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地上(ここ))より、永遠(とわ))、へ
・ ・・・・・・「目には目を」では、世界が盲目になる
―――――マハトマ・ガンジー
われわれの時代を見よ。何もかもが逆行している。あらゆるものがひっくり返っている。医者が健康を破壊し、法律家が 正義を破り、大学が知識を破壊し、政府が自由を打ち砕き、主流メディアは、情報を崩壊させ、宗教は精神性を、粉々 に、している。
―――――マイケル・エルナー
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 引用転載、終了>>>>
引用転載、開始>>
《9・11》テロの最終審判
Alice in Wonderland and the World Trade Center Disaster
Why the official story of 9/11 is a monumental lie
by David Icke
translated by Shigekuni Honda
究極の大陰謀デーヴィッド・アイク 本多 繁邦・訳 三交社 発行、2003年、12月、1日
p40〜
◎自らも無償の精神操作者(マインドコントローラー))にもなる、思いのままに操られる、家畜の群れ
ごくわずかな人数が、さまざまな機関や国を通じて数十億人の生活をコントロールしている――――そう聞かされても、大半の人はとてもそんな考えを受け入れることはできないだろう。
気持ちはわかるが、いったんこの多重ピラミッドを頭に置くことができれば、人類の精神や現実を条件づける方法がわかってくる。
話はむしろ単純で、それさえ押さえておけば少人数で人類の大半を支配したり命令を下したりできるという、重要な仕組みがいくつかあるのだ。
しかもこれは、支配しようとする相手が個人でも家族でもあるいは部族、町、国、大陸、地球全体でも同じだ。
第一は、正と邪、可能と不可能、正気と狂気、善と悪などの「基準」を強制することである。
大半の人間は、何の疑問もなしに、そうした、「基準」に、従う。
家畜の群れのような精神状態が、すくなくとも、数千年以上にわたって、人間の群集心理に、組み込まれているからだ。
第二は、強制した「基準」に異を唱える少数者に、きわめて惨めな生活を送らせることである。
これをいちばん効果的に実行しようと思ったら、人と違っていることを事実上の犯罪にしてしまうことだ。
決められた「真実」と違うものの見方、考え方、生き方を唱える者を、いわば人間家畜界の黒ヒツジにしてしまうのである。
群れ全体は、すでに与えられた「基準」を受け入れるように条件、づけられ、傲慢で無知な集団になっているから、現実について、周囲と違う解釈をする者がいたら、笑い者にされるか、厳しく非難されるか、とか、なってしまうだろう・・。
これが圧力となって、その黒ヒツジは周囲に合わせるようになる。
これは、同時に、これから、群れから、飛び出そうと思っている者や、広く受け入れられ た「現実」に異を唱えようと考えている者に対する、その、警告にも、なる。
日本のことわざに「出る杭(くい)は打たれる」というのがあるが、まさにそれだ。
周囲と違っているのではないか、「基準」から外れた意見を言っているのではないかと恐れる気持ちは、他者からどう見られているのかという圧倒的な恐怖になる。
つまり、あるヒツジが群れを離れようとしたり、前提となっている条件に疑問を抱いたりしたときに、周りのヒツジたちから何を言われ、何をされるかという恐怖だ。
この心理状態から、少数が多数を支配するための基本条件が生み出される。
大衆が、互いに枠をはみ出さないように自分たちで監視し合うのだ。
一頭のヒツジが他のすべてにとっての牧羊犬になる。
まるで、脱獄しようとする囚人を周りの囚人がよってたかって引き留めるようなものだ。
読者は、それはおかしい、囚人同士でそんなことが起こるはずがないと思うだろう。
だが、人類はこれとまったく同じことをしている。
毎日、互いに「基準」に合わせろと言い合いながら、盲目的に「基準」に従っているのである。
これは心理的なファシズム以外の何物でもない。
どこの家庭も、あらゆるところに「思想警察」の工作員がいるのと同じだ。
そうした「工作員」は心の奥深くまで条件づけされていて、ほとんどが、無意識のうちに無償の精神操作者(マインドコントローラー)になっているのである。
「俺は自分の子どもに正しいことを教えているんだ」―――とんでもない!
