敗北の側面に強く印象づけられた。ヒロインは17歳の夏、敗戦を迎える。彼女は日本の軍人たちの野卑に深く傷つけられることもあったが、敗戦に際して号泣する素朴な少女であった。たまたま彼女の母の経営する旅館で肺結核の養生のために逗留することになった作家志望の大学生(長門裕之)の命を救おうとして彼女は献身的な世話をする。彼女はその生の力を彼に注ぎ込んだのだ。一方、学生のほうは病のせいもあって絶えず死の誘惑に引きずり込まれそうになる。彼は彼女に一緒に死のうと持ちかけるが、生の力に溢れている彼女は取り合わない。やがて彼の病も癒え、別の女性と結婚し、東京へ戻ってジャーナリズム関係の仕事に就く。彼は文学を志すものの成功せず、絶望するたびに山の温泉に彼女を訪ねてくる。彼女はそういう男を許し続けるが、旅館の経営も行き詰まって廃業することになる。彼女は訪ねてきた彼に一緒に死のうと訴えるが、彼は彼女の本心に気づかないふりをし、冗談として聞き流して去ってゆく直後に、彼女は死を選ぶ。
この男は病のせいと若気のいたりで、彼女に一緒に死んでくれ、と言う。しかし彼は本気で死ぬ気はなく、死と戯れていただけなのだ。それにしても、彼は性格的に生を享受できない人間で、死に引かれていたことは確かだ。一方、ヒロインのほうは生命力に溢れており、死は全くの空想上のこととしか感じられなかった。しかし戦後一気に抑圧から解放された生命の力は、産業・行政などの諸領域にわたる官僚制的管理の発展に伴って再び抑圧されてゆく。それに従って戦後の理想主義の炎はだんだんか細くなってゆく。こうしてかつては作家になりたがっていた青年は、夢を失った薄汚い俗人となり果て、かつては生命力に溢れ、男に生きる力を与えた少女も、今やこの男から生きる支えが得られない現実を知って死を選ぶ。この映画では戦後の理想主義の衰退がヒロインの生の力の衰退と重ねられているのだ。一方、男のニヒリズムは俗化したシニシズムに傾いていっただけであり、彼のシニシズムはヒロインの生きる支えを求めた手を振り切ることしかできなかった。
女の生の力が男の死の力に敗北してゆくというテーマは成瀬巳喜男の『浮雲』にも見いだされた。‥‥