いまの私は、正直いって、心情的に、捨てられるのは辛いです。しかし、私の醜態、失態、コミュニケーションの失敗の数々が、実践として“哲学”や“期待される水準”と矛盾すると見られ、また宮本氏との方向の違いがあらわになり、皆さんと反目し、さらに主観的な逆構築が美として理解されないとすれば、その「絶望のコミュニケーション」は絶望の度を深めるでしょう。
ここまで来て「非常に残念」ですが自分の言には自分で決着をつけねば、と思います。自分の倫理系は、揺らがないようで幸いです。
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