彼らが信じるようにプログラムされているものは、少数の支配者にとっての「正しいこと」であり、それを本人がその気になって信じているだけだ。
軍人など、大衆から選ばれて大衆を押さえつける役目を与えられた者たちが、これとまったく同じことを日々実行しているのを目の当たりにすることができる。
これを最も端的に表しているのが、イギリス労働党の党歌「赤旗」の替え歌だ。
「労働者階級は俺の言いなり、俺は職制なんだから……」と続くこの歌には、大衆が互いに監視し合うように「分断して統治せよ」という戦略のすべてが集約されている。
そこでは全員が全員に対しての精神的、感情的、物理的な牢獄の役割を演じる。
支配する側は、ただ「基準」を設定しておいて、ここぞというタイミングで糸を引くだけでいい。
そうすれば、人類という操り人形はしかるべき調べに合わせて踊り出す。
そのための方法は、私たちが便宜上「教育」と読んでいるものの中身を指図することと、「ニュース」と言われているものをマスメデイア(これもイルミナティのもの)を使ってコントロールすることだ。
いったん「基準」を設定してしまいさえすれば、個々のジャーナリストや記者やマスコミ関係者をコントロールする必要はない。
マスメディアもそれ以外の機関も、同じ「基準」や公式発表から彼らなりの「真実」を取り出すだけだから、現実について別の見方を提出する者は、放っておいても潮笑と非難の逆風を受けるようになる。
先日、ITVのテキストサービスをチェックしてみたところ、私が同局のSF番組に出演して「特異(ユニーク)」な」見解を述べることに、なっていた。
誰が書いた記事か知らないが、その記者は私に会ったこともなければ、私の著作を読んだこともなく、自分でこの種のテーマを調査したこともまったくない。
それでも、私の見解はその記者にとっては「特異」ものに違いない。
私の見解は、条件づけられた、彼らの精神が、受け入れているものとは、まったく違うからだ。
いったん「標準」的で可能なことと考えられているものをコントロールしてしまえば、あとはシステム全体がほとんどひとりでに動いていくのである。
◎ 人類隷従状態に貢献するイルミナティ・エリートが強制する「法」
イルミナティの血族は互いに交配を繰り返しながら、世界の政治指導者や政権担当者としての顔も見せている。
彼らは人類を現在の隷従状態にとどめようと考えているが、それに最も貢献しているのは、彼らが導入する「法」だろう。
法の制定するときには大衆の意見は反映されない。
しかも、それを大衆に強制する兵士、警察、警備員といった制服組も、やはり大衆だ。
こうした男たちは(最近は女性も多いが)単なるシステム上の要員にすぎない。
自分自身で考えることは奨励されず、自分でものを考える者は昇進で不利になる。
言われたままに行動することで給料をもらっている彼らは、.命令を実行し、「法」の一字一句を実践する。
そして、その法はイルミナティ・エリートの法というわけだ。
今も憶えているが、ある日曜の午後、家族連れでにぎわう植物園で駐車場の係員が働いていた。
彼はつねに行ったり来たりしながら、駐車の制限時間を超えている車はないかと一台ごとにチェツクし、違反車を見つけると小躍りして喜んでいた。
ルールや規則は知的な者には目安だが、愚か者は盲目的に従う、と父がよく言っていた。
だが現実に、制服を着て法を執行する立場にある者で、その場の状況に応じて自分で考えている者がどれほどいるだろうか。
ほんの少し枠からはずれただけで、もう上司からの印象は悪くなる。
アフガニスタンの例を見てもわかるとおり、兵士はなぜかと問うことなく、まったく見ず知らずの男や女や子どもを吹き飛ばす。
兵士は、なぜ自分たちが大量虐殺をしなければならないのかと上官に訊ねたりはしない。
ただ命令されたからするだけであり、命令しているほうも、もっと上からの命令を実行 しているだけだ。
結局、あらゆる指令を上にたどっていけば、イルミナティの13血流とその分派にたどりつく。
彼らはこの地球を征服するというアジェンダを、あらゆる面で同時に動かしているのである。
◎互いに監視牽制し合う家畜人間
人類が家畜化されて自らを監視するシステムは、制服を着た人間や政府の役人などよりはるかに根深くて身近なところにある。
最初は両親だ。彼らは自分たちの条件づけを子どもに強制し、宗教や政治や経済や文化の「基準」に従うよう、圧力をかける。
くだらないけれど宗教上のしきたりだからと、親が決めた結婚に子どもが従うことなどは、その極端な一例だ。
「エホヴァの証人」の信者は、生活のあらゆる面を、聖書というあの純粋な空想物語ばかりの「本」に書いてある矛盾だらけの塾疋に従って生きるのだと主張していて、なかには頭のおかしな親が輸血を拒んだために子どもが命を落とした例まである。
99パーセントの人間は、「基準」という精神と感情のヒツジ小屋に押し込められているが、この牢獄は日々刻々、巧妙に、より目立たない方法で作られている。
もちろん親がキリスト教徒やユダヤ教徒、あるいはイスラム教徒やヒンズー教徒で、子どもがその宗教を受け入れないことはある。
しかしその場合でも、やはり家族を困らせたくはないからと、子どもは慣習に従う。
そこにはほぼ万国共通と言っていい恐怖がある。
現実について違う見方をしたり、周囲と違った生き方をしたりしたら周囲からどう思われるだろうかという恐怖である。
イルミナティや「イルミネイテッド・ワンズ」にどう思われるかということではない点だ。
たいていの人は、そんなネットワークがあることなどまったく知らない。
彼らが恐れているのは自分の父親や母親、友人や職場の同僚にどう思われるかということだ。
そうした人たちこそは、まさにシステムによってヒツジ小屋にとどまるように条件づけられている者たちだ。
ヒツジ同士で互いに枠からはみ出さないように牽制し合い、逃げ出そうとする者が生きにくくなるようにしているのである。
◎ 「冠石」(ウォール街や、シティを、操る者)) だけがほくそ笑む家畜同士の争い(殺戮))
近親交配を重ねた「血族」はほんの小さな集団だが、ポイントになる「情報」機関さえ設置してしまえば、数十億人の生活を(言葉を換えれば精神を)コントロールするのは簡単だ。
そうした機関は、過去数千年にわたってさまざまな形で存在している。
支配者やその取り巻きは、人類を物理的に支配するには人数が足りないので、人類が精神的、感情的、物理的な強制を通じて自分自身を支配するような構造を作り上げなければならない(このうちの物理的な強制がどんどん強まっている)。
そして、いったん家畜根性ができあがって互いに監視し合うようになると、人間の意識は「罠」の第三段階に入る。
すなわち、群れのなかで派閥を作り、互いに戦争を始めるのだ。
そのために彼らは、互いに「違った」(といっても実はまったく違いなどない)思想体系を作り出し、それ使って争いを始める。
そうした思想体系は宗教、政党、経済理論、その他「○○主義」という数限りない名称で呼ばれている。
それぞれの思想には対になる思想があって互いに「対立する」と考えられているが、『超陰謀粉砕編―テロ・戦争・世界の警察・金融支配』で指摘したように、すべては同じものだ。
ヒツジ小屋の中から見える現実や可能性など限られたものだから、本当に対立するものなどない。
そこでエリートたちは、対立しているという知覚を作り出して分断を生みだし、分割統治を可能にしているのだ。
キリスト教の司教やユダヤ教のラビ、イスラム教やヒンズー教の聖職者や仏教の僧侶との間にどれほどの違いがあるだろう。
彼らはただ、子どもたちや周囲の者に自分の思想を強制しているだけだ。
そうした思想間の違いなど、仮にあったとしてもごくわずかで、全体としてやっていることはまったく同じこと、個人の思想を他者に強制することだけだ。
対立するもの同士が実は同じという例を政治で見てみよう。
ソ連のジョゼフ・スターリンに象徴される極左は、中央集権支配と軍事独裁と強制収容所を導入した。
これと対立するのが極右で、アドルフ・ヒトラーに象徴されるが、こちらでもやはり中央集権支配と軍部独裁と強制収容所が導入された。
しかもこの両者は戦争をし、互いに対立する勢力だと大宣伝を繰り広げた。
冷戦時代のソ連と「西側」も同じで、ソ連は公然たる少数者支配をおこない、西側は秘密のうちに少数者支配をおこなった。
ピラミッドの冠石部分にいるごく少数の者が両方の陣営を操っているのがわかるだろう。
その同じ少数勢力は、ウォール街やロンドン・シティを通じて、両世界大戦でもつねに両方の陣営に資金を流していた。
これは証明可能なことである(『…・:そして真実があなたを自由にする』)。
人類をコントロールする方法を簡単にまとめておこう。
●まず固定した思想に人間の精神を閉じ込め、現実についてごく基本的な、限られた感覚しか与えないで心のヒツジ小屋を作り出す。
思想は何でもかまわない。固定されたもので、自由な思考や開かれた心による疑問を抱かせないものであれば何でもいい。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、民主主義、共産主義など、一見それぞれに違った「真実」を主張しているようだが、どれも人類を隷従させることに貢献している。
● 固定した思想を他者に強要することを奨励し、全体に合わせようとしない者の生活を非常に困難な、苦しいものにする。
●思想同士を争わせ、分断と、支配を、確実にする。これは招集者が支配するためには、絶対に、必要なことだ。大衆は互いの争いに、目を奪われ、自分達の思想や考え方を、強制することばかりに、夢中になって、一人ひとりの背中に、イルミナティーの糸がついていることに、気がつかない。人間は、火の周りで、羽音を、上げる、蛾のようなもので、宗教や、サッカーのスコアや、メロドラマの最新の展開や、ビールの値段のことしか頭になく、とんでもない一撃が着々と準備されていることなど、まったく気がつかない。
P52〜
◎ 人類支配に使い勝手よいアイテムが盲目的信仰(宗教、イデオロギー))
宗教は、数千年にわたって人類支配の構築に大きく貢献してきた。
宗教は厳格な思想体系を作り出し、疑問を差し挟むことを許さない。
信仰を強要するために恐怖、洗脳、隔離などの手段を用い、さらには、その宗派を信じない者を大量虐殺したりしてきた。
さまざまな宗教はこの二千年間、人類精神の支配をめぐって相争い、イルミナティによる分断支配の機会を爆発的に増やしてきた。
そこでこんな疑問を抱く人もいるだろう―――イルミナティの発祥は古代で、宗教はそのずっと後に生まれたが、人類支配のためのこの完璧な道具は、イルミナティにとってはまったくの「幸運」として独自に生まれたのだろうか、それとも、この人間奴隷化の、制度は、まさにイルミナティーが、アジェンダ推進のために、意図的に、作り出したものなのだろうか、と。
そういう人は、主要な宗教がどこで生まれたかを見てみるといい。
そう、主な宗教はすべて、古代にイルミナティが本拠を置いていた中近東地域で生まれているのである。
《9・11》以後、イスラム教が大衆操作に利用されているのは周知のことだし、その他あらゆる宗教も、それに適した状況下では同じように利用されている。
だが宗教は陰謀そのものではないし、経済や政治やその他のものも同様だ。
すべては複雑に絡み合った、大衆操作のための巨大な網の一部なのだ。
その目的は、大衆を説き伏せて、自ら牢獄に入って鍵を投げ捨てるよう、仕向けることにある。
イルミナティは宗教、政治、経済、人種や民族、文化など、あらゆる思想体系を通じて私たちに働きかけている。
また主要な「論争」では、必ず両方の側に働きかけてくる。
理由は単純で、争いが始まる前に結果を知ろうと思ったら、両陣営を自由に動かせなければならないからだ。
サッカーの監督は、自分のチームを掌握しているだけでは試合結果を左右できないが、両チームを同時に指揮できれば、キックオフの前から確実に望みどおりの結果を期待できる。
イルミナティも同じで、毎日の私たちの生活やこの世界に影響するような出来事には、必ず陰から手を回している。
だから、ニューヨークやワシントンやペンシルヴァニア州での出来事を考えるときにも、 中近東で活動するさまざまな秘密結杜を通じてイルミナティがあらゆることを動かしていることを忘れてはいけないのだ。
状況は、アメリカ以外のいわゆる「西側」諸国内でもまったく同じことだ。
両陣営を操作するというこの技法は、グローバリゼーションの反対運動に対しても使われている。
反対派集会に対する大衆の印象を都合のいいように操作するために、イルミナティは独自の工作員を組織して暴力を煽動し、それをニュース報道で流すという手を使った。
詳しい背景は私のインターネットサイト(www.davidicke.com))を見てもらいたいが、スペインでの市民政治集会で警察側がわざと警備の隊列を開き、ある徒党集団(グループ))を通したという例がある。
これは主流派のジャーナリストたちも見ていたことだが、武器を持ち、覆面で顔を隠したそのグループは、平和的に抗議行動をしていた群衆の間に入り込んで行って、お互いを挑発攻撃し始めた。
警察はこれをきっかけに「正当な理由」として平和的な集会に割り込み攻撃を仕掛けた。
制服を着た狂人の群れは、集会参加者をさんざんに殴りつけた。
しかもいったん警察の介入が始まると、騒ぎの元になったグループは歩いて悠然と警察の列の後ろへ抜け、警察の車で走り去ったのである。
ジャーナリストたちはその様子も目撃している。
警察官かと訊ねられたグループの一人は、思わず「そうだ」と答えてから、あわてて否定していた。
大衆のイメージ操作は日々刻々、私たちの目の前で、今この瞬間にもおこなわれている。
《9・11》は、私の知る限りで最もそれが明らかな事例だと言える。
P64〜
人種や民族、宗教、政治的立場、所得階層など、誤った線引きによって人類の争いと分断の元となるものは限りなくある。
人類が支配されている主要な原因が分断ならば、それを取り除くためには、私たちが一つになればいい。それだけのことだ。もちろんすべてについて合意することはないだろうし、その必要もない。そんなことをすれば、とんでもなくつまらない世界ができてしまう。
しかし、だからといって、合意した範囲で一つになることができないということではない。
自由を守り、あるいは取り戻して、その自由を人類すべてに広げることは可能なはずだ。
右翼も左翼も、黒人も白人も、キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒も、誰も彼もがイルミナティによる世界的独裁全体主義国家(ファシズム))の標的にされている。
仲間同士の優劣を競って傲慢かつ無意味な戦いを繰り広げるのをやめない限り、私たちは分断支配され、ナチ・ドイツや共産主義のロシア、中国の世界版ができ上がってしまう。 私は読者の宗教にはこだわらない。
人種や民族、政治信条も何でもかまわない。
それがどんなものであれ、読者にはそれを信じる権利があるし、私のことなど気にせずに好きなことをしていただいて結構だ。
自分の意志や考えを他人に強要しさえしなければ少しも構わない。
私の望みは、この「物理的」世界と呼ばれる大いなる幻影の中で、誰もが、自分で自由に選んだ道を自由に歩んでいける権利を得ることだ。
しかし、一人ひとりが本当に自由になるためには、私たち全員が本当に自由でなければならない。
誰かの自由が失われるということは、自分の自由も失われるということだ。
アフガニスタンの子どもの死がニューヨークの子どもの死よりも軽視されてはならないし、その逆も、許されない。
この点では誰もが、同じだし、同じに思えるように、成長しなければ、ならない。
意図してイルミナティーの、アジェンダを、うごかしている者の数は、世界の人口からすれば、ほんの一握りだ。
彼らが私たちを、支配できるのは、私たち自身が、自己利益の追求と、無知と、絶望的な無関心を、通じて、その支配に、合意し、協力しているからに、すぎない。
支配のピラミッドが存在できるのは、私たちがみんなでそれを支えているからだ。
ピラミッドのパワーは頂上ではなく底の部分にあるのに、私たちはその事実に気づいていない。
イルミナティが頂上にいられるのは、私たちが彼らを担いでいるからなのだ。
私たちの態度は平和的なものでなければいけない。
暴力に暴力で立ち向かい、憎悪に憎悪で返していては、抵抗する者も抵抗される者と同じになってしまう。
人は戦っている相手と同じものになる。
イルミナティと世界支配のアジェンダに対しては、決して戦ってはいけない。
戦うのではなく、協力するのをやめるのだ。
支配と独裁のシステムに対しては、平和的で統一的な非協力で臨むのが、こうした権力のネットワークを支配の座から引きずり降ろすのに最も効果的な手段だ。
戦う代わりに静かに立ち去れば、支えを失ったピラミッドは自然に崩れていく。
私たちは毎日「映画」を見せられて、それを現実だと思いこんでいる。
だが実は違う。
日常というべールの向う側では、恐ろしく邪悪なイルミナティのアジェンダが推進されている。
秘密であることこそ、アジェンダ達成の基本だ。
だがこの「映画」は、毎週のようにその正体を暴かれている。
「映画」の正体は、人類全体の精神を牢獄に閉じ込めるために作られたバーチャルリアリティ(仮想の現実))による幻影だ。
もう、知らないからといって、何もしないことを正当化することはできない。
本当に知りたいと思えば情報は手に入る。
では、私たちはどうするのか。この疑問について、すべての人が今しっかりと考えなければならない。
イルミナティによる世界的な強制収容所、世界的な搾取工場は日々私たちの目の前にその姿を現している。
それを拒絶するのかどうか、今しっかりと考えることだ。