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(回答先: ありがとうございます。たしかに“稀代の名曲”ですね。 投稿者 2人の気づきあい【マジれす】 日時 2005 年 2 月 08 日 00:07:11)
我々がテキストを読んでいるに過ぎないのならば、それも等価に、真実ではないかもしれない。
「何一つとして自分では確かめようのない『巨大さを伴った』陰謀というもの」
ならば、規模の大きな話を、小さく共有して楽しむのが良いかもしれない、内容ついて比べるならば。
(それが構築の力、魅力なのであろう)
その人は話題提供者であって、
かつ、実は責任請負者でもあるはずなのだ。(責任は有る、としか云えまい)
典拠が責任者に代えられても固定性が実在するならば「リアルに」「楽しめる」かもしれない。
あらゆる経験の及ばない情報群は、その情報群を、
不可蝕の事実性と、不可知の責任者の内面という、
外観において(即ち形式については)同等性を(保って)(繋いで)拡げることだろう。