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“陰謀のパラドクス”とは‥‥陰謀の告発そのものが陰謀かもしれない、という
パラドクス‥‥だ。確実なものは、たいてい何も無く、伝聞情報に過ぎないはずだ。
だからこそ、話を聞くほうも、怪しいと認めつつ考えていく姿勢が求められるのだろう。
ご多分に漏れず、吉村の投稿においても、物証や論証を見た気がしない。
どんなに夥しい情報をもってきても、
確実な証拠が一つも無ければ、
全て噂に過ぎないだろう。
要するに、人は「そういう性格の情報」に取り巻かれているはずなのだ。
にもかかわらず、疑われたぐらいで、
一々それを失礼と感じるなら、事件を疑うのもやめたらどうだ?
だが陰謀論者である限り、疑い続けるのだろう。
そして怪しげな情報を垂れ流す‥‥。
陰謀論をやる限り、そのパラドクスから抜け出せない、そういう宿命なのかもしれない。
しかも、陰謀論者は具体的に何を為すべきかという案を、
(警戒し、闇雲に避難すること以外では)あまり提示していないと思う。
皇室に電話するような運動で何が変わるのか。
対抗手段においてはプチ左翼を出ないのではないか。
しかし、その程度の運動では「家畜の無力」を認めるようなものではないのか。
‥‥なぜ俺が、周回おくれの吉村を笑って見ていられるか判るか